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2017.11.16
孫の七五三のお祝いで名古屋に出向いたついでに、翌日岐阜まで足を伸ばし、伊藤豊雄さんの近作である「みんなの森 ぎふメディアコスモス」を訪れました。 「みんなの森 ぎふメディアコスモス」は、1階に市民活動交流センター・多文化交流プラザ等のコミュニティー施設と展示ギャラリー、2階は市立中央図書館からなる複合施設です。 以前に紹介した「仙台メディアテ-ク」と同様、設計コンペティションで伊藤豊雄さんの事務所が設計者に選ばれました。 1階の模型コーナーでは、隣接して建設される予定の岐阜市新庁舎の模型が一緒に展示されていました。調べてみると、新庁舎の方は伊藤さんの設計ではないようで、曲線を使った柔らかい印象ではありますが、模型を見る限り、比較的オーソドックスな庁舎のように見受けられました。 「みんなの森 ぎふメディアコスモス」は平面的にはシンプルな矩形の2階建ですが、2階部分の屋根には、多数の大きさのちがう「こぶ」のようなものが、まるで何かが湧き出たように、ぼこぼこと盛り上がっているのが分かります。
1階エントランスホール。写真中央左側に2階図書館へ上がるエスカレーターが見える。
天上からふりそそぐ光に導かれて2階へと登るエスカレーターとエレベーター
2階図書館の木で組まれたうねる天井。華奢なサイズの鉄骨柱が荷重を支えています
1階に展示されている2階天井木組みのモックアップ。ファブリックのような軽やかな架構です。薄い木材が層状(3層)に組まれているのがわかります。木材は岐阜県産の「東濃ヒノキ」 模型で見た屋根の盛り上がりの正体は「グローブ」と呼ばれる空間。トップライトのある頂上部から、光を通すファブリックで作られた大きな傘のようなものが、いくつもぶら下がっています。「グローブ」の下はそれぞれテーマや役割を与えられていて、利用者は「グローブ」の間を自由に移動しながら、思い思いに好きな時間を過ごすことが出来ます。よく見るとファブリックの模様は「グローブ」ごとに全て異なっているのが分かります。大きなグローブに囲まれてゆっくり読書が出来る場所。
「ゆったりグローブ」と命名されていました。
図書館全体は一つの街のようなオープン空間ですが、その中に「グローブ」でゆるやかに分節された小さな空間が用意され各々に機能が与えられています。閲覧スペースとなっているグローブでは、それを取り囲むようにグローブの役割に関連した書架が放射状に配置されています。来訪者は、大きな空間の中で自分の好みの居場所が見つけやすく、グローブの傘の下に身を置くと、適度な囲われ感の中で、上部からの拡散した穏やかな光や緩やかな空気の流れ、かすかな天井材の木の香りなどを感じながら、実に気持ちのよい時間を過ごすことが出来るのです。 うねる天井と頂部が盛り上がったグローブの形状にはちゃんとした理由があって、館内の空気の循環をスムーズにする目的があるようです。グローブの頂部には換気口があり、夏はこの換気口を開いて熱い空気を外に排出し、冬場は閉じて暖かい空気を逃がさずに館内で循環させるようになっているとの事。この当たりは、自然エネルギーを出来るだけ効率的に利用し一次消費エネルギーを削減するために、高度なシュミレーションが繰りかえされたであろうと推察します。 「光や風などの自然そのものをデザインに取り込みたい」とは、伊藤氏の最近の著書 「「建築」で日本を変える」―集英社新書 の中での言葉です。 あるべき空間の明快なコンセプトと、それを形にするための発想の新鮮さ、そしてそれを可能にする確かな技術力が合わさって始めて可能になる空間に感銘を受けました。 最近の建築雑誌の記事によれば、上記の木組み天井と屋根との間の空気層に水分が溜まり、図書室内への水漏れが発生しているそうです。空気層の中のグラスウールの水分が結露したと考えられること、また複雑な屋根形状のため手作業で屋根鋼板を施工した箇所に漏水が認められたこと、などが原因とされています。現時点では、屋根上に送風機を設けて、空気層の部分に風を送り込むことで改善されてきているとの事です。 やはり前例の無い新しいことに挑戦すると、想定外の事態が起きることもあるのでしょう。雨漏りは決して許されることではないですが、この木組みのうねる天井が、これだけ快適でユニークな空間を生み出すことに成功しているのですから、運営に携わる皆さんも市民の皆さんも、あまり目くじらをたてずに、どうか寛大な眼で見守っていって欲しい...建物を造る側の人間として、勝手ながらそう思いました。カテゴリ:
2017.10.31
竹橋にある東京国立近代美術館で、平成29年10月29日まで開催された展覧会「日本の家-1945年以後の建築と暮らし」。日本建築家56組による75件の住宅建築が、時系列ではなくテーマ(系譜)ごとの展示になっています。ローマ、ロンドンでも開催され、好評だった本展が最後に東京にやってきました。 メデイアでもそのユニークな内容が度々紹介されており、これは見逃せんな!ということで、急遽いそいそと東京まで出向きました。 東京メトロ東西線の竹橋の駅をおりると、近代建築の名作「パレスサイドビル」が目に飛び込んできます。白い円形のコア部分と黒っぽいオフィス部分との対比が鮮やかです。 美術館は皇居に近い北の丸公園にあり、道路をはさんですぐ向かいには石垣に囲まれたお堀があり、江戸城跡もすぐそばです。お堀の向こうには高層ビル群が望めて、まさにこれぞ東京!というロケーションです。 東京国立近代美術館は、谷口吉郎氏の設計ですが、2001年に坂倉建築研究所による増改築、2012年には開館60周年を向かえ、大規模なリニューアルが行われたそうです。