♯東北でよかった

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2017.04.27

心無い一言で先日辞任を余儀なくされた復興大臣の発言を逆手にとって、沢山の東北の皆さんが、SNS等を通して「♯東北でよかった」というタグと共に、自分だちの身近な題材を取り上げて東北の良さを発信しています。   閣僚の失言や失態が相次ぎ苦々しい気分になってしまう昨今ですが、久しぶりにすがすがしい気持ちにさせられます。東北の人たちの前向きなたくましさと、ウィットに富んだ知的な批判精神に感銘を受けますね。 何気ない日常の中で、自分たちを取り巻く環境の中から、美しいものや、楽しいこと、心温まること等々・・「よいこと」を心を開いて見出していこうという気持ちが、人の心を豊かにもするし、「よいこと」を分かち合うことで、同じ地域に住まう人々の絆を深めるのだと感じました。   ともすれば自分の周囲に、不平や不満を見つけようとしてしまう自分自身への反省を込めて。

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ボブ・ディラン、ノーベル文学賞受賞スピーチ(代読)

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2016.12.14

授賞式に出席しなかったボブ・ディランが授賞式後の晩餐会に向けたメッセージを寄せました。 米国大使が代読するという異例の事態でした。 何故自ら出席して、自らの口から語らなかったのか? 楽曲(楽曲と一体である自らの詞を含む)を作り続け、歌い続けたことに対して、ノーベル文学賞が授与されたという事実を、(戸惑っていることはよく伝わりますが)本音のところではどのように受けとめているのか? 聞く人によって色々な捉え方があると思いますので、 今回は、私の個人的な感想は封印して、以下にその全文を掲載しておきます。   皆さん、こんばんは。スウェーデン・アカデミーのメンバーとご来賓の皆さまにご挨拶申し上げます。 本日は出席できず残念に思います。しかし私の気持ちは皆さまと共にあり、この栄誉ある賞を受賞できることはとても光栄です。ノーベル文学賞が私に授与されることなど、夢にも思っていませんでした。私は幼い頃から、(ラドヤード)キップリング、(バーナード)ショー、トーマス・マン、パール・バック、アルベール・カミュ、(アーネスト)ヘミングウェイなど素晴らしい作家の作品に触れ、夢中になってのめり込みました。いつも深い感銘を与えてくれる文学の巨匠の作品は、学校の授業で取り上げられ、世界中の図書室に並び、賞賛されています。それらの偉大な人々と共に私が名を連ねることは、言葉では言い表せないほど光栄なことです その文学の巨匠たちが自ら「ノーベル賞を受賞したい」と思っていたかどうかはわかりませんが本や詩や脚本を書く人は誰でも、心のどこかでは密かな夢を抱いていると思います。それは心のとても深い所にあるため、自分自身でも気づかないかもしれません。 ノーベル文学賞を貰えるチャンスは誰にでもある、といっても、それは月面に降り立つぐらいのわずかな確率でしかないのです。実際、私が生まれた前後数年間は、ノーベル文学賞の対象者がいませんでした。私はとても貴重な人たちの仲間入りをすることができたと言えます。 ノーベル賞受賞の知らせを受けた時、私はツアーに出ている最中でした。そして暫くの間、私は状況をよく飲み込めませんでした。その時私の頭に浮かんだのは、偉大なる文学の巨匠ウィリアム・シェイクスピアでした。彼は自分自身のことを劇作家だと考え、「自分は文学作品を書いている」という意識はなかったはずです。彼の言葉は舞台上で表現するためのものでした。つまり読みものではなく語られるものです。彼がハムレットを執筆中は、「ふさわしい配役は? 舞台演出は? デンマークが舞台でよいのだろうか?」などさまざまな考えが頭に浮かんだと思います。もちろん、彼にはクリエイティヴなヴィジョンと大いなる志がまず念頭にあったのは間違いないでしょうが、同時に「資金は足りているか? スポンサーのためのよい席は用意できているか? (舞台で使う)人間の頭蓋骨はどこで手配しようか?」といったもっと現実的な問題も抱えていたと思います。それでも「自分のやっていることは文学か否か」という自問はシェイクスピアの中には微塵もなかったと言えるでしょう。 ティーンエイジャーで曲を書き始めた頃や、その後名前が売れ始めた頃でさえ、「自分の曲は喫茶店かバーで流れる程度のもので、あわよくばカーネギー・ホールやロンドン・パラディアムで演奏されるようになればいいな」、という程度の希望しか持っていませんでした。もしも私がもっと大胆な野望を抱いていたなら、「アルバムを制作して、ラジオでオンエアされるようになりたい」と思っていたでしょう。それが私の考えうる最も大きな栄誉でした。レコードを作ってラジオで自分の曲が流された時、それは大観衆の前に立ち、自分のやり始めたことを続けられるという夢に近づいた瞬間でした。 そうして私は自分のやり始めたことを、ここまで長きに渡って続けてきました。何枚ものレコードを作り、世界中で何千回ものコンサートを行いました。しかし何をするにしても常に中心にあるのは私の楽曲です。多種多様な文化の多くの人々の間で私の作品が生き続けていると思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。 ぜひお伝えしておきたいことがあります。ミュージシャンとして私は5万人の前でプレイしたこともありますが、50人の前でプレイする方がもっと難しいのです。5万人の観衆はひとつの人格として扱うことができますが、50人の場合はそうはいきません。個々人が独立したアイデンティティを持ち、自分自身の世界を持ち、こちらの物事に向き合う態度や才能の高さ低さを見抜かれてしまうのです。ノーベル委員会が少人数で構成されている意義を、私はよく理解できます。 私もシェイクスピアのようにクリエイティヴな試みを追求しながらも、「この曲にはどのミュージシャンが合っているか? レコーディングはこのスタジオでいいのか? この曲はこのキーでいいのか?」などという、避けて通れぬ人生のあらゆる俗的な問題と向き合っています。400年経っても変わらないものはあるのです。 「私の楽曲は文学なのか?」と何度も自問しました。 この難題に時間をかけて取り組み、最終的に素晴らしい結論を導き出してくれたスウェーデン・アカデミーに本当に感謝しています。 ありがとうございました。   ボブ・ディラン    

