熊野古道なかへち美術館

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2023.08.14

    台風7号が日本のお盆を直撃する前の休日、今日しかないな!と思い立ち、南方熊楠記念館と並んで和歌山で一度は訪れて見たかった熊野古道なかへち美術館へ。 大阪から、紀の川サービスエリアで茶そばと天ぷらのランチタイムと、この時期にしては意外と軽めの道路渋滞をはさんで、のんびりドライブすること4時間あまり。   熊野本宮へと続く山間の道路沿いの一画に忽然と現れたガラスと鋼板で出来たシンプルな箱たち。高さを抑えたフラットルーフ平屋のファサードは、周囲の景観を決して損なうことはなく、ごく自然にこの歴史ある場所と折り合いを付けたかのように佇んでいました。 1998年築の25年目。一度の改修工事を経たとはいえ、外装カラー鋼板のペコつきと色褪せ、外壁と屋根の簡素な取り合い部分の錆と汚れ、内部のホールへと続く天井裏への雨漏りの痕跡等々、歳月の流れを感じさせる箇所がいくつか見受けられました。 地方の小さな公共の美術館でありながら(いやそうであるからこそ。。)当時の新進気鋭の建築家(これが最初に手掛けた美術館。今や世界的に活躍されています)を起用して生まれた優れた建築ですが、一方でこの種の建築の維持管理の難しさを感じさせられました。   建築というものは、その場所との折り合いをつけると同時に、その先に続く永い歳月との折り合いをいかにつけていくか。。という事も大切です。 関西の大先輩建築家、出江寛氏の「古美る」という言葉が思い起こされます。       受付のあるロビーからエントランス方向を望む。わずかに彎曲する壁面が来訪者を展示室へと誘います。 ここで少し気になったことが2つ。一つはガラス面に半分だけ降ろされたロールスクリーン。この時間は直射日光の差し込みもないので、出来る限りガラス面は開放してすっきりさせたいところ・・ もう一つは、このガラス面に固定された展示のためのホワイトボード。このボードに貼り付けられた展示ポスターのサイズが、正方形のホワイトボードと合っておらず、だらしなく紙が下にはみ出してしまっている・・ 細かいことばかりですが、こういった部分にしっかりと神経が行き届いていれば、その建築を大事に思う発注者の気持ちが伝わってきて、設計に携わるものとしては(自分の設計したものでなくても)ほっこり嬉しい気持ちになるのですが。。やや残念。 というか、こんなことが気になってしまい、純粋に肝心の展示を楽しめないのは設計を生業とする者の性か・・むしろそっちの方が残念なのかも。     上の写真は、この美術館で設計者の展示会が開催された時のパンフレット。よくよく見ないと読めない せじまかずよ という細長いたてがきのサインがかわいい。      

ガラスのコーナーに設置されたアート作品。外の景色が借景となっています

          このロビー(交流スペースと名付けられています)はいかにも妹島さんらしい空間。ツヤのある壁面のパネルが外の景色をほのかに映し出しています。地域の皆さんも含めた交流の場としても考えられているそうです。     真っ白な空間に白いテーブルと原色のチェアー。オレンジの入ったTシャツが映えそうだったので思わず自撮り(蛇足でした)      

壁面に穿たれた空調の吹き出し口

     

ロビー(交流スペース)から見えるのどかな川沿いの景観

       

屋外に置かれたアート作品

      ロビー(交流スペース)の外観。5枚ある天井までのパネルは扉になっていて外部に開く仕掛け。ちょっと大層な印象ですが、川沿いの屋外スペースから自由に出入りできるような配慮か。。排煙口(火災時の煙の排出口)を兼ねているのかも知れません。 、    

左側の突出したグレーの箱が展示品の搬入口とストックヤードになっています

     

中央の曲面の壁の中は機械室。右側に突き出している箱の中はトイレ

        建築の基本的な構成としては、中央に矩形の展示室を設け、ガラス貼の回廊がその周りに設けられていて、来訪者は外部の景色を眺めながら自由に巡れるようになっています。その回廊につながる一番眺めの良い川沿いの一画が上で紹介した交流スペースというわけです。 ガラスの回廊は、それ自体が展示ギャラリーのようにも使える一方で、貴重な作品のある展示室と外部空間とのバッファゾーンとしての役割もありそうです。 そして展示や回廊以外に美術館として必要な機能である、事務室・トイレ・機械室・作品の搬入口とストックヤードは、各々が独立した棟で出来ています。 それらの棟は、回廊のガラスと対比させたカラー鋼板貼で、一つ一つが突出した形状で本体の回廊に取り付いています。 俯瞰的にプランを見るのとは異なり、予備知識なく訪れた来訪者は、建物の外周をぐるりと回ってみて初めて全体構成が分かるわけですが、エントランス横の事務室の棟は、アプローチ側からの視線に対して広角で設けられていて、来訪者の視線を受け止めるような構成になっています(上の写真)。   歴史ある熊野古道の山間にアートを通した地域交流の拠点としてつくられたこの美術館。設計者の個性を表した斬新な建築ではあるけれど、簡素なディテールを用いながらボリュームを押さえて各部を分節し、周囲の自然の中に埋め込まれたその佇まいに気取りや威圧感などは無く、誰もが普段着でぶらりと立ち寄ることが出来そうな施設となっていました。   若かりし設計者の想いの入ったこの建物がこれからも大切に使われ続け、地域の人々や熊野古道を訪れる人々にもっともっと親しまれればいいな、と思いながら帰路につきました。  