本館の外観は、谷口氏らしい端正なモダニズム建築ですが、両妻側にすこし突き出して設けられた壁が、日本家屋の「うだつ」を連想させてくれます。正面のボックスが浮いたような横長のプロポーションと、その中にバランスよく配された開口部がスマートで格好いいですね。 展示は、1.イントロダクションから始まり、2.日本的なるもの、3.プロトタイプと大量生産、4.土のようなコンクリート、5.住宅は芸術である、6.閉鎖から開放へ、7.遊戯性、8.感覚的な空間、9.町家:まちをつくる家、10.すきまの再構築、11.さまざまな軽さ、12.脱市場経済、13.新しい土着:暮らしのエコロジー、14.家族を批評する、という13のテーマに分けて展示されています。時系列ではないので、同じテーマに新旧建築家の作品が並んでいたりします。建築の展覧会によくある作品主義、作家主義的な展示ではなく、住宅という万人に身近な建築を、様々な多角的視点から掘り下げて考察しようとする企画者の姿勢に共感できました。 注目すべきは、いくつかの住まい手のインタビュービデオが上映されていたことです。設計者の手を離れた後の、実際に住まう人の言葉を聞くことが出来るのは貴重な機会であり、人それぞれの住まいについての考え方に感銘を受けました。 ローマ、ロンドン、東京各都市で人気を博したのもうなづけます。 そして、展示の目玉はなんと言っても清家清氏設計の「斎藤助教授の家 1952年」の原寸大模型でしょう。今は取り壊されているこの住宅の竣工時の資料や解体前に撮影された写真などを参考に、建築の主要な部分がほぼそのまま、実物大で再現されています。私の生まれる1年前(65年前です!)に建てられたこの小住宅ですが、なんとモダンで伸びやかなことでしょう。 縁側、居間、食事室、和室が一体につながり、南面には巾9メートルを越える開口部が設けられています。障子を閉めると一転心地よい内部空間に。キャスターのついた可動式の畳や、一部が両面から使える居間と食事室を仕切るキャビネット(これは原物との事です!)などの仕掛けが楽しいですね。 当時の写真をよく見ると、建物の左の方の基礎がなく建物の一部が宙に浮いているように見えます。いわゆるキャンティレバーという構造形式ですが、既に建っていた住宅の基礎をそのまま利用してこの住宅が造られたそうなのです。コストを抑えるためか、記憶を繋げるためなのか、あるいは作者の遊び心なのかは定かではありませんが、いずれにせよ、地面からいくらも離れていない基礎部分でこの技を使うとは、なかなかユニークな発想だと思いました。 この原寸模型のおかげもあり、期間終了間際のこの展覧会は結構な盛況です。すぐ下の写真で、原寸模型の正面両側に青い色の壁が見えますが、ここに雨戸が納まっており、この雨戸の後ろの壁が、この住宅の9メートルを越える開口部を可能にするための耐震壁の役割を果たしています。
以下は、特に印象に残った住宅を紹介します。
白の家1966-篠原一男
「住宅は芸術である」の言葉で有名な篠原一男の作品。壁面一杯の写真がまるでその場に居るような気分にさせてくれました。中央の丸柱が象徴的です。 同じ作者の作品であるコンクリート住宅である「上原通りの住宅1976」に住む施主のインタビュービデオが上映されていました。「篠原先生はとても物腰のやわらかい女性的な人」「設計中の先生との会話はとても少なかった」「居間に立ちはだかる斜めの柱を邪魔だと思ったことはない」などのお話が印象的でした。中野本町の家1976-伊東豊雄
いまや日本を代表する建築家である伊東豊雄氏の初期住宅作品。円環状の空間が中庭を囲んで流動的につながっています。テーマは8.感覚的な空間の中の一品です。スカイハウス1958-菊竹清訓
大学の大大先輩でもある菊竹清訓氏の30歳の時の作品。4つの壁柱で主室(夫婦二人のためのワンルーム)が空中(2階)に持ち上げられています。「ムーブネット」と名付けられたキッチンや水廻り、収納は移動可能で、家具の配置と合わせて自在に空間構成ができるようになっています。この模型は、なんと主室の下に子供部屋がぶら下げられています。あくまで主室は夫婦のための空間というコンセプト。ここでのテーマは、14.家族を批評する。T-House2005-藤本壮介
右側のダイアグラムと模型とを並べてみました。扉の無い部屋が重なってつながる平屋の住宅です。家族は4人とのことですが、各部屋にはしっかりと役割が与えられ、壁の片面は白いペンキ仕上げ、その裏側は木の素地仕上げとなっています。各々の居場所からどんな景色が見えるのか体験してみたくなります。そしてどこに居ても、近くても遠くても、見えても見えなくても、家族の気配が感じられることでしょう。開拓者の家1986-石山修武
コルゲートパイプで出来たこの家は、設計者から送られてくる図面を基に、施主がほぼ自力で施工したというから驚きです。インタビュービデオにも登場しているこの施主は建築が専門ではなく農業を営んでいるそうです。しかも1976年の24歳の時につくり始めて以来、今日まで40年に亘って手を入れ続けているとの事。テーマは12.脱市場経済。天神山のアトリエ2011-生物建築舎