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豊郷小学校旧校舎群の見学

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2016.11.29

  W.M.ヴオーリズの設計で、昭和12年に竣工した豊郷小学校旧校舎群。 一時は新校舎建設によって取り壊しの危機に瀕しましたが、永年地域で愛されきた校舎を惜しむ声からの保存運動の結果、平成20年から大規模改修が施され、現在は地域の教育・福祉の拠点として活用されています。 見学も自由に出来るので、11月の休日、湖東三山の紅葉見物のついでに、ぶらりと訪ねて見ました。     上の写真は、玄関を入ってすぐの展示室(旧職員室)に置かれている竣工当時の全体模型です。外観の基本はシンメトリーで、当時のモダニズムの手法を取り入れたものですが、外壁のレリーフや出入り口廻り等の控えめな装飾が、ヴオーリズらしい優しさと温かみを感じさせてくれます。 鯉の噴水のある円形の池を中心とした前庭も、建物と調和したモダンで格調のあるものですが、この造園の設計は、日本で最初のランドスケープアーキテクトとされる戸野琢磨氏の手になるとの事です。 この時代、しかも地方の一小学校建築に、建築と造園各々の第一人者によるコラボレーションが実現している事に感銘を受けます。建設当時「白亜の教育殿堂」、「東洋一の小学校」などと称されたと言われる威風堂々の外観をしばし眺めていると、この小学校出身の寄贈者である古川鉄次郎氏(当時の丸紅専務)の郷土への愛情と教育への熱い思いが伝わってくるようです。     1階の廊下は一直線にのびて100メートルもあります。床は南洋材のアピトンのフローリング貼。教室への出入り口は引戸ではなく、木製の片開きのドアで、床には開けたときの軌跡が描かれています。木製3段の跳ね上げ式の窓も、とてもモダンな設えですが、最上段は廊下側に、下2段は教室側に開くようになっていて、当時、元気よく廊下を走り回ったであろう児童達にぶつからないように配慮されています。           特徴的なのは、ユーモラスな階段の意匠です。手摺や壁面は、柔らかい曲線を用いてデザインされていて、手すりには、うさぎと亀の像が。そう!イソップ童話の物語を元にデザインされているのです。 一つ前の写真は、よーいドンでスタートするところ。手すりの途中には、油断して眠っているうさぎや、コツコツと着実に歩んで最後には勝利する亀の姿が配されています (上の写真) 。 児童が、階段の手すりを滑り台がわりにして遊ばない ( 昔よくやりましたね! ) ような配慮もあったのかも知れません。       上の2枚の写真は、建物の両ウィングの内、向かって右側にある講堂です。現在も卒業式に使われているとのことですが、とてもシンプルで明快な意匠です。 特徴的なのは、両サイドに並ぶ5段の縦長窓。窓下の穴にハンドルを差し込んで、5段の窓全てが一度に開けるようになっていたようですが、当時としては珍しい仕掛けだったのではないでしょうか。 (現在は最上部が火災時に自動で開くようになっているとの事ですが、一部の窓は当時の機構のまま復元されています) 80年にも及ぶ時を経る中で、大切にメンテナンスが施され、何代もの記憶を繋ぎながら、今なおバリバリの現役として使い続けられている…その空間がこうして常時一般にも公開されているのは素晴らしいことです。     上の写真はウイングの左側にある酬徳記念館。当時は酬徳記念図書館として一般開放されていたそうです。 手摺や梁部分の意匠に工夫がなされていて、旧校舎群の建物の中では最も装飾的な空間となっています。現在は、観光案内所やギャラリーなどに利用されています。 尚、私はまったく知りませんでしたが、この校舎群は、ア二メの舞台としても有名だそうで、そのアニメに関連した展示が沢山あり、建築や教育に関心のある人のみならず、アニメの聖地としても多数に親しまれているのが分かりました。      

