閉館間近の 神奈川県立近代美術館 鎌倉 探訪

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2016.01.29

2016年1月31日で一般公開を終了するモダニズム建築の名作、神奈川県立近代美術館をこの目に焼きつけようと、鎌倉まで出向きました。 ますは新幹線車中からの富士山の雄姿をご紹介。運よく好天にめぐまれ、先の寒波で、山頂にたっぷりと雪をいただいた見事な姿を撮影できました。     昼過ぎに鎌倉駅を降りると、平日にもかかわらず結構な賑わいぶりにびっくり。鎌倉観光スポットでお馴染み小町通り商店街を、お洒落な店主さんたちの呼び込みの声を聞きながら徒歩10分あまり歩いて美術館に到着。チケット売り場にはすでに行列が出来ていて、みんな思い思いにこのシンボリックで端正な正面外観を眺めながら、記念撮影などに興じています。     1951年、ル・コルビジェに師事した坂倉準三の設計で、鶴岡八幡宮の敷地内に日本で最初の公立の近代美術館として開館したこの建物は、65年に亘ってこの地で人々に愛され続けてきましたが、まもなく美術館としての役割を終えようとしています。モダニズム建築としての歴史的な評価も高く、閉館後は鶴岡八幡宮の施設として引き続き利用されることが決まっているとの事です。 コルビジェの建築思想に基いて、1階はピロティー形式として建物を持ち上げ、隣接する「平家池」にせり出す2階部分を繊細な鉄骨の列柱が支えるその姿には、近代建築と、桂離宮に代表される日本建築の伝統的な空間の趣きとを融合しようという意図が、強く感じられます。私は不覚にもこの建物を実際に見たのは初めてだったのですが、池や中庭などの外部空間が建築の中に巧みに取り込まれ、周辺環境と建築の各部分が連続し一体化したこの空間の心地良さは、やはり実際に体験してみないとわかりません。外部空間の要所に配された彫刻たちも生き生きとしていて、まさに「この場に最もふさわしい美術館」のあり方が提示されているのです。人々は単に美術品自体を鑑賞するだけではなく、この気持ちのよい空間全体を全身で体感しながら、伸び伸びと思い思いの時を過ごすことが出来ます。この環境に身を置くことの何とも言えない心地良さが、この美術館が建築の専門家だけではなく、一般の人々に長く愛されてきた所以なのだと思えました。                         2階にある小さな喫茶室で「平家池」を眺めながら一服していると、ここで順番待ちをしている間に知り合ったと思しき熟年カップルが、仲良く入って来て一つの卓を囲んでいました。羨ましいな(笑)などと思いながら、聞くともなく聞いていると、女性の方は学生時代にこの建物を訪れた時の思い出などを懐かしそうに語っておられ、この建物が育んできた時間が、同じような感慨を持つ人たちの思いをつなぐ役割を果たしていることに感銘を受けました。「やっぱり建築も捨てたもんじゃない」建築を志した頃の情熱を少し思い出させてくれる時間でした。       隣接する新館は1966年に同じく坂倉準三の設計で増築されましたが、耐震性に問題があるとのことで、今は内部は公開されておらず、外観だけの見学となっていますが、こちらはコルテン鋼(錆びた鉄)を柱・梁に使用した日本建築の「真壁造り」をイメージさせる構造で、展示室はガラスのカーテンウォールで池と一体化する空間です。坂倉事務所在籍時にこの建物を担当した室伏氏のインタビュー映像がロビーで流されていたのですが、施主との打合せ前には、室伏氏が提案したガラスの多い展示空間に難色を示していた坂倉準三が、打合せの場で当時の副館長・土方定一氏も開放的な展示室が良いと思っていることが分かると「私もそう思っておりました!」とすかさず答えたという、思わず笑いをさそうエピソードが暴露(笑)されていて面白かったです。室伏氏も、もう50年経って時効だと考えたのでしょうね。     建物は「平家池」の対岸の道路に平行に配置されており、坂倉が池越しの眺めを重視していたことがわかります。今は対岸のレストランや道路沿いの植栽のせいで、その池越しの姿が充分に望めないのは残念ですが、レストラン近くの池のほとりからの外観を撮影することが出来ました。白い箱が宙に浮いたような2階建て本館と、真壁風の簡素な平屋建て新館との対比が明快です。   日帰りの駆け足探訪でしたが、優れた建築と共に存る「場の力」を、改めて実感することが出来た有意義な一日でした。  