これはガラス屋根で覆われたコンクリートの箱で出来たワンルーム。居住スペースもあることはあるが、ほとんどは設計事務所のオフィスとして使われています。土間は土のままのようであり、室内に大きなユーカリの樹が植えられています。作品のそばでは、ひたすらこの場所での時の移ろいを淡たんと写したビデオが静かに上映されていて、思わず見入ってしまいました。おおらかにあるがままの自然を受容する家。 月並みな言い方をすれば。住宅は建築設計の原点です。大学の設計実習でも住宅は一番最初の課題でした。この展覧会に登場している建築家で言うと、当時建築学科の講師をされていた石山修武氏の指導を受けたことがあります。当時バンド活動に熱中していた私は、課題の作成に十分な時間をとることが出来ずに、しかたなく泥縄でおざなりな案を提出し、しどろもどろになりながらも何とかとりつくろって石山氏の前で説明したところ(一人一人が石山氏の前で自案のコンセプトを説明する授業でした)、石山氏は私の欺瞞をすぐに見抜かれたのでしょう、ほとんどコメントらしいコメントもしてもらえず、恥ずかしい思いをした記憶がよみがえります。 本展のテーマ4.土地のようなコンクリート で紹介されている東孝光氏の「搭の家」は、その頃、青山辺りで遊んだついでに何度か立ち寄って前からしげしげと眺め、あの荒々しいコンクリートの肌合いと、東京のど真ん中6坪の土地で何としても都市にすまうんだというその強靭な意志に感銘を受けたものでした。後年、大阪出身の東氏は「大阪市ハウジングデザイン賞」の審査員をされていたことがあり、私の設計した作品をいくつか見ていただく機会がありました。1997年に賞をいただいたRE-SOUL清水谷の審査の折には、当時雑誌で紹介されていた東氏の事務所のデスクレイアウトを参考にした私の事務所にも立ち寄っていただきました。その折はゆっくりとお話する時間もなく「では田中さん、またあらためて!」と言い残し、急いで次の審査に向かわれたのですが、以後お会いすることが出来なかったことが残念でなりません。 少し話がそれましたが、日本の建築家は住宅の設計からそのキャリアをスタートさせることが多いようです。私の場合も独立して最初の仕事が住宅でした。当時の私はクライアントの要望を形にすることに必死でしたが、建築家の姿勢次第では、住宅設計を通じて、家族のあり方、時代や社会、環境との関わり方、あるいは新しい素材や構法等について、ラディカルな提案を行うことも可能であり、そのためにはクライアントとの対話を繰り返して、住まいについての考え方をしっかりと共有することができるか、あるいは、とにかく始めからクライアントの全幅の信頼を得た上で設計をスタートさせるか、のどちらかが必要だと思います。大雑把に言うと、設計実績の少ないうちは前者、ある程度実績が出来てくると後者かと思いますが、そういった志の高い建築家の思いが詰まった住宅が、本展で特徴的なテーマごとに取り上げられているというわけです。 もちろん住宅への住まい手の思いは切実ですから、住宅設計を手掛けるには私達にもそれなりの覚悟が必要です。「クライアントの思いに負けず」に、「クライアント以上に考えなくてはいけない(プロの目で)」のです。だからこそ住宅設計はたいへんですしやりがいもある。住宅設計を通して、これからの「住まい」や「建築」の本質を見出した中から、先進的な考え方を提示することが出来れば、設計者冥利につきるというものです。もちろん「クライアントファースト」であることは忘れずに。カテゴリ:
2017.08.24
お盆休みを利用した東北旅行で、かねてから行ってみたかった伊藤豊雄氏設計の仙台メディアテークを、ようやく訪れることが出来ました。 東日本大震災で打撃を受けた内装も復旧されており、お盆休みの最中の土曜日でしたが、仙台市民の皆さんが気軽に立ち寄れる図書館やアートギャラリーなどを含む複合的公共施設として、朝から賑わっていました。
1階ロビー越に仙台市のメインスストリート定禅寺通りのけやき並木が望めます。
何と言っても特徴的なのは構造形式です。一見するところ柱も梁も見当たりません。柱の役割を果たしているのは、白い鋼管トラスでつくったチューブ状の独立シャフトです。平面的にアットランダムな位置に合計13本が配置されていて、チューブの中身はエレベーターや階段、設備シャフト等、各階を縦につなげる用途としてそれぞれが利用されています。チューブの最上部からは空からの光が降り注ぐという斬新な構造体です。 床はと言うと、梁の無い鉄骨フラットスラブ(ハニカムスラブ)というもので、鋼板のサンドイッチ構造となっているので、フラットな天井が伸びやかに広がっています。 このまるで樹木のようなチューブ状のシャフトとフラットな天井の他には、壁や仕切り等はほとんど無い空間。それは、伊藤豊雄氏の言葉を借りれば、「公園のように、自分の好きな場所を選んで自由に過ごすことが出来る空間」です。チューブの中の黒い部分は設備シャフトとなっています。
1階ロビーにあるカフェスペース。中央が盛り上がったテーブルがユニークです。
このチューブの中には階段が納められています。
2階~4階は仙台市民図書館となっており、開館前からたくさんの市民の皆さんが列をつくっていました。写真撮影に興じていると、昨年の富山のキラリに引き続き、ここでも図書館の係りの方に呼び止められ、1階の受付で写真撮影の許可を受けてくださいとの事。急いで1階の受付まで降りて、カウンター内の女性に「すみません。写真撮影の許可をいただけますか~。実はもうたくさん撮っちゃったんですけどねぇ・・」と御願いすると、女性は私をとがめることもなく、ただ「アッハッハッハ~」と高笑いしながら、注意事項を書いた紙と撮影許可のバッチを手渡してくれました。富山のキラリに比べてずいぶんと大らかな対応に、昨年同様少しだけムッとしかけていた気持ちが和らぎ(笑)、以後は心置きなく撮影に励むことが出来ました。(もちろん一般の方々に不快感を与えるような撮り方はしていませんので念のため)フラットな天井と白いチューブの空間に開架式の本棚が並ぶ様は圧巻。
天井から吊り下げられた照明器具が天井を照らし、柔らかな光に満たされます。