<了>

   

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白浜・南方熊楠記念館 探訪

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2023.04.11

南紀白浜にある南方熊楠記念館。とある秋の休日、思い立って奈良市内の自宅から車を飛ばして昼過ぎに到着。 番所山公園のある白浜半島の高台に位置する2017年築の新館は、うっそうとした緑に覆われた石段を昇った先に、周辺の樹木と対話するかのようにたたずんでいました。       8か所のコンクリート打ち放しの半アーチとスレンダーな丸柱で支えられた1階ホールは、周囲の緑をが内部空間に浸潤する開放的な空間。2階の展示室エリアは一転して、柔らかく彎曲する白い壁で覆われた閉鎖的な空間となっています。奥には耐震改修を終えた本館があり、2階の展望ブリッジでこの新館と接続されています。     限られた敷地の中で、本館の耐震改修工事のための進入路にもなるピロティ―空間を確保しながら、周りの樹木や地形に沿い、この場の自然環境を損なうことの無いように配慮されたやさしい佇まいです。    

本館への1階の動線となるピロティ―。天井に周囲の景色が映りこんでいます

 

  ピロティ―の奥にある本館との接続部分。2階レベルで本館に繋がるブリッジ。半アーチと丸柱で支えられています。本館の前には既存を残したと思われる植栽が新旧の建物に寄り添うように立っています。  

  本館2階に展示されていた模型。右奥の60年代の典型的なモダニズム建築である本館は登録有形文化財に指定されています。この本館に対比して曲線主体の有機的な造形の新館は、周辺のコンテクストに馴染んで、この地にふさわしい新たな風景を生み出しているのがよくわかります。  

  上の写真は同じく本館2階、この建物の設計責任者で2016年に逝去された小嶋一浩氏の作品年表と、ガラスケースの中には複数の建築賞の賞状や受賞記念のトロフィー、及び設計主旨などをまとめたプレゼン資料が展示されています。完成した建物が設計者の優れた業績としてきちんと評価がなされ、こういったかたちで特別に展示コーナーが設けられていたことは、私達同業者としては、少しうらやましいけれど。。たいへん嬉しいことでもあり、大いに励みになりました。  

  1階ロビーの様子。休日なのにほとんど来訪者がいないのは寂しい。周囲の自然を室内に浸潤させることを意図した設計者の思惑とは裏腹に開口部の前にもパネルなどが並べられ、その他のグッズや什器等も比較的無造作に配置されていて、設計者によって注意深く造りこまれたこの空間が、やや雑然とした印象になっていたのは少し残念でした。     上の写真は1階ロビーにある案内板。新館と本館の関係、屋上からの光を取り込む大きなランタンや、館内で流れている2種類の音楽について説明されています。  

  内部空間の見せ場でもあるこの大きなランタンは、テキスタイルデザイナーの作品。屋上からの光の筒の中を、円筒状に蔦がからまって降りてきているかのようなイメージです。ランタンは細く割いたテープ状の細い生地(布)を編んでつくられており、よく見ると、何と一枚一枚の布には熊楠が書いた文字やイラストなどが転写されています。1階は周囲の緑が身近にある分やや光が入りにくいことから、屋上に設けたトップサイドライトから2階の展示室を円筒状にくりぬいて光を取り入れようという建築家の意図と、その円筒の中に南方の膨大な手作業の痕跡を一枚一枚に取り込んだ布で丁寧につくりこまれたランタンを吊るす。。というデザイナーの着想が合わさって、この南方熊楠記念館ならではの印象的な場となっています。しばし傍にたたずんで、この不思議なランタンの中を降りてくる柔らかな光を眺めていると、モノづくりの楽しさが伝わってきます。       1階ロビーから2階への階段。高さを抑えた窓から緑が垣間見え、抑え込んだ光が木の床を印象的に照らし、上部のスリットからの効果的な間接照明によって柔らかい曲面の壁が際立つ。上手いです!     2階の本館への通路でもある展望ブリッジ。横長の窓からは海を見晴らす広大な景色が望まれ、窓際のデスクでは関連資料が閲覧できます。右側の壁面には南方が出資者にあてた自筆の履歴書がはめ込まれています。これが圧巻でした。     彫りこまれた壁面の下段が、南方自筆の何と長さ8m近くにも及ぶ履歴書。受け取った方は、さぞぶったまげたことでしょう(笑)。この辺りが南方の真骨頂でしょうか、、物事に対する尋常ならざる集中力と徹底ぶりがうかがえます。     上の写真、下段が南方自筆のコピーですが、南方のような集中力に欠ける私には、ほぼ判読不可能でした(笑)。上段はその翻訳?としての説明書き。いやはや、これはこれで労作です。     2階の常設展示室側からみた展望ブリッジの様子です。常設展示室は残念ながら撮影不可でしたが、1階ロビーや展望ブリッジとは対照的に閉鎖的な空間で、丁寧な展示を見て多彩な南方ワールドが堪能できました。尚、1階ロビーの案内板にも書かれていましたが、館内を流れるパーカッション奏者による音楽は2種類あって、この常設展示室入口のガラス扉を境に分かれています(上の右側の写真)。この展示室の入口(陰と陽の境でもあります)に立つと、2つの音楽が交じり合ってもう一つの音楽が聴こえるという趣向です。美術館などでよくある作品解説をヘッドフォンで聞くのもいいですが、館内を流れる静かな音楽に心をゆだねながら、自分のペースで思い思いに展示や建築を楽しむのが、この記念館には合っているように思いました。そういう意味では来訪者が少ないのも良いことかも知れませんね。     上の写真左は展望ブリッジからの眺めです。写真右は本館側から見た展望ブリッジ。もしこの壁面のカーブが無かったら、もう少し単調で固い廊下になっていたように思います。      