校舎の廊下から庭園を望む

             

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ボブディランよ心の内を語るべし!-2

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2016.11.19

10月13日のノーベル文学賞の受賞発表後、沈黙を守っていたボブディランが、10月25日に自らスウェーデンアカデミーの事務局長に電話をし、ノーベル文学賞に選ばれたのは栄誉なことであり、賞はもちろん受け取ります! と語ったとの事です。 かと思えば、今度は11月16日になって、スウェーデンアカデミーは、ボブディラン氏は12月10日にストックホルムで開かれる授賞式を「先約があるため」欠席する意向である、と発表しました。今度は電話ではなくお手紙だったようです。   このノーベル賞受賞をめぐっての一連のボブディランの対応には様々な意見があるようですが、私的にはどうも、彼のこの煮え切らない様子にイライラしてしまいます。(笑) ボブディランの中で、ノーベル賞の授賞式なんかより、もっと大事な用件があるんだよ!、というのなら、それはそれで大いに結構としても、10月13日の受賞発表の時点で12月10日に受賞式があるのは既に分かっていたわけですから、10月25日にわざわざ賞は受け取ります!と電話をしていながら、11月も半ばになってやっぱり「先約」があるからいけませんわ、なんていうのは、ずいぶんと人を食った話です。 スウェーデンアカデミーは、大人の対応をしているようですが、内心は忸怩たるものがあるかも知れませんね。   私が感じるこのもやもや感は、やはり彼の本当の心の内が見えないということに尽きます。 ノーベル賞受賞の条件として、受賞後6ヶ月以内に講演を行うことになっているそうですが、彼が果たしてこの講演をするのかどうか? あるいは講演をするとしてもそこでいったい何を語るのか? 当面は、そこを楽しみに見守りたいと思っておりやす。   ひょっとしたら、ギター片手にあの曲を唄っておしまい!なんてことも・・(笑)   The answer, my friend, is blowin' in the wind The answer is blowin' in the wind  !!      

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ボブディランよ、心の内を語るべし!