こちらはエレベーターのあるチューブの出入り口。
この建物で唯一の原色である、チューブを囲む家具の鮮やかな赤が眼に飛び込んできます。
外周は透明な皮膜で覆われています。
1階へと下るエスカレーター。正面ガラスの向こうには定禅寺通りが見えます。
これ以上ないくらいに明快なコンセプトと、それを可能にする確かな技術力。このユニークな構造設計を担当したのは佐々木睦朗さんという構造家。構造設計者はあまり表に出ることは少ないのですが、この建築での佐々木氏の役割はとても大きくて、建築を創り上げていく上で、意匠と構造の理想的なコラボレーションがここに実現していると言えます。 コンペで選ばれたこのメディアテークですが、当初はクライアントである仙台市に理解してもらうのはたいへんだったようです。チューブ状の柱はフロアの邪魔になる、効率が悪いなどとずいぶん非難されたとの事。ところが工事が進んで建築が形になり始めると、役所の方も施工会社も反応が変わってきて、「今まで見たことのない新しいものを自分たちはつくっているんだ」という自負心が生まれ、つくることを共有できるようになったそうです。つまり建築はコミュニケーションの場を提供するのではなく、建築をつくることそのものがコミュニケーションであり、そこにコミュニケーション空間があるのだ(PHP新書:日本語の建築-伊藤豊雄著-より)と伊藤氏は述べています。 特に東日本大震災を経験した以後の設計作業で、自主的にワークショップ等を開催するなどして、その建築に関わる地域の皆さんの意見に耳を傾け、垣根の無いコミュニケーションの中から、みんなで一緒に建築を創り上げていくことに意義を見出そうとする伊藤建築の原点が、この仙台メディアテークにあるように思いました。カテゴリ:
2017.07.20
2001年に開館した安藤忠雄氏設計の司馬遼太郎記念館。近くまで行く機会があったので、ぶらりと立ち寄って来ました。 東大阪の住宅地にある司馬氏の居宅が保存され、隣接した敷地に新しいコンクリート打放しの記念館と駐車場が整備されています。入り口の自動券売機で入場券を購入して敷地の中に入ると、係りの方から虫除けのうちわを手渡され、雑木林のような庭を進むと、司馬氏が亡くなった当時のままの書斎がガラス窓も通してのぞめるようになっています。 居宅には司馬氏が執筆の参考にした6万冊の書籍がそのまま保管されているそうで、書斎の奥にその一部を垣間見ることができます。6万冊です!半端な数ではないですね。 庭をさらに進み、ゆるやかな曲線を描くガラスのスクリーンと打放し壁に囲まれたアプローチをたどると記念館の玄関に至ります。まあここは安藤建築(というよりモダニズム建築)の定番マテリアルで、鉄とガラスとコンクリートの単純明快な空間に自然の緑が映えてます。狭いアプローチを歩いていると硬質な素材に囲まれているせいか、同行した家内との会話が妙に響くのが気になりましたが、これも入館の前に来訪者の意識をリセットする演出なのかも知れません(考えすぎか(笑))。 さてさて館内に入ると、膨大な本の壁に囲まれた地下階を含む3層吹き抜けの空間が目に飛び込んできます。これは圧巻。どきもを抜かれました。ここには2万冊の書籍が収まっているそうですが、本物の本は全て居宅の方に保管されているため、居宅にあるのと同じ本を2万冊、展示用として新たに用意したらしい!!本は眺めるだけで手に取ることは出来ません。吹抜け空間の奥には、ステンドガラス(といっても色はついていない)がはめ込まれています。ここでロビーで購入できる記念誌の中にある安藤氏の言葉を少し紹介しておきましょう。 「司馬さんが背負ってきた蔵書に囲まれた暗闇に、ステンドガラスを通してかすかな光が入り込んでくる、この空間で、司馬文学を生み出した作家の精神世界を表したかった。司馬さんは、行く先の見えない戦後日本の闇に、先人の偉業を通してこぼれおちるかすかな光を見出しながら、人々に希望を与えてきた。ステンドガラスには、大きさと形、そしてその表情の全てが異なるガラスがはめ込まれている。その不揃いのガラスは、日本人一人一人の、個人の持つ力を最後まで信じていた司馬さんの思いに応えるものであり、それを通して室内に差し込む不揃いの光は、司馬さんが求め、探し続けてきた人々の夢と希望を象徴するものである」 司馬さんやこの記念館に寄せる建築家の熱い思いが伝わってくる文章ですね。安藤さんなりに解釈した司馬さんの思想や業績が、たいへんシンプルでわかりやすいコンセプトで建築空間として具現されています。しかし、膨大な蔵書に裏付けられた司馬さんの業績を表現するのに、司馬さん自身の所有物ではないとは言え、貴重な本を展示物(ディスプレー)のように扱うことにはおそらく賛否両論があるかも知れません。「暗闇に・・・かすかな光」というには、結構ステンドガラスの面積が大きく、かなりの量の光が降り注ぐので、歳月を経るごとに大事な本たちも日焼けで変色していくことでしょう。しかしながらそういった負の側面を差し引いても、この空間は、正に安藤流の直球勝負で、有無を言わさず、訪れる人の心にダイレクトに訴えかけてくる強烈な力を有しています。 上の写真は窓際のステンドガラスと本の壁で囲まれた空間を見上げたものですが、コンクリート打放しの天井の右下の方に、人の顔型の黒ずんだ沁みがあるのがわかるでしょうか?館側の説明によれば、この沁みは司馬さんの「竜馬がいく」の主人公坂本竜馬が天井からのぞいているのだそうで、思わずしげしげと見上げてしまいました。 展示ホールには司馬さん自筆の原稿などを納めた展示ケースが置かれており、また地下にはビデオ上映や講演会が出来る小ホールがありますが、司馬遼太郎記念館は、これら建築空間自体が展示作品であり、そこにしばし身を置いて司馬さんの世界に触れる中で、人それぞれが自分なりに思索を深めることが出来る場所なんだろうと感じました。 若輩の私が言うのもたいへん失礼ではありますが、やはり安藤建築はこのぐらいのスケールの小品がいいです。