さて、もう一つに楽しみは新館屋上からの雄大な景色です。

   

円月島がすぐ傍に見えます

    南方にちなんだと思われるキノコ型の庇と、これも何かのメタファーかな?と思わせるベンチが楽しい。    

本館の円筒状の階段室が見えます

   

一番高いところにある展望台からの眺め。かなりの強風でした。

    これが下階に光を届けるトップサイドライト。ランタンの上部は白い生地(布)でできています。天井にはランタンの周囲に照明が埋め込まれているので、おそらく夜間は灯台のように明かりが灯るのだと思います。上部に突き出たガーゴイルと床の雨落しは、1960年代のモダニズム建築である本館の円筒状階段室のデザインが踏襲されているようです。       私は南方熊楠については、恥ずかしながらほとんど予備知識もなくこの建物を訪れました。様々な展示を通して、始めて南方が残した業績の一端に触れることができましたが、そのフィールドの広さと深さにただただ驚嘆するばかりで、まだまだこの異能の才人を充分に理解できたとは思えません。今後も多くの研究者によってさらに検証されていくことでしょう。   ただこの南方熊楠記念館はそういった予備知識のあるなしに関わらず、周囲の自然環境に沿った良質な建築空間を体験しながら、訪れる人それぞれがゆっくりと南方ワールドを楽しめる施設となっています。   上の写真は南方マンダラの説明ですが、「森羅万象の相関関係」を示した絵図です。「この世界は因果関係が交錯し、さらにそれがお互いに連鎖して世界の現象となって現れている」。この絵図をプリントしたTシャツも販売されていました。このマンダラから着想を得て、この絵図を描いた展示室の入口のガラス扉が開いた瞬間に2つの音楽が交じりあって新たな3曲目が生まれる。。という音楽家独自のアイデアが生まれました。様々なジャンルにおいて南方が残した独自の世界観に基づく綿密な研究や社会活動の記録は、テキスタイルデザイナーが光の筒の中のランタンを創作したように、それを受けとる側各々の感性を刺激して新たな発想やアイデアを生み出すきっかけとなり、あるいは南方が自然保護の活動で示したように己の信念に基づいて行動する勇気を与えてくれるのかも知れません。   (2021年10月10日 田中啓文)

<了>

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アマン京都

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2022.08.31

  建築家ケニーヒルの遺作、アマン京都を少しだけ見学する機会がありました。鷹峯の森の中に悠然と点在する寡黙な建築群。        

正門の前でセキュリティーガードの監視(笑)を受けながらのワンショット

」    

右手に見えるのがアライバルパビリオン。宿泊者はまずここでチェックイン

     

後ろのリビングパビリオンの中身はレストラン

         

庭に面したレストランの内観

     

レストラン前のテラスにある苔むした石が圧巻

         

ケニーヒルガーデンと命名された庭は見事に整備されていました

        敷地の中を散策できるのは、宿泊者限定。時間と費用が許されるならば。。いつかはゆっくり何泊か滞在してみたいと思える希少なホテルでした。

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ROKU 京都

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2022.08.22

  お盆休みの2軒目はROKU京都。こちらも昨年開業したヒルトン系列のホテルで、鷹峯の自然豊かな場所にゆったりと建っています。       水盤やガーデンをはさんで、宿泊棟、ダイニング棟、レセプションとティーラウンジ棟、プールやジムのあるスパ棟が各々独立して配置されています。レセプション棟でチェックインすると、中庭を望む外部回廊を経て、水盤に挟まれたダイニング棟と宿泊棟をつなぐブリッジを通り、宿泊棟に至ります。    

レセプション棟の水盤が宿泊客を迎えます

     

軒下空間でもある回廊の前に広がる庭園。庭園の向こうに宿泊棟が見えます

     

回廊を通り、ダイニングとブリッジの方へ伸びやかな景観を眺めながらのアプローチ

      水盤越しにブリッジを望む。右側の建物がダイニング棟。正面左にレセプション棟につながるティーラウンジ棟が見えます。どちらも木造建築。ホテルというよりは美術館のような風情のある建築群です。       宿泊棟側からブリッジにつながるダイニング棟を望む。スレンダーな鉄骨柱と木目の天井の取り合わせが端正な美しさです。      

宿泊棟の廊下

       

  部屋は約50㎡の広さで、庭に面した石張りのインナーテラスがあり、テラスの一画に温泉を引き込んだバスが配置されています。    

 

寝室の横には引き戸で隔てられた2箇所の洗面所とシャワールームがあります

   

 

テラスと寝室の間の木戸を閉めるとこんな感じ。木戸は繊細にデザインされています

   

  洗面とシャワールームのあるエリアから、バスのあるテラス側を望む。洗面とシャワー室との間に仕切りはなく、バスを通して庭園まで望める開放的なつくりですが、シャワーを使うと洗面所の床が水浸しになるのは、やや残念。          