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新国立競技場決定案(A案)と知的財産権について

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2016.01.19

新国立競技場実施案に選ばれたA案(隈研吾・梓設計・大成建設、以下A者案)が、白紙撤回された前回案に酷似しているとザハ・ハディド氏側からクレームがつきました。表層のデザインは異なっていても、スタジアムの構造や各室の配置がほぼザハ案を下敷きにしているというものです。隈研吾さんが会見で説明していたように、スタジアムという用途上、与えられた条件下で最適解を追求すれば自ずから同じような部分も出てくるとは思います。私自身、ザハ案とA案とを詳しく比較研究したわけではありませんが、ザハ氏のみならずA案に敗れたB案作成者の伊東豊雄さんまでが、結果発表後の記者会見で「A案はあまりに前回案に似ている。ザハ氏に訴えられるかもしれない」と発言されていたり、ネット上で両案を重ね合わせて類似点を指摘している記事などを見ると、やはりA案は一定程度ザハ案を下敷きにしている、と見ざるをえないのだろうと思います。 元々私は、仕切り直すとしても、完全な白紙撤回ではなく、これまで蓄積してきた設計上の成果を生かすためにも、新たな条件設定のもとで、前回と同じザハ氏を含む設計チームで進めるのが最良であろうと考えていましたので、今回の決定案が前回案を踏まえて作成されたとしても、むしろそれは、ある意味、理にかなった話だと思います。しかしながら白紙撤回後に改めて公募した公正であるべきコンペという場において、前回設計に携わった業者を含むチームが、明らかに前回案を下敷きとした提案をし、結果的に其の案が採用されたとすれば、その結果をどのように理解するのか?という問題でしょう。 ザハ氏側は前回案の知的財産権を主張しているようですが、そもそも前回案は、ザハ氏をデザイン監修者とし、その他複数の設計事務所の設計企業体の設計です。また今回「似ている」とされる部分が、一般的に著作権などの知的財産権の対象となるような芸術的であったり極めて独創的であったりするような部分ではなく、いわば実務的、機能的なレベルの話なので、ザハ氏側が、スタジアム部分の類似を根拠として法的な知的財産権を主張するのは、少し無理があるような気はします。(ザハ氏の心情はよく理解できますが) しかしながら、それまでかかった費用を支払ったとはいえ、ザハ氏を突然降ろして白紙撤回をうたいながら、結果的に別の設計者の名のもと、ザハ氏他案の一部を採用した、となればやはり、A者、そして特に事業者であるJSCの道義的な責任は免れないのではないか。伊東豊雄さんは、先の記者会見の場で「我々は極力前回案に似ないように十分注意払った」という主旨の発言をされていました。前案は敢て参考にはせず、一からこの建物を構想する困難な道を選択されたわけですが、技術者としての誇りと矜持を持った立派な態度だと思いました。一方でまた、A者、特に大成建設さんの側から見ると、それまでの経緯を考えれば、もうなりふりかまわずこの仕事を取りに行かなければならなかった事情も重々理解出来るのです。 そもそも事業者であるJSCとしては、すでに前回案の設計に膨大な費用をかけているわけですから、やむを得ない仕切り直しにあたっては、これを無駄にしないで正々堂々とそれらの成果を生かせるような進め方をするべきでした。今回の騒動を見れば、「白紙撤回で再公募」という選択は、やはり結果的に間違っていたといわざるを得ないように思います。先日ザハ氏側が、「JSCから、残りの設計費用を全て支払うので、今回の著作権問題について今後一切発言しないように求められたが拒否した」と明らかにしていることからも、JSC側が、この問題の責任を自覚し、金銭的解決を図ろうとしているのがうかがえます。ここでまた国民の血税が使われようとしているのです。JSCはこの問題に関して、ザハ氏側と胸襟を開いた話し合いを速やかに行った上で、国民が理解できるようなきっちりとした説明をすべきではないでしょうか。  