側面の道路からガラスのファサードを見る
地下へおりる階段室がアールの壁面から突出しています
植栽越しに階段室の前のドライエリアを望む
通用口のある敷地の裏側。周辺の住宅地のスケールから突出せず建っています
この建物の兄弟分というか、続編というべきか、安藤建築の新作「子供本の森中之島」探訪記を当blogにアップしていますので、併せてご覧ください。
https://tk-souken.co.jp/wordpress/blog/6189/カテゴリ:
2016.11.29
W.M.ヴオーリズの設計で、昭和12年に竣工した豊郷小学校旧校舎群。 一時は新校舎建設によって取り壊しの危機に瀕しましたが、永年地域で愛されきた校舎を惜しむ声からの保存運動の結果、平成20年から大規模改修が施され、現在は地域の教育・福祉の拠点として活用されています。 見学も自由に出来るので、11月の休日、湖東三山の紅葉見物のついでに、ぶらりと訪ねて見ました。 上の写真は、玄関を入ってすぐの展示室(旧職員室)に置かれている竣工当時の全体模型です。外観の基本はシンメトリーで、当時のモダニズムの手法を取り入れたものですが、外壁のレリーフや出入り口廻り等の控えめな装飾が、ヴオーリズらしい優しさと温かみを感じさせてくれます。 鯉の噴水のある円形の池を中心とした前庭も、建物と調和したモダンで格調のあるものですが、この造園の設計は、日本で最初のランドスケープアーキテクトとされる戸野琢磨氏の手になるとの事です。 この時代、しかも地方の一小学校建築に、建築と造園各々の第一人者によるコラボレーションが実現している事に感銘を受けます。建設当時「白亜の教育殿堂」、「東洋一の小学校」などと称されたと言われる威風堂々の外観をしばし眺めていると、この小学校出身の寄贈者である古川鉄次郎氏(当時の丸紅専務)の郷土への愛情と教育への熱い思いが伝わってくるようです。 1階の廊下は一直線にのびて100メートルもあります。床は南洋材のアピトンのフローリング貼。教室への出入り口は引戸ではなく、木製の片開きのドアで、床には開けたときの軌跡が描かれています。木製3段の跳ね上げ式の窓も、とてもモダンな設えですが、最上段は廊下側に、下2段は教室側に開くようになっていて、当時、元気よく廊下を走り回ったであろう児童達にぶつからないように配慮されています。 特徴的なのは、ユーモラスな階段の意匠です。手摺や壁面は、柔らかい曲線を用いてデザインされていて、手すりには、うさぎと亀の像が。そう!イソップ童話の物語を元にデザインされているのです。 一つ前の写真は、よーいドンでスタートするところ。手すりの途中には、油断して眠っているうさぎや、コツコツと着実に歩んで最後には勝利する亀の姿が配されています (上の写真) 。 児童が、階段の手すりを滑り台がわりにして遊ばない ( 昔よくやりましたね! ) ような配慮もあったのかも知れません。 上の2枚の写真は、建物の両ウィングの内、向かって右側にある講堂です。現在も卒業式に使われているとのことですが、とてもシンプルで明快な意匠です。 特徴的なのは、両サイドに並ぶ5段の縦長窓。窓下の穴にハンドルを差し込んで、5段の窓全てが一度に開けるようになっていたようですが、当時としては珍しい仕掛けだったのではないでしょうか。 (現在は最上部が火災時に自動で開くようになっているとの事ですが、一部の窓は当時の機構のまま復元されています) 80年にも及ぶ時を経る中で、大切にメンテナンスが施され、何代もの記憶を繋ぎながら、今なおバリバリの現役として使い続けられている…その空間がこうして常時一般にも公開されているのは素晴らしいことです。 上の写真はウイングの左側にある酬徳記念館。当時は酬徳記念図書館として一般開放されていたそうです。 手摺や梁部分の意匠に工夫がなされていて、旧校舎群の建物の中では最も装飾的な空間となっています。現在は、観光案内所やギャラリーなどに利用されています。 尚、私はまったく知りませんでしたが、この校舎群は、ア二メの舞台としても有名だそうで、そのアニメに関連した展示が沢山あり、建築や教育に関心のある人のみならず、アニメの聖地としても多数に親しまれているのが分かりました。
校舎の廊下から庭園を望む
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2016.10.05
築地市場から移転予定の豊洲市場。建物の下に盛り土がされていなかった問題について、連日メディアを賑わしています。 専門家会議で、土壌汚染対策として、敷地全体に盛り土をすることになっていたのにもかかわらず、建物の下には盛り土がなく、実は巨大な地下空間が広がっていました。 ところがこの事実が、移転する当時者を含めてまったくこれまで説明されておらず、小池知事になってから突然に判明。 誰がいつどのようにして、この専門家会議での方針を反故にする決定を下したのか・・の犯人探しは、超巨大組織の都庁であるが故に難航しているようです。 「建物の下に盛り土がなく、ピット空間が・・・」 この話を聞いたとき私は、実はそれほど驚いたわけでは無く、そして正直これほどの騒ぎになるとは思いませんでした。 さてその理由は・・・・ ◆建物のない敷地全体の7割は、当然盛り土がされています。 ◆土壌汚染対策としては、厚さ10センチ以上のコンクリートがあれば、盛り土の替わりになるとされていますが、この地下空間と地上階との間には30センチ~40センチのコンクリートスラブが打設されているようです。 ◆豊洲市場のような巨大なスケールの建物であれば、当然基礎もそこそこのボリュームになります。そして、建物の下部には、通常は設備配管の設置が必要で、土を埋め戻してしまうとこれら配管のメンテナンスが出来ませんから、ある程度のピット空間はどうしても必要となります。 ◆入れ替えがなされていない盛り土より下の地層についても、汚染対策処置がされているようですが、都の説明によれば、将来の地下水の変動等によって新たに有害物質が生じないかどうかを、調査する必要があり、そのためのモニタリング空間としてこの巨大な地下空間を設けたとのことです。つまり、ピット空間の床にはあえてコンクリートを打たずに、いつでも地下水の状況を調査することができるようにしておき、万が一有害物質が確認されれば、場合によっては重機を巨大な地上のマシンハッチからこの空間に搬入して、さらなる土壌汚染対策工事を施すというわけです。 ◆ピット内に生じた地下水を処理するための排水システムも用意されているようですので、このシステムが本格稼動すれば、現在大騒ぎになっているピットの床にたまった地下水もなくなるでしょう。 さて、どうでしょうか。 本来、技術的には問題解決の方法はいくつかあるはずなのに、マスコミの少々片寄った報道のせいもあって、専門家会議で提言された「盛り土をする」以外の方法は認められない!!といった風潮に現状では傾いているようです。 確かに都がこれまで説明責任を充分に果たしていなかった事は大きな問題だと思いますが、上記の点を技術的な観点から総合的に判断すれば、この地下空間を設けたこと自体、むしろ合理的で妥当な判断だったように思えます。 そういった意味で、おそらく建物の設計に実際に携わった担当者からしても、建物の下に盛り土をする代わりにモニタリング用の地下空間を設けることに、将来にわたっての土壌汚染対策上、意義があると考え、むしろ確信を持って設計を進めたのではないでしょうか。ただ敷地の一部であるにせよ「盛り土をしない」という選択は、一般の素人の目には、極めて大きな変更と映りますから、やはり「盛り土をしない」という決定をした時点で、都はしっかりと公表して関係者に説明するべきだったと思います。それがその時点できちんと為されていれば、今日のような大騒ぎにはならなかったでしょう。 いずれにせよ、この巨費を投じた豊洲市場がマスコミの過剰な報道によって、風評被害といった状況に陥ってしまうのは困ったことですから、設計にあたった都の建築責任者は、これまで説明が不足していたことを真摯に詫びた上で、設計事務所ともよく協議をして、現状の設計になった経緯と理由を、自信を持ってきちんと説明する場を設けるべきです。 もちろん、現状のピット空間で採取される地下水やピット空間自体に基準値を超えるような有害物質が含まれていないことを、充分に調査しきった上で、現実的には安全性に問題ないことを証明してからであることは言うまでもありません。 しかしながら、もし今後環境アセスメントの一からのやり直しが必要で、たとえ結論に変わりはないとしても、その作業に相応の期間が必要であるとなれば、その点においては、やはり進め方がずさんだったと言わざるを得ないでしょう。問題が発覚しなければ、果たしてどうするつもりだったのか?ということですね。 ただしかし、この問題に関してのマスコミの報道姿勢は、先にも書いたように、技術的検証を欠いたまま、「盛り土をしなかったのは悪いことだ」とばかりに決めつけて、その責任を追求する論調が目立ちます。いかに一般市民がマスコミの影響を受けやすいかを思えば、これはかなり問題だと思いますが、このような総合的で技術的な判断を伴う建築・土木の諸問題、一般市民(報道する側のマスコミも含めて)が容易に理解するのは、なかなか難しいでしょう。マスコミはどうしてもセンセーショナルな論調の方に傾きがちです。 この豊洲盛り土問題、都側の当事者の側からすれば、一度このような形で世に不信の念を抱かせてしまうと、今後は、よほど丁寧に真摯に説明しない限り、中々信頼を回復するのは難しいかも知れませんね。 そこで、我々第三者の専門家の側としては、この問題を適切な技術的観点からきちんと検証した上ではありますが、マスコミの報道が偏ったものであればそれをしっかりと正し、少なくとも豊洲のピット空間が、建物の下に盛り土をするのと同等もしくはそれ以上の効果がある事を、予断を排して、誰もが理解出来る様に丁寧にわかりやすく説明を尽くす責任があるのかも知れません。
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2016.08.22
3つ目の建物は、この小旅行の最終日、閉館間際の夕刻に訪ねた「鈴木大拙館」。 ニューヨーク近代美術館など、多くの優れた美術館建築を設計している谷口吉生氏の作品です。 谷口吉生さんは私の大好きな建築家の一人です。 どの作品も、設計コンセプト、空間構成、素材の選択、ディテール、どれをとっても完璧に隙が無いくらい考えぬかれています。決して奇をてらったり大袈裟なことはせず、あくまでも作品の洗練度を高めることに注力する職人的なこだわりの積み重ねの結果に生まれる空間は、極限まで研ぎ澄まされていて、どこをとっても凛とした風格を漂わせています。 ですので、その作品を目にするといつもしゃきっと背筋が伸びて気が引き締まり、自分ももっと頑張らねば・・という気にさせられるのです。
アルミルーバーで覆われた簡素な、建物へのアプローチ
右は「玄関の庭」。左は「展示空間」に至る内部回廊