木の架構がきれいなティーラウンジ棟で一休み

     

上の写真右側に見えるのは既存のチャペル

      静けさを感じさせる水盤と、ブリッチの水平線に対比させて縦の線を強調した独特な樹形の台杉、各々が独自のフォルムの建物群などを眺めながら、しばし散策です。           地下1階のレベルには温泉を引きこんだサーマルプールがあります。プールサイドに面した宿泊室が4室用意されており、部屋のプライベートテラスから直接プールサイドに出ることが出来ます。               サーマルプールの利用は、上記プールサイドの特別な部屋は別として、一時間ごとの予約制になっていたので、薄暮の頃合いを狙って夕食後の19時に予約。この時間帯は子供さんの利用は禁止になっているらしく、人影も少ない静かなプールで気兼ねなく遊泳。水温は32度ありましたが、この季節、もう少し温度が低ければ、より気持ちよかったかも。。           さて一夜明けての朝食はいよいよダイニング棟でのバイキング。天神川沿いのテラスに面した席で、水面にかぶさる枝垂れもみじを愛でながらの美味しい時間。 チェックアウトは12時までなので、朝食のあとは部屋に戻ってゆったりと。   日頃の慌ただしい生活からしばし開放され、とびきり贅沢なひとときを過ごしました。        

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星野リゾートOMO7大阪

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2022.08.17

  今年の夏はBA.5の感染拡大で、高齢者は不要不急の外出は自粛せよ、との吉村知事のお達し。さて我が身のリフレッシュは不要不急ではなく、やはり近々に必要であろうと勝手に判断し、お盆休みを利用して、近場のホテル2軒に宿泊することにしました。1軒目は、昨年の開業で話題にもなった星野リゾートのOMO7大阪。直前でもすんなり予約がとれたので、少しびっくりでした。           チェックインの時刻までまだ時間があるせいか意外に空いていた1階の駐車場に車を停め、黄金色のビリケンさんが控えるエントランスから、エスカレーターで2階へ。           2階へ上がって無人のクローク(ロッカールーム)に荷物を預け、鉄板製のオブジェチックな出入り口をくぐって、メインホールへと向かいます。          

開放的なホールにつながる公園越しにハルカスが望めます

     

壁面一杯のホテル周辺の案内板がカラフルです。新世界もすぐそこ。

      カラフルでカジュアルなソファがならぶホール。このホールに面してホテルグッズのコーナーがあり、部屋着なども自由にここでゲットできます。           ホールの奥にはカフェやダイニングがあります。ここで軽い遅めの昼食をとりながら、チェックインの時間を待ちます      

昼食後、まだチェックインの15時まで時間があったので、公園のテーブルで一休み。緑豊かな公園にいろんなファーニチャーが設えられた景観は魅力的ですが、やはり暑いです。。。

   

  高級ホテルにありがちな構えた感じのカウンターなどはなく、15時より少し早めでしたが、ごく自然でフレンドリーな感じのホテルスタッフに気軽に声をかけてみると、すんなりとチェックイン完了。荷物も自分で運んで上階の部屋まで向かいます。               さて部屋の方は約50㎡の広さのツインルームで、セミダブルサイズのベットが2つ。床は畳パネル敷になっていて玄関で靴を脱いで上がります。横長の窓からは新世界方向の街並みが望めます。壁際にはソファーが造りつけられていますが、あまり座り心地の良いものではありませんでした。横長窓は迫力満点でしたが、部屋全体としては特に工夫はなく、単にだだっ広いだけ・・という感じでしょうか。壁のクロスは、生地色の木部の色調とあいまって和を意識した色合いのようですが、どちらかと言えばカジュアルな印象です。      

廊下や部屋からは独立して設けられている洗面所

      東側妻側の部屋だったので、通天閣が見えます。部屋の窓の少し外側に設えられているファサードを構成する被膜部材が景色を切り取ります。夜間には、ファサードにネオンを映すキャンバスになる被膜部材ですが、部屋からの視線には、取り付け用の金物等がごく自然に目に入り、あっけらかんとおおらかに、舞台裏を見せられているかのような印象でした。      

ベットバックの間接照明はいい感じ

      ホテル内のディナーは予約で一杯だったので、歩いて数分の新世界に繰り出しました。上の写真は言わずと知れたジャンジャン横丁。これがホンマモンの大阪や!! コロナなにするものぞ、、の喧騒の中「だるま」で串カツをいただきました。その名も「新世界セット」。さすがに、二度づけ禁止のソースは、直接かけて食べる形式でした。       さて夜になると広場で、イベントが始まり、クラフトビールとたこ焼きが宿泊者には無償でふるまわれます。広場に面して別棟の銭湯もありお風呂上りの一杯を楽しむ人も。       綺麗に整備された芝生の上を子供が走り回ったり、寝転がったりして思い思いの時間を過ごすことが出来ます。もう少し涼しくなればより快適に過ごせそうです。                 広場はJR新今宮駅のすぐ前にあり、駅のプラットホームからはこの広大な空間とその背後にそびえ立つ14階の宿泊棟が望めます。出来た当初は浪速っ子の度肝を抜いたことでしょう。           さて定刻になると、建物のファサードを利用して、カラフルな色合いの花火を模したプロジェクションマッピングが始まります。パフォーマンスが続く10分の間、宿泊客はそれぞれ好きな場所からこの巨大なファサードを見上げて歓声をあげながら、特別な浪速の夜を楽しんでいました。      