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2016.10.24

  ボブディランのノーベル文学賞受賞のニュースが巷を賑わしています。 受賞の発表後、スウェーデンアカデミーからの連絡にも一切応じず、ひたすら沈黙を守りつづけるその姿に賛否両論、否、というよりは、どちらかといえば、ディランらしい!と言う肯定的な意見が多いような気がします。   そんな彼の態度に業を煮やしたノーベル賞の選考委員長が、「無礼かつ傲慢」とのコメントを出したようです。実はこの発言、「無礼、傲慢」と言うフレーズが切り取られて強調されていますが、実際はこの後に「でも、それがディランらしいんだ」というニュアンスの発言が付け加えられていて、この委員長は、半ばあきれながらも、しょうがないやつやなぁ・・と言った感じの、むしろある種ディランに親しみを込めた発言をしているとも言えます。 とはいえ、やはり、発言の根底には、「最高の権威ある賞を、居並ぶ沢山の文学者達を差し置いて、貴方にあげると言ってるのに、いつまで黙っているつもりなんだい?」という「上から目線」がそこにあることは明らかで、「傲慢なのはディランではなく、スウェーデンアカデミーの方だ」という意見にも大いに頷けます。   正直言うと、個人的にはこれまでのボブディランの態度は確かに「無礼かつ傲慢」と映ります。でもそれは、第三者が言うのなら良いけれど、この賞を与える側の「権威ある」人が言ってはいけないんでしょうね。 つまりは、どっちもどっち(笑)と言うべきなのかも知れませんが・・果たして、彼の沈黙の真意は何処にあるのでしょうか?   権威の側にいる人間が、何の相談もなく!勝手に決めた賞など受け取りたくないのか、自分はあくまでミュージシャンであって文学賞などには値しないと考えているのか、ひょっとしたら受賞すべきか辞退すべきか、思い悩んでいる最中なのか、あるいは、彼にとっては本当にノーベル賞などどうでもよいことなのか・・・ いずれにせよ、ひたすら沈黙を守ることで、世間の反応を楽しんでいるのかも知れません。 しかし、かって反体制の騎手の代表だったディランも、いまやもう70歳を超えた社会人なのですから、少なくとも受賞の連絡があった日には、相手に対してきちんと礼を尽くして対応すべきでしょう。その上で、自分の信条に基いて、丁重に受賞を辞退したとしても、決して失礼にはあたらないと思うし、もしそうなれば、個人的にはむしろ拍手喝采!です。 仮に自分の意に介さない事態であるからといって、シカトを決め込むのはあまりにも幼稚すぎます。一部 のディラン信奉者が、それが格好いいんだ、なんて言うのはナンセンスでしょう。 もし、軽々しく自分の意見を言いたくないのであれば、きちんとしたコメントをblog等で公開するか、あるいは12月の授賞式に堂々と出席して、自分の考えを自分の言葉でしっかりと語るべきではないでしょうか。   ディランが、賞を受け入れるにせよ(その可能性は少なそうですが)辞退するにせよ、私達は、当の本人の言葉でその答えを聞くことで、音楽と一体で存在する歌詞が文学足りうるか、といった議論をより深めることが出来るでしょうし、あるいはノーベル賞というものの意義や役割について、改めて考え直すきっかけになるように思います。  