もちろん、この「鈴木大拙館」も例外ではありませんでした。 「鈴木大拙館」は、世界的な仏教哲学者である鈴木大拙の生涯に学び、その思想に出会う場所として、金沢市生まれの鈴木大拙の生家の近くにひっそりと建っています。館内は、鈴木大拙を知る「展示空間」、鈴木大拙の心や思想を学ぶ「学習空間」、それぞれ自らが考える「思索空間」の3つの空間で構成されています。玄関を入るとまずクスノキのある「玄関の庭」が見え、次に光がコントロールされた長い内部回廊を経て、「展示空間」に至ります。右側の独立した建物が「思索空間」棟
右側が「思索空間」に至る外部回廊。正面の石張りの壁の向こうが「展示空間」
「展示空間」に隣接した「学習空間」は「露地の庭」が望める落ち着いた空間です。来訪者はこの「学習空間」から風除室を通り外部に出て、「水鏡の庭」に面した外部回廊を歩きながら池に浮かんでいるかのような「思索空間」にアプローチしていきます。この外部回廊は、先の内部回廊と一枚の壁で仕切られていて、対照的な往路(内部)と復路(外部)が表裏一体となっているところが、この平面計画のポイントでしょう。隣地の緑に映える端正な建築。水面のかすかな揺らぎが静けさを感じさせてくれる
「思索空間」の開口部は、絞りこまれた美しいプロポーション
この建物の中で大きな面積を占める「水鏡の庭」は、時に移ろいゆく水面から鈴木大拙の精神である「静か」「自由」を表現したとの事です(作者注)。独立した一棟である「思索空間」はこの建物の核となる正方形平面の空間。90センチ画の束立ての畳を自由に組み合わせることで、思索、語らい、茶会などの利用が想定され、三方に穿たれた開口からは、それぞれの池越しの静かで落ち着いた空間を垣間見ることが出来ます。ここは時を忘れていつまでも座っていたくなる場所で、まさに「鈴木大拙館」の精神を象徴する空間となっています。 以下はこの作品が掲載されいる「新建築」という雑誌に作者が寄せた文章です。アプローチ側にある建物の銘板
「建築交流ネットワーク協定の締結」を記した銘板
上の最後の写真は、谷口吉生氏が設計した美術館や博物館が連携して「建築交流ネットワーク協定」締結したことを記した銘板で、氏の「質の高い意匠」を共通の特色として認識し、相互に連携して振興を図ることに同意したとされています。 これまで氏が設計した建物のクライアント(管理運営者)全てが氏の設計した建物に敬意を表し、これからも大切に使っていきましょうね!と誓っている・・ まさに建築家冥利につきるこの銘板に、羨望と感動を覚えました。カテゴリ:
2016.08.21
次に金沢で訪ねたのは、「金沢21世紀美術館」。 私は開館間もない頃に訪れて以来2度目でしたが、今や旅のガイドブック等にも大きく取り上げられ、金沢の新名所となった感のあるこの建物は、たいへんな賑わい。一般的な美術館と比べて若い人が多いように思いました。 建物はシンプルな円形平面で、外は思い切り開放的なガラススクリーンで覆われています。これだけ開かれた美術館はあまり前例がありません。内部も、いくつかの展示スペースが中庭や光の入る回廊をはさんで、分散して配置されていて、迷路のようです。迷路といっても決して閉鎖的ではなく、ごく近くにあって視覚的にはつながっていても、動線的にはぐるりと回っていかないとその場所に行けない・・といったシチュエーションがいくつか用意されていて、展示だけではなく、内部を歩きまわる過程そのものを楽しめる美術館といえます。街中で、ウィンドウショッピングをしている感覚に近いような気がしました。 外部の遊具などが設置された広場に面したロビーには、誰でも気軽に入って思い思いにくつろぐ事が出来、併設されているカフェも開放的です。建物自体では決して主張せず、ただアートを鑑賞するというだけではなく、この場で生じる様々なアクティビティの可能性を広げる事に主眼が置かれているようでした。 ただ一部に汚れが目立つ庇のない大きなガラススクリーンのメンテナンスや、猛暑の午後に西日を浴びて一時的に高温になっているロビーがついつい気になってしまうのは、小心な建築家の哀しい性かも知れません(笑)。
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2016.08.20
夏休みを利用して北陸の旅。富山から能登半島経由で金沢への今度は車でのドライブ旅行です。 どうしても職業柄、建築が気になります。 まず一つ目は富山市内で、RIA・隈研吾・三四五 設計JVの「TOYAMAキラリ」を訪れました。 外観は、ガラスとアルミに石材という地元富山の素材を組合わせて、「キラキラ」させようとしたとの事ですが、時間帯にもよるのかも知れないけど、少し饒舌な印象で、正直あまり美しいとは感じませんでした。「高級な素材をつぎはぎして作った贅沢なバラックのよう」と言ったらちょっと言い過ぎでしょうか。これだけのファサードは決して半端な費用では出来ないでしょうから、富山市民の皆さんの評価を聞いてみたいと思いました。 内部は、銀行とガラス美術館、図書館やカフェなどが複合したもので、建物の中央を斜めの吹き抜けが貫き、それらの用途を含む内部空間全体が大きな一体的空間となっています。火災時等に吹き抜け部分を区画する防火戸やシャッターなどが一切ありません。これは全館「避難安全検証」により可能になったものとの事ですが、これほどまでの縦に重層した空間を一体的に扱った事例は珍しく、1階から最上部のトップライトまでが一気に見渡せる中、各階のエスカレーターがセットバックしながら上階へと登っていく様はなかなかの迫力です。柱や壁の随所が鏡貼り(実際はステンレス鏡面仕上げ?)になっていることも、空間の一体感と視界的な広がりを演出しています。 