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たねや「ラ・コリーナ近江八幡」探訪

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2021.11.22

  遅ればせながらと言うべきでしょうか、秋の休日に、近江八幡にある和洋菓子のたねやグループのユニークな施設である「ラ・コリーナ」をようやく訪ねることが出来ました。 それも近江八幡に用があり、その帰途に車を走らせていたところ、偶然に「ラ・コリーナ」の看板を見つけ、急遽訪ねることにした次第です。 休日は駐車場に車を停めるのにもたいへんな混雑と聞いていましたが、この日は夕刻だったこともあり、待ち時間もなくすんなり駐車することが出来てラッキーでした。 さて竣工後まもなく7年になる草屋根の姿がどうなっているでしょうか。     言わずと知れた藤森照信さん(何故か、僕ら若輩でも思わずさん付けで呼びたくなる建築家です)の設計になるこの建築、駐車場を下りて一面クマザサが生い茂るアプローチの向こうには、シバに覆われた大屋根だけが見えるメインショップの建物が、背後の八幡山のシルエットをくずすことなく、風景の一部となってたたずんでいました。ショップは結構なボリュームですが、そのスケール感を全く感じさせません。建物の形状もとんがり屋根のてっぺんに一本の植樹(資料によれば高野槙)がされているなど、ユーモラスで親しみやすいものです。     施設全体の構成は上の案内板のような感じです。約11万㎡とされる広大な敷地に、様々なショップや、たねやの本社、農業施設、緑の回廊などがのびのびと配されています。まだまだ今後の建設予定もあるようです。     メインショップに入ってみると、アプローチの牧歌的な風景とは対照的にたいへんな賑わいでした。お目当ての焼き立てバームクーヘンを求めて長蛇の列が出来ていました。         ショップの中は屋根形状がそのまま表れていて、天窓から柔らかい光がふり注いでいます。漆喰塗の天井と天窓にまでちりまべられている黒いものは、木炭を細かく切ったものだそうで、 たねやの職員の方も工事に参加してみんなで仕上げたとの事です。洋菓子等のチョコチップのイメージでしょうか。遊び心のあるユニークなインテリアですね。吹き抜けに面した手摺のデザインなども、手作り風で、決して気取ったところがなく好感が持てます。  

窓辺の内観ディテール

    ショップの1階の一角には、歴史のあるたねやが、これまでたくさんのお菓子をつくってきた木型を綺麗に並べて、ディスプレーされていました。     メインショップを出て右側には、本社のある建物とその横にはカステラのショップが見えてきます。本社内部が見学できなかったのは少し残念。    

    見事に生い茂った草に覆われた外観!まるで日本の国の建物ではないかのようなバナキュラーな建築です。これだけの草屋根を維持管理してゆくのはさぞたいへだろうと想像しますが、まさに建築家の考え方に深く共感し、自分たちの建築として大事に使っていこうという事業主の強い意志に感動を覚えます。

藤森さんは雑誌新建築2015年7月号で本作メインショップ棟の完成時に寄せた文章の中で、自身がそれまで試みた建築緑化の成否について言及し「4勝5敗で負け越している」と素直に告白されています。挑戦することの困難さ、さらにその挑戦を受け止めてくれる事業主の懐の深さに感銘を覚えるエピソードですが、今回たねやの社長さんは、4勝5敗の建築家に仕事を依頼し、建築家を心底信頼して、さらなる新たな挑戦の機会を与えたわけです。

同じ雑誌新建築2017年1月号での藤森さんによれば、たねやの社長さんは、別の設計組織ですでに実施設計や確認申請が完了していた段階にもかかわらず、全て白紙に戻して藤森さんにこの仕事を依頼したとの事。すごい話です。別の設計者から見ればたまったものではありませんね。ちょっとあの国立競技場のザハ・ハディト案の白紙撤回を思い出してしまいます。ザハ・ハディトは生前、その決定に異を唱えていましたが、さて別の設計組織の設計者は出来上がったこの建築を見てどのような思いだったのでしょうか。同業者として聞いてみたい衝動にかられます。

ただいずれにせよ、この建築の完成と草屋根の成功という大金星によって、藤森さんの戦績が5勝5敗の五分になったことは間違いがありません。     工事の着工後に急遽決まったという本社の隣のカステラショップのインテリア。栗の柱が林立しています。  

  田んぼ越しに見える水平線の緑は、回廊の草屋根で、敷地と背後の山並みの間にあってすんなり景観に溶け込んでいます。少し残念なのは写真左側に見えるフードガレージの建物のR屋根が、敷地全体と周囲の景観の中ではやや唐突に見えることです。調査不足で不明ですが、この建物に限っては藤森さんの設計ではないように思えます。 間違っていたらごめんなさい。ただこのフードガレージ、時間が無くてゆっくり見れなかったのですが・・R屋根の大空間の下、ロンドンバスやシトロエンのトラックでマカロンなどを販売していて、ショップとしてはなかなか面白そうな場所でした。周囲のロケーションとはあまり脈路がないとはいえ、事業主の自由な発想で造られているようです。  

  よく見ると下部に車輪がついている移動式のショップ。外装は、藤森さんの指導のもと、職員の皆さんが手作りで仕上げられたとの事です。自分たちでも出来ることは、設計者や工事業者と一緒になって汗を流し、楽しみながら自分たちの施設をつくりあげていく事業主の姿勢は素晴らしいですね。    

  田んぼの廻りをめぐる散策路になっている草屋根の回廊はこんな感じ。シンプルで簡素。天井の垂木とその間の白い漆喰が縞模様に見えます。     マスクをつけたバウムクーヘンの穴の向こうで、自分もマスク姿で記念撮影に応じているのは私の家内の陽子さん。ブログ初登場です!  