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新国立競技場の事業者が決定

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2015.12.29

仕切り直し後コンペで、2者の一騎打ちとなっていた新国立競技場の設計・施工チームが決定しました。工程計画についての信頼性が評価された結果、選ばれたのはA者こと、大成建設、隈研吾さん、梓設計グループ。設計内容自体の優劣を示す「施設計画」では、B者こと、竹中・清水・大林JB、伊東豊雄さん、日本設計のグループが上回っていたのにもかかわらず、上記の結果でした。私は、改めて両者の技術提案書を見返して見たのですが、どう読み込んでも、工程計画について、A者がB者を明らかに大きく上回っている事を示すような内容は身受けられませんでした。両者とも建物の完成は2019年11月となっており、工期自体は、A者が36ヶ月、B者の方は設計を含む準備期間を2ヶ月多く見ているため、本工事着工後は34ヶ月で完成という内訳となっています。この事はごくごく普通に客観的に見れば、工期について両者には差が無いと見るべきです。事業者決定時点での記者会見の場でも、複数の記者から、工程計画で差がついたのは具体的にどのような内容なのか、という質問が出されましたが、審査員の先生方からは、明確な説明はありませんでした。 元々このコンペは、白紙撤回前にスタジアム本体を受注していて、資材の発注や労務の手配でアドバンテージのあった大成建設グループが有利であると言われていました。大成建設側からすれば白紙撤回の結果、千数百億円のスタジアム本体工事の契約が突然にキャンセルになったわけですから、大変な事態です。そのような経緯の中では、発注者の側でも、今回コンペで改めて「大成建設にやらせたい」、あるいは「大成建設にやらせざるをえないだろう」の心理と共に、「資材や労務も手配が済んでいる大成建設ならば、工期的にも安心」との認識があった事は間違いがないでしょう。つまるところ、A者に決まったのは、技術提案書の内容ではなく、はっきり言ってしまえば、コンペをやる前から勝負はついていたのではないでしょうか。そのような状況を充分に認識しながら、あくまでも技術提案書の内容を高める事に注力し、果敢にこのコンペに挑戦したB者の勇気と、建築に関わる者としての矜持は、最大限讃えられるべきです。 建築家の側から見れば、設計内容では明らかに相手を上回る評価を得ていながら、自分には直接関わりのない事情によって選定されない…いわば「試合に勝って勝負に負ける」という事態は、本当に悔しく忸怩たる思いです。あの温厚な人格者である伊東豊雄さんが、コンペ結果を受けての記者会見の場で、厳しい表情で審査についての不信感を表明されている姿をみて、私自身も建築家の端くれとして、自分のことのように悔しく情けない思いにかられました。 あの無謀とも言える白紙撤回によって、抜き差しならない状況になってしまった結果、何よりも工程上の安全を最優先せざるをえなくなったことがこのような事態を招いた原因であるのは、間違いがありません。建築家の能力を生かすも殺すも、所詮は発注する側事業者の姿勢次第。ある意味、建築家という職能の限界が建築家の側に冷徹に突きつけられたとも言えるのですが、逆に、建築家の側からどのような働きかけをすれば、建築についての確かな見識を持ち、社会にとってより良い建築を生み出すよう事業主を啓蒙していけるのか…を改めて考えるきっかけにすべきなのかもしれません。 そういった意味で、色々なことを考えさせられたコンペでした。伊東豊雄さんはじめB者の皆さま、技術提案書の内容は素晴らしかったです。本当にご苦労様でした!!        

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新国立競技場コンペ応募案公開!