おしむらくは、斜めの吹き抜け空間に沿って配された冨山産杉材の木製ルーバーが、外観と同様やや煩雑な印象を与えてしまっているのが少し気になりました。このルーバーで斜めの吹き抜けを強調したとの事ですが、逆にこのルーバーがなければ、もう少しこの空間全体がすっきり見えたかも知れません。確かにこのルーバーがなければ「斜めの吹き抜け(光の筒)になっている」ということが、一瞥してわかりにくいかも知れませんが…しかしわざわざその事を感じさせる(説明する)必要があるのかどうか?この建物の空間自体のプロポーションや光の入り方を目にすることで、訪れる個々人が自然にこの空間を受け止めればそれでよいのではないか?という気もしました。 しかしまあここらは好みなのかも知れません。地元産の素材を積極的に用いて木の暖かさを表現し、トップライトから斜めにふりそそぐ光が木漏れ日のような空間を創る(作者談)という設計者のコンセプトは、素直に評価すべきなのかも知れません。 ところで、写真撮影が禁止ではないということで、家内と写真撮影に興じていると、係りの方から2度注意を受けました。 一回目は、展示室の中で、コンパクトな伸縮式の簡易な20センチほどの三脚付きのカメラを持っていると、「三脚は展示を見る人の妨げになるので、はずしてください」と。三脚は、短くたたんでそこを掴めば持ちやすいのでカメラに付けているだけで、伸ばして立てて使うつもりはないのだ、と説明しても、どうしてもはずしてくれと言う。 2回目はロビーで吹き抜け空間にカメラを向けていると、再び係りの人に呼びとめられ、「写真撮影されるであれば折り入って伝えたいことがある。それを説明するので、その後、書面に確認の署名をしてください」と。おそらく自分にカメラを向けられたと感じると、不愉快に感じる人もいるので、充分気をつけて撮してください、という主旨だと思うのですが、署名とまで言われるとさすがに面倒くさくなり、もう撮影は終わりました!と告げて、何とかご勘弁いただいたという次第です。 どこからでも隅々まで見渡させる一体的な複合空間。写真撮影が自由とされている展示室。まだオープンしてまもないこともあり、管理運営する側でも色々と思考錯誤している段階なのかも知れませんが、必要以上の行き過ぎた管理(監視)のために、このユニークな建物が、作り手が意図した施設のあり方と違う方向に行ってしまうことの無いよう願いたいものです。始終どこかから監視されている街など、決して居心地のよいものではありませんから。
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2016.05.19
保存改修工事が完了したロームシアター京都(旧京都会館・1960年完成)の見学会とシンポジウムが、平成28年5月10日(火)日本建築学会 近畿支部 の主催で開催されたので、出かけてきました。 この度、その建築作品の数々が世界遺産に登録されることになった建築家ル・コルビジェの弟子である前川國男設計のこの建物は、言うまでもなく日本近代建築の代表作です。 2010年に「オペラハウスに建替える予定」と新聞紙上で発表されると、各界から強い疑問と反対の声があがった事は、我々建築に係わる者にとっては記憶に新しいところです。 以後、多くの議論を経て、残すべきものは残し、改修すべき部分は丁寧に改修する、既存を尊重しながら必要なものを付加する、そしてどうしても現在求められる機能が果たせない部分についてはやむなく建替える、という方針のもと、今私達が目にすることが出来るロームシアター京都が完成しました。今後、モダニズム建築の保存改修を考えるにあたって、優れた試金石となる素晴らしい事例だと思います。
岡崎公園につながる広場からの眺め
二条通東側の景観。1階にはブック&カフェ(TSUTAYA)2階にはレストランが入っていて、街路に賑わいが生まれて随分親しみやすい印象となりました。
多目的ホールとして生まれ変わったサウスホール
正面に、今回新たに付加されたガラス貼りの共用空間が見えますが、水平に伸びた庇が強調された建物全体の印象はほとんど変わっていません。正面右奥にレンガ張りの大ホール舞台部分の壁面が見えます。この部分の高さは、既存より高くなっていますが、写真右手前の客席部分は勾配屋根を用いてボリュームが抑えられているので、違和感は感じられません。
4階メインホールのホワイエ。東山の山並みを望む大庇上のテラスに面しています。
いかに優れた建築であっても、時の流れと共に老朽化し、また機能面でも時代に合わないものになっていくのは否めません。よって、建築物を時の経過に抗って化石のように当時の姿のまま保存するのが決して正しいとはいえず、時代の流れの中で人々に愛され永く使われ続けることが建築物としての本懐でしょう。優れた建築を「残す」ことと、その建築が生き続けるために「必要な手を加える」ことは、同義であると言えます。 「ロームシアター京都」では、この前川國男の名作をしっかりと次世代に引き継ぐために、「時代ごとの新しい価値を、古い価値の上に重ねていく」というコンセプトで、保存改修が為されました。 現在の日本に数多く存在する優れた「モダニズム建築」を生かすためには、既存建物の設計者の意図を充分に読み込んだ上で、新しい現代の設計者が、その特質を損なわないため必要な保存改修のスキルを存分に駆使し、さらに時代や環境が求める新しい空間の価値を付加していくこと、そしてその結果として、さらなる時の流れの中で変わらず人々に愛され続けることです。 「ロームシアター京都」は、今後建築物の保存改修を考える上で多くの示唆に富んだ「モダニズム建築の再生」事例であることは間違いありません。