  植樹で森をつくり、田畑を耕し、自社農園での共同研究など、「お菓子の素材は自然の恵み(たねやHPより)」と捉え、自然を通して人と人とが繋がる場をつくりたいとの思いでこの広大な施設はつくられているようです。SDGsを含め、とりわけ自然というものを大切に考える中で、単なるお菓子屋さんの枠にとどまらないグローバルな事業主の発想が、藤森建築と共鳴したのでしょう。近江八幡という地から世界へ発信したいという心意気が感じられる素敵な場所でした。既に琵琶湖の観光名所となっていますが、これから、さらに新たな施設が付け加えられることで、今後この場所がどう成長し、どのような情報発信をしてくれるのか・・とても楽しみです。  

<了>

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旧竹林院の新緑

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2021.05.12

延暦寺の僧侶の隠居所であった里坊の一つ、旧竹林院。ステイホームにも飽きたコロナ禍GWの一日、庭園の新緑を楽しみに、家内と二人密かに、ぶらりと訪れました。       メディアでもよく取り上げられている主屋に置かれた座卓に映りこむ新緑のショットです。座卓は思いのほか小さいものでしたが、直近で慎重にアングルを決めてパチリ。 縁の手摺が上下の新緑の中に浮かんでいるような不思議な写真が撮れました。   主屋に面した庭園は約1,000坪の大きさ。よく手入れされた木々の新緑に映える築山と清流は、この季節らしい清涼感にあふれていました。              

近くの大宮川からひいた清流

            庭園内には茶室が二つ。上の写真の茶室が広間(蓬莱)。下の写真の入母屋造り茅葺の茶室が小間(天の川席)と呼ばれ、こちらは2つの出入口のある珍しい間取りとの事です。        

映りこみ撮影用の小さな座卓が座敷に置かれています

                  連続した座敷と縁のある開放的な主屋から眺める庭園。コロナ禍で来訪者も少なく、優れた日本建築と庭園とのコラボレーションをゆっくりと堪能し、しばし心癒されるひと時を過ごしました。  

<了>

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瀬戸内歴史民俗資料館 探訪

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2020.12.11

  かねてより行ってみたかった瀬戸内海歴史民俗資料館。11月始めの連休、かのGO TO トラベルもささやかに利用して、高松市郊外の高台に建つ知る人ぞ知るこの名建築を訪ねました。1973年完成のこの建物の設計者は、当時香川県建築課の課長だった山本忠司。丹下健三設計の香川県庁舎の建築に関わったこの人物は、瀬戸内海を望む五色台の小高い丘の上に、その地形になじんで地を這うように建つ平屋建築を実現しました。 高低差7メートル。自然を残した中庭を囲んで、8m×8mのユニットを基準としてその倍数のサイズを組み合わせ、各々に分節された展示室が屋外空間と一体となりながら、回廊状に繋がっていく構成は博物館建築としては斬新なものであり、また何より、この五色台という場所に根付いた「地域主義」の建築として秀逸です。       建物正面の全景。杉型枠のコンクリート放しと、石積の外壁との対比で構成された平屋建て。写真左側の方では瀬戸内海への視界が開けています。       建物入口にあるピロティ―。現地の基礎工事の際にダイナマイトで破砕した地場の安山岩を、お城の石を積むかのように、少し傾斜した外壁に張り付けた展示室の壁面が見えます。       玄関ホールに展示されていた模型。中庭を取り囲むように分節した平屋の部屋が配置されている様子がよく分かります。           屋外空間と絡めながら、レベル差のある地形に沿って、何段もの階段で展示室が連結されています。今の時代であれば、人にやさしくあるべきというバリヤーフリーの観点から、絶対に実現することのない建築と言えるでしょう。現在同じ敷地でこう言った建築を構想するとすれば、レベル差を処理するのにスロープを使用したり、あるいはある程度まとまったフラットな空間にまとめたりして、全く違った建築になるのかも知れません。しかしながら、建築が決してそれ自身だけでその存在を主張することはせず、建った後も変わらずその場所と一体化して自然に在り続けている姿は、建築の一つのあり方として、これからも訪れる者に訴えかけていくことでしょう。       岩場や植栽などの自然を残した中庭に配された回遊導線。建物の内外を順次めぐりながら、各室の展示を楽しめるようになっています。       中庭から第一民俗収蔵庫(石張りの部屋)方向を望む。竪樋は設けられておらず、屋上からの雨水はコンクリート製のガーゴイルから自然に流れ落ちるのに任せる設計です。       中庭よりガラス張りの中央展示ホール(現在は閉室中でした)を望む。左手に見える大きな石張りの壁面が一番大きな第一展示室(こちらも閉室中)。       第一収蔵庫の屋上に設けられた展望台に上る階段です。コンクリートの列柱の手摺は神社の玉垣をイメージしたものだそうですが、建物の解説パンフによれば、幾分施工者泣かせであったとか。瀬戸内海の眺望への期待感が高まるアプローチです。形状や大きさ、色調の事なる外壁の石積が、一つ一つ異なる表情を持っていて、思わず見入ってしまいます。           展望台に上ると360度の絶景が広がります。地域の生活の営みの歴史を丁寧に記録し、この場にしっかりと根ざした建物の屋上から眺める瀬戸内海はより印象的でした。機会があれば海側からの遠景もぜひ見てみたいものです。         赤と白の灯台のある少し離れた場所からの風景を目に焼き付けて、この建物を後にしました。中央ホールと第1展示室~第4展示室は令和3年3月19日まで閉室の予定となっていましたが、ぜひまた全館をじっくりと見れるようになれば、再訪したいと思っています。       この日の夜は高松市内に宿泊。同じ山本氏設計の有名な郷土料理の店「まいまい亭」を訪ねました。予約なしで飛び込みだったにもかかわらず、心よく迎え入れてくれた女将さんから、かってこの店に足しげく通ったという流政之やイサムノグチが好んだ料理の説明を聞きながら、美味しく楽しい夜を過ごしました。  