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2015.12.17

新国立競技場仕切り直しコンペの応募案が公開されました。これまで報じられていた通り応募は2者のみ。A案(下の画像)が隈研吾さん+大成建設、B案(上の画像)が伊東豊雄さん+竹中工務店グループの提案です。ちなみにお蔵入りとなってしまったザハ案はこんな感じでした。     計画白紙撤回の後、工期とコストを何がなんでも遵守しなければならないために、設計と工事を合わせたコンペとされ、かつ、今後極めて短期間の内に設計から工事までまとめ上げるためには、これまでこのプロジェクトに関わったアドバンテージが無ければ現実的に難しい事などの理由により、結果的に上記の2者の一騎打ちとなりました。オリンピックのメインスタジアムのコンペとしては実に寂しい限りですが、これまでの事業者の迷走の末に、ここまで追い込まれてしまった結果、予想されたことですし、もう今となってはやむを得ないことと思わざるを得ません。しかし選択肢は限られているとはいえ、予め上記のように案が一般公開され、しかも2者だけの比較ですから、ある意味、短期間でわかりやすい議論が出来るのではないでしょうか。 技術提案書も全て公開されているので中身をざっと拝見しましたが、これだけの膨大な提案書をこの短期間でまとめ上げた2者の力量と情熱には本当に脱帽です。 上の画像で見るように、前回のザハ案とは大きく印象は異なりますね。ザハ案には、一見したところの強烈な個性とインパクトがあります。では今回提案された2者の案はコストと工期を重視するあまり、ザハ案に比すれば凡庸な提案なんでしょうか。私は決してそうは思いません。      A案                  B案   2案共、工事費はほぼ上限に近い1500億円弱。この金額が果たして妥当なのかどうか、今の私には正確に判断することはできませんが、少なくとも今の厳しい労務事情の中、極めてタイトな工期と予算を踏まえた上で、各々のチームが英知を絞り、この国家的プロジェクトを成功に導くために最善を尽くした結果であることは、充分に伝わってくるのです。では、どちらの案がよりふさわしいのか。ズバリ、私の個人的な意見は…断トツでB案です。 B案は驚くほどシンプルですが、優れてモニュメンタルなシンボル性を持っていると思います。屋根を支える72本の木造の柱が、整然と並び、白磁のように美しく仕上げられたすり鉢状の観覧席の背面との間に、回廊空間が設けられています。その姿はオリンピックという祝祭空間にふさわしく力強い神殿のような佇まいで、極めて日本的です。(チームの技術提案書には、縄文時代の遺跡に範を取った旨が記載されています) この1.5メートル角の木造柱が整然と並ぶ様を、早く見てみたい気にさせられるのです。ここでは、詳しく書ききれませんが、伊東豊雄さんらしさも随所に感じられます。 一方のA案は、スタジアム内の天井に木材をふんだんに用い、外観に多重に回した庇の上げ裏には、隈研吾さんらしく木製ルーバーが設えられています。いわば、たいへんわかりやすい和風のデザインと言えるでしょう。また、庇の先端上部は緑化されて神宮の緑との一体化が図られています。しかし、私にはどこか既視感があり、正直なところ、はっとする独創性のようなものはあまり感じられませんでした。幾重にも庇の重なった外観も、B案の力強く簡潔な外観に比すると、ややもすると猥雑に見えてしまうのです。 以上は、あくまでも、私の第一印象にすぎず、もちろん今後様々な角度から、総合的に比較検証されなければいけないのは言うまでもありません。年末まで充分に議論が尽くされた結果、私の個人的な直感が叶うようなら、たいへん嬉しいのですが.......。

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46年目のキングクリムゾン

キングクリムゾン来日公演

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2015.12.14

かのロバートフリップ率いるキングクリムゾンが久方ぶりに来日。フェスティバルホールでの大阪公演に行ってきました。チケットは全てソールドアウトで会場は超満員。シニア世代ばかりかと思いきや、以外と若い世代が多いのにもびっくり。公演の前に偏屈屋?のロバートフリップが自らマイクを握り(姿は見えずでしたが)「撮影、録音は絶対に駄目よ!」と釘を指してから、おもむろに演奏スタート。デビューアルバムを含む初期の楽曲から、新しいラインアップまで、ぶっ通しで2時間以上、緻密でありながらエネルギッシュなパフォーマンスを披露してくれました。それにしても「キングクリムゾンの宮殿」で鮮烈なデビューを飾ってからなんと46年。当時の楽曲が今でもまったく色褪せずになおみずみずしい魅力を放ち、若い世代をも引き付けているこのバンドは本当に凄いです。  