<了>

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三方五湖天空のテラス

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2020.09.23

      Withコロナの時代とは言え、そろそろ他府県の車が観光地に停まっていても顰蹙を買うことはなかろうと、思い立って三方五湖レインボーラインにある山頂公園を訪ねました。 ここは昨年の8月に31歳で急逝した息子が中学一年生だった夏に一緒に来たことのある思い出の場所。この年の夏は2人の姉が大学受験の夏季講習中だった事もあり、家内を含んで3人での小旅行となり、釣りが好きだった息子と海や渓流での釣りを楽しんだ後に、ドライブがてら、この山頂公園に立ち寄ったのでした。 当時は、今のようないくつものテラスやショップは無かったように思いますが、公園の一画には今と同じように、この地出身の歌手、五木ひろしの代表曲である「ふるさと」の歌碑があり、歌碑のそばのスイッチを押すと、曲が流れる仕掛けとなっていました。   祭りも近いと汽笛は呼ぶが 洗いざらしのGパンひとつ 白い花咲く故郷が 日暮れりゃ恋しくなるばかり   この曲が発表されたのは1973年。1973年と言えば、当時20歳で大学一年生の私は、大学の音楽サークルで、後に黒人ブルースバンドを組む事になる仲間たちと出会った頃で、歌謡曲には縁の無い生活でしたが、私の両親が歌謡曲好きで、私が子供の頃はテレビの歌番組からいつも演歌が流れていた環境で育ったせいか、当時三方五湖を望む絶景を前にしてこの曲を聴くと、妙に心の琴線に触れたものでした。 一方、1988年生まれでおよそ演歌とは縁が無いはずの、後にDJの道を歩むことになる息子が、この場所で初めてこの曲を聴いて、不思議なことに、何故かしみじみ「ええ唄やなあ」と。 演歌好きで村田英雄の「王将」が18番だった私の父親からの血が3代に渡って受け継がれているのかな。。等と感慨にふけりながら、しばし中学一年生の息子と二人で海を眺め、大音量で流れる「ふるさと」に聴き入ったものでした。   今回は家内と二人でしたが、海が大好きだった息子のことですから、きっと一緒に聴いていたことでしょう。「この唄ヤバイ!」とでも言いながら。。 (ヤバイ!と言うのは何かをほめる時の彼の口癖でした)   あー 誰にも故郷がある 故郷がある      

絶景を眺めながらの足湯

 

カラフルな日傘がインスタ映え

 

ここにも在った「恋人の聖地」

 

三方五湖に面してカウンターやソファーのあるテラスがならぶ

     

山頂公園と駐車場を結ぶリフト(隣にケーブルカーも有り)。急こう配で結構スリリング

     

(了)

   

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浦辺鎮太郎の建築 in kurashiki

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2019.12.23

  かっての紡績工場をホテルとして蘇らせ、保存再生建築のさきがけとなった、あの倉敷アイビースクエアーで、「建築家 浦辺鎮太郎の仕事」-倉敷から世界へ、工芸からまちづくりへ-と題する展示会が2019.10.26~12.22まで開催されました。 12月21日(土)倉敷公民館(浦辺作品の一つ)での第5回目のシンポジウムから、22日(日)の展示会最終日に合わせ、急ぎ足で久しぶりの倉敷探訪です。 実はかって、私が建築学科の学生だった頃、たまたまの倉敷旅行でアイビースクエアーを見て感銘を受け、オイルショック後の就職難の時代、叶うならば不遜にも浦辺設計を卒業後の進路にしたいと考え、浦辺氏宛てに入社を打診する手紙をしたためたことがありました。理由は忘れてしまったのですが、結局その手紙を投函することはなく、何とか建設会社への就職が決まったのでしたが、40年を越える時を経ても当時の記憶とほとんど変わらぬ姿のアイビースクエアーに再開することが出来ました。     展覧会はアイビースクエアー敷地の一画、アイビー会館にて開催されていました。壁面のほとんど全てが蔦で覆われた平屋建。         代表的な浦辺作品の写真、図面、及び模型、スケッチ等が天井高のある気持ちのよい空間に整然と展示されていました。       圧巻は模型の数々で、建築学科の学生達が手分けして造った力作ぞろい。浦辺作品はディテールが細やかで形も複雑なものが多いので、学生達は図面を読み込む作業を通して、たいへん勉強になっただろうと思われます。各々の模型の横には担当した学生達のコメントが添えられていました。  