日本公演パンフレットより

  実は私がプログレなる音楽を改めて聞き出したのはほんの数年前。学生時代は黒人ブルースを演奏するバンドを組んでいて、プログレを始めとするブリティッシュロックなるものは、どちらかといえば食わず嫌いで終わっていました。クラシックなども含むいわゆる「構築的な」音楽より、感情をそのままストレートに表現するエモーショナルなヴォーカルミュージックであるブルースやソウルなどに心惹かれていたものです。しかし、シニア世代になって、ひょんなことから1960年代後半から1970年代後半位までの、いわゆるプログレ全盛期のアーティスト達の音楽を聞き込むようになり、遅まきながらその魅力にはまってしまったのですが、その中でもキングクリムゾンは別格と言えます。 リーダーのロバートフリップは、何度かの休止期間があったとは言え、約半世紀もの間キングクリムゾンを続ける中で、多くのメンバー交代を経ながら思考錯誤を重ね、常に新しい試みにチャレンジしてきた人です。(今回のバンド編成も3人のドラマーがステージの前方にずらりと並ぶという特異なものでした)もちろんストレートなロックミュージックとは一線を画し、ジャズやクラシックの要素に加えて、いとも間単に高度なアレンジや変拍子なども駆使するその楽曲は、決して一筋縄ではいかなさそうで、なにやら奥深く、一度聞くとまた繰り返し聞き込みたくなる不思議な魅力を持っています。激しいリズムと叙情性に満ちたメロディーとのいわば動と静の対比も圧巻で、それらが、完全主義者ロバートフリップの頭のなかで、周到、綿密に構築されているのです。 そんなわけで、次の日の大阪最終公演も続けて聞きたくなった次第ですが、残念ながらソールドアウト。会場で販売されていた、未発表音源や直近のライブパフォーマンス等を収録した2枚組みCDのボックスセットを手に、幸せな気分で帰路についたのでした。

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杭の偽装問題

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2015.11.25

杭工事のデータ偽装問題。その後の過去10年間分の旭化成建材の調査で、3052件の内360件で偽装が見つかり、何と61人が関与したとの事です。この調査対象物件での偽装の内訳は約14万本の杭の内、その1.7%の2382本に偽装があったらしい。他社でも偽装が判明しているようなので、データの偽装は半ば常態化していると言ってもよく、これは誠に残念ながら、各メディアが指摘するように業界全体の問題と言わざるを得ません。   ただし、問題はデータ偽装の動機であり、杭の施工担当者が支持層まで杭が到達していることを確認していたけれども、機器の不具合等の何らかの理由でデータが取得出来なかったため、やむを得ず直近で施工した他の杭のデータを流用した、と言うのであれば、それはもちろん決して許される行為ではないとは言え、不謹慎な言い方ですが、まだまし・・・。しかしもし仮に、施工担当者が支持層に届いていないことをわかっていながら、一つの建物で何十本も打つ杭のうち1%や2%がわずかながら支持層に届いていなくても、建物に実質的な不具合が生じることはなかろう、というような安易な考えの基、杭を作り直すなどの手間を回避するために、データ偽装をしていたとしたら・・・これはもう悪質で救いようの無い行為です。ただし、一部の杭の支持層不到達を前提に改めて構造計算によって再検証した結果、幸いに安全性が確認される場合もあるかも知れません(構造計算上の安全率による)。よって偽装が見つかった物件では、まずは最悪の場合(支持層不到達)を想定して、そういった構造的な検証が必要でしょう。もし検証によって、杭の不到達による建物自体の不具合が懸念されるようであれば、改めて現地で杭の深度の調査をして不到達がはっきりすれば、早急に対策が必要となるのは言うまでもありません。   現時点では、各メディアも含め、杭偽装=建物の瑕疵という図式で、この問題を少し短絡的に捉えがちであるように個人的には感じます。ここは一つ冷静に事実関係を見際めていく必要があるのではないでしょうか。この問題の発端となった横浜のマンションでも、今のところ、杭の不到達が客観的に確認できるデータや、建物の傾き(本当に建物が傾いているのかどうかも含め)との因果関係などについての具体的な情報開示がなされていないようです。いたずらにユーザーの不安をあおらないためにも、当事者はきちんと事実関係を調査、検証した上での説明責任があるでしょう。また我々建築に関わる者も、しっかりした技術的な見識を持った上で、引き続き、この重く大きな問題から目をはなさずに考え続けていかなければと思います。(続く)  