代表作の一つである倉敷国際ホテルの模型(正面側)

 

倉敷市庁舎は駐車場棟、低層棟、シンボリックな塔のある高層棟と続きます。

 

後期作品である神奈川近代文学館。横浜にある3つの展示作品のうちのひとつです。

来年は、倉敷に引き続き、横浜でこの展示会が開催される予定。

      写真は、「黒と白の時代」と呼ばれる初期の作品である倉敷考古館増築。木造の本館に加えて鉄筋コンクリート造の階段室と展示室の新館を増築したもの。中央の階段室部分外壁は本館と同様に平瓦貼りですが、目地については本館のなまこ目地瓦張りとは異なる平目地張りとなっています。そして、それに続く展示室部分については、大胆にもモルタル仕上げのままの外壁にモダンなポツ窓が穿たれ、上部の壁面は何故かアーチ形状、その上に切り妻の置き屋根(木造・スパニッシュ瓦)が架けられています。 よくよく眺めていると地味ではありますが、実に味わい深いデザインで、階段室部分では既存本館との調和を図りながら、展示室部分は、一転本館とは差別化された自由でモダンな表現が模索されています。以後の浦辺建築の出発点となった作品とのことです。             上の写真は倉敷の浦辺建築を代表する作品、倉敷国際ホテルの外観。 外壁とも庇ともつかぬコンクリート打放しの「壁庇」が階毎の水平ラインを形づくっています。 他の浦辺作品にも共通して見られる特徴的な形態です。      

  上の2枚は丹下健三設計の旧倉敷市庁舎です(1枚目の道路右手の建物。2枚目はホール内観)。後に3市の合併により手狭になったため、浦辺設計の手で美術館に改修され現在に至っています。倉敷の街並みの中に丹下流のモダニズム建築が忽然と出現したわけですが、別の敷地での新しい市庁舎の設計にあたって、浦辺が出した答えはさて・・・。               倉敷市庁舎が完成したのは1980年。倉敷の伝統的な建築のあるエリアとは異なる新しい敷地に建っています。シンボリックな展望塔、西洋の古典建築をデフォルメして引用したかのような装飾的な意匠、アーチ形状のレンガ壁等々。上の丹下流モダニズム建築とは対極にあるといっても良い、浦辺流のポストモダンな庁舎建築です。 モダニズム的な視点で見れば、決して洗練された建築とは言えず、一見すると今風の商業施設かと見まがうような外観に、竣工当時はおそらく賛否両論(特に建築界からは)があったのではないでしょうか。休日で内部は見ることが出来ませんでしたが、1階に欧州の伝統的な建築に見られる閉鎖的な市民ホールが備えられています(現在の大阪市役所にも同様の市民ホールがあります)。 ここでの浦辺は倉敷の地域性を受け継ぐというよりは、むしろそこからは離れて、西洋の庁舎建築に規範を見出しながら、象徴的で格式のある市庁舎を目指したとのことです。 丹下の市庁舎も倉敷の地域性を参照しない丹下流モダニズムの建築でしたが、ひょっとしたら浦辺に丹下建築への対抗意識があったのかも知れません。 (浦辺は、そのクラフト的な作風に共通点を見出せる村野藤吾を尊敬していたそうです) そして市民の側から見れば、無味乾燥で画一的な公共建築とは一線を画したこの新しい庁舎、かえって親しみを持って受け入れられたのではないかと思います。 「黒と白の時代」の倉敷考古館とは、明らかに異なる、倉敷アイビースクエアーに端を発したといわれる「白と赤の時代」の代表作品です。   不易流行とは松尾芭蕉の言葉ですが、浦辺も終生この言葉を探求し続けたといいます。三省堂新明解四時熟語辞典から転記すれば、「いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。また、新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが不易の本質であること。蕉風俳諧(しょうふうはいかい)の理念の一つ」となっていますが、続けて「解釈は諸説ある」とされています。文字自体の意味からすれば、「不易」は変わらないこと、一方で「流行」は時代の変換に応じて変化することであって、芭蕉は互いの相反する言葉をくっつけた上で、「両者は同一である」と説いているので、少し混乱させられてしまいそうですが、「流行に合わせて変化し続けることこそが不易の本質である」と解釈することも出来るのでしょう。 浦辺も営繕技師の時代の工場建築やプレハブ建築に始まり、「黒と白の時代」から「白と赤の時代」を経て作風は大きく変化しています。そして「自分自身をコピーするようなことはしてはならない」と説いていたそうです。浦辺の「不易」とは「時代の要請を見極める柔軟な精神を終生変わらず持ち続けること」であったのでしょうか。その結果として生み出された作品は華麗に変化を遂げながら、時を経た現在においても変わることなく輝きを放っています。   蛇足ですが、この「不易流行」私なりに建築をつくる行為の中で考えると、「時の流れの中で、変わらないもの(変えるべきでないもの・引き継ぐべきもの)と、変わりゆくもの(変化に応じるもの・新しくすべきもの)をしっかり見定めて建築をつくること」と理解しています。 https://tk-souken.co.jp/wordpress/policy/policy_01/    ※この文章を書くにあたって、学芸出版社 「建築家 浦辺鎮太郎の仕事」-松隈洋・笠原一人・西村清是 編著 を参考にさせていただきました。  

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