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京都紅葉散歩-2

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2015.11.23

  詩仙堂を後にして、次に向かうのは、歩いて数分の距離にある「えん光寺」。徳川家康が、国内教学の発展を図るために、伏見に学校として建立したのが始まりだそうです。とても広いお寺です。 山門を入るとすぐに枯山水の庭、さらに中門を抜けると「十牛之庭」という庭があり、ここの紅葉のじゅうたんは圧巻です(下の写真)。冒頭の写真はこの「十牛之庭」の趣を演出する水琴窟で、「えん光寺型」と呼ばれる盆型の手水鉢を用いた珍しいものだそうです。竹に紅葉、そして周囲の樹々や空を映す鏡のような水面は、清々しい京の風情を感じさせてくれます。     境内の山上に登ると、なんとそこには家康の「歯」を祀った東照宮がひっそりとたたずんでいます。この高台からは北山や嵐山の山々と共に洛北の景色が一望できます。日が沈む頃には、西の空に落ちる夕陽がさぞ美しいだろうな・・と思いながら、次の目的地を目指して、先を急ぐことにしました。        次に目指すは「曼殊院門跡」です。えん光寺からは少し距離がありますが、洛北の落ち着いた街並みを眺めながらしばし坂を登ってようやく到着する頃には、ぼちぼち日も暮れ始め、いよいよライトアップの時刻となりました。 この「曼殊院」は桂離宮と類似した様式を持つ江戸時代初期の代表的書院建築で、桂離宮と同時に作られたと言われる違い棚のある十雪の間をはじめ、狩野探幽筆の障壁画や襖をじっくりと楽しむことが出来ました。座敷や縁側から眺める庭園は、小堀遠州好みの枯山水。色づき始めた紅葉に松の緑、白砂がライトアップに映える幽玄な世界を堪能しました。                        

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京都紅葉散歩

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2015.11.22

紅葉シーズンになると、京都の紅葉の名所を巡るのが、ここ数年の恒例になっていますが、今年は、少しだけ北の方に足を伸ばして叡山電鉄の一乗寺駅界隈から散策スタートしました。 まずは、元徳川家の家臣で、大坂夏の陣で活躍した石山丈山と言う人が造営した詩仙堂(丈山寺)。簡素な門をくぐり、趣のある石段を上って老梅関と名づけられた門から建物の中に入ると、ほどなく有名な「詩仙の間」に至りますが、この「詩仙の間」から望む庭園が最大の見所。       詩仙の間から庭に向かって張り出した「しょう月楼」へと続く開放的な座敷より、白い砂利に映えるさつきの緑との対比が効いた紅葉が見事です。(この日は少し時期が早く、本格的な紅葉まであともう一息という状態でしたが・・・)           座敷からの眺めをゆっくりと楽しんだ後は、庭に降りて庭園を散策。色づき始めた紅葉をより身近に感じながら、文人丈山が、泉や滝をモチーフに趣向を凝らした庭園や、先の詩仙堂やしょう月楼のある建物の美しい瓦屋根のシルエットを楽しみました。(続く)

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UR名作団地のリニューアル

UR住吉団地外観

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2015.10.23

  住吉大社にほど近いUR住吉団地、1階エントランス廻りのリニューアル設計を私の事務所で手掛けました。40年以上も前に建てられたこの団地ですが、今でも決して古さを感じさせない斬新な外観をしています。垂直線を強調したエレベータコア廻り、周到にディテールやプロポーションが考慮され、繊細な和のテイストを感じさせる分節されたバルコニー等、隅々までこだわったデザインは、独自の存在感を放っていて、数多いUR団地の中でも指折りの名作といえるでしょう。          この団地のもう一つの特徴は、1階の全てが、壁のないピロティー空間となっていることです。そのために1階のエントランスや自転車置場は、外部と一体化して、各棟ごとに分断されずに互いに繋がり、見通しも良く開放的で明るい空間となっているのです。        改修前の1 階は上の写真のような状態でした。グランドレベルには、自転車置場とメールコーナーが、そこから少し上がった位置にエントランスとエレベータホールがあります。エントランス廻りには、外観とは対照的に曲線をモチーフとしたたまり場のようなスペースが設けられていたのですが、あまり利用されていませんでした。一方、グランドレベルの方は自転車の台数が大変多く、メールコーナーと同じレベルのため、たがいに干渉し合っていささか雑然とした印象になっていました。 そこで、現状のピロティー空間の伸びやかさを生かしながら、メールコーナーをエントランスと同じレベルに上げて再構築、柱や壁面の素材も一新して、エントランス廻りのバリューアップを図りつつ、自転車置場スペースも広げる計画となりました。                     メールボックスは、白い大理石で造ったフレームの中にしっかりと組み込みました。フレームの下部に設えた隠し照明によって、既存の床と対比させています。 独立柱は、凹凸のあるボーダータイルで仕上げ、柱上部に新たに設けた照明ボックスからの間接光が効果的に見えるよう配慮しています。

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3つめの偽装

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2015.10.20

横浜のマンションで、杭工事の偽装が発覚しメディアをにぎわしています。最近では、東洋ゴム社による免震ゴム装置の試験データ改ざん、そしてフォルクスワーゲン社によるディーゼル車の排ガス測定時プログラムの不正問題に続き、特に今回の杭施工データの偽装は、建築の監理業務に携わるものにとって、大変ショッキングな事件です。 仮に私たちがこの工事の監理に携わっていたとして、この不正を見抜けたのかと問われれば、恥ずかしながら甚だ心もとない返答となるでしょう。基本的にモノ造りは、それに関わる技術者の責任においてなされるものであり、それを第3者が検査・確認するにしても、その工事を担う専門業者への信頼感を前提に進めないことには、現場は廻って行きません。目に見えないところでも、きちんと責任感を持ち、決して手を抜かずに自分がやるべき仕事をするのが、技術者としての矜持であるはずで、私が建築の世界に飛び込んだ時も、当然そのように教えられました。 しかしながら、東洋ゴムや、フォルクスワーゲン社、そして今回の旭化成建材といったその業界ではトップクラスの実績を誇る一流企業の担当者が、何故にこのような「悪意ある」と言うべき偽装に手を染めることになってしまったのか、充分に検証されなければなりません。 例の姉歯建築士による耐震偽装問題を端緒として、確認申請の制度が大きく変革され、以後何回かの建築基準法の改正を経て今日に至っています。これは、いわば構造設計者の良心に任せておくだけでは駄目であって、専門の審査機関で耐震偽装等が無いように、細かく設計内容のチェックをするべきである・・という考え方の制度ですが、個人的には、必要以上に審査機関との協議が長引いたり、審査担当者と私たちとの間で構造的な見解が一致しない、などの問題を度々経験した結果、この制度に疑問を持っている一人です。私としては性善説を支持したい、もし仮にそうでなければ、モノ造りなどというものは、現実的に立ち行かないと思うが故なのです。 ところが、今回の杭工事の偽装問題は、そのような甘い?考え方に再び大きな警笛を鳴らすものです。今後は、工事着工してからの検査に関しても、より制度的に厳格化される方向に進むであろうと思われます。原因は種々あれど、人は過ちを犯す生き物であり、建築現場におけるその過ちが、ともすれば人の生命の安全を脅かす場合もあるという前提で、いかにそのような過ちが起きないようにするか・・・。もちろん制度だけで全てが解決できるものではないでしょうから、まさに、建築に関わるもの全てに重い課題が突きつけられた事件であると言えるでしょう。

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