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豊洲市場盛り土問題

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2016.10.05

  築地市場から移転予定の豊洲市場。建物の下に盛り土がされていなかった問題について、連日メディアを賑わしています。   専門家会議で、土壌汚染対策として、敷地全体に盛り土をすることになっていたのにもかかわらず、建物の下には盛り土がなく、実は巨大な地下空間が広がっていました。 ところがこの事実が、移転する当時者を含めてまったくこれまで説明されておらず、小池知事になってから突然に判明。 誰がいつどのようにして、この専門家会議での方針を反故にする決定を下したのか・・の犯人探しは、超巨大組織の都庁であるが故に難航しているようです。   「建物の下に盛り土がなく、ピット空間が・・・」 この話を聞いたとき私は、実はそれほど驚いたわけでは無く、そして正直これほどの騒ぎになるとは思いませんでした。   さてその理由は・・・・   ◆建物のない敷地全体の7割は、当然盛り土がされています。   ◆土壌汚染対策としては、厚さ10センチ以上のコンクリートがあれば、盛り土の替わりになるとされていますが、この地下空間と地上階との間には30センチ~40センチのコンクリートスラブが打設されているようです。   ◆豊洲市場のような巨大なスケールの建物であれば、当然基礎もそこそこのボリュームになります。そして、建物の下部には、通常は設備配管の設置が必要で、土を埋め戻してしまうとこれら配管のメンテナンスが出来ませんから、ある程度のピット空間はどうしても必要となります。   ◆入れ替えがなされていない盛り土より下の地層についても、汚染対策処置がされているようですが、都の説明によれば、将来の地下水の変動等によって新たに有害物質が生じないかどうかを、調査する必要があり、そのためのモニタリング空間としてこの巨大な地下空間を設けたとのことです。つまり、ピット空間の床にはあえてコンクリートを打たずに、いつでも地下水の状況を調査することができるようにしておき、万が一有害物質が確認されれば、場合によっては重機を巨大な地上のマシンハッチからこの空間に搬入して、さらなる土壌汚染対策工事を施すというわけです。   ◆ピット内に生じた地下水を処理するための排水システムも用意されているようですので、このシステムが本格稼動すれば、現在大騒ぎになっているピットの床にたまった地下水もなくなるでしょう。   さて、どうでしょうか。   本来、技術的には問題解決の方法はいくつかあるはずなのに、マスコミの少々片寄った報道のせいもあって、専門家会議で提言された「盛り土をする」以外の方法は認められない!!といった風潮に現状では傾いているようです。 確かに都がこれまで説明責任を充分に果たしていなかった事は大きな問題だと思いますが、上記の点を技術的な観点から総合的に判断すれば、この地下空間を設けたこと自体、むしろ合理的で妥当な判断だったように思えます。 そういった意味で、おそらく建物の設計に実際に携わった担当者からしても、建物の下に盛り土をする代わりにモニタリング用の地下空間を設けることに、将来にわたっての土壌汚染対策上、意義があると考え、むしろ確信を持って設計を進めたのではないでしょうか。ただ敷地の一部であるにせよ「盛り土をしない」という選択は、一般の素人の目には、極めて大きな変更と映りますから、やはり「盛り土をしない」という決定をした時点で、都はしっかりと公表して関係者に説明するべきだったと思います。それがその時点できちんと為されていれば、今日のような大騒ぎにはならなかったでしょう。   いずれにせよ、この巨費を投じた豊洲市場がマスコミの過剰な報道によって、風評被害といった状況に陥ってしまうのは困ったことですから、設計にあたった都の建築責任者は、これまで説明が不足していたことを真摯に詫びた上で、設計事務所ともよく協議をして、現状の設計になった経緯と理由を、自信を持ってきちんと説明する場を設けるべきです。 もちろん、現状のピット空間で採取される地下水やピット空間自体に基準値を超えるような有害物質が含まれていないことを、充分に調査しきった上で、現実的には安全性に問題ないことを証明してからであることは言うまでもありません。 しかしながら、もし今後環境アセスメントの一からのやり直しが必要で、たとえ結論に変わりはないとしても、その作業に相応の期間が必要であるとなれば、その点においては、やはり進め方がずさんだったと言わざるを得ないでしょう。問題が発覚しなければ、果たしてどうするつもりだったのか?ということですね。   ただしかし、この問題に関してのマスコミの報道姿勢は、先にも書いたように、技術的検証を欠いたまま、「盛り土をしなかったのは悪いことだ」とばかりに決めつけて、その責任を追求する論調が目立ちます。いかに一般市民がマスコミの影響を受けやすいかを思えば、これはかなり問題だと思いますが、このような総合的で技術的な判断を伴う建築・土木の諸問題、一般市民(報道する側のマスコミも含めて)が容易に理解するのは、なかなか難しいでしょう。マスコミはどうしてもセンセーショナルな論調の方に傾きがちです。 この豊洲盛り土問題、都側の当事者の側からすれば、一度このような形で世に不信の念を抱かせてしまうと、今後は、よほど丁寧に真摯に説明しない限り、中々信頼を回復するのは難しいかも知れませんね。 そこで、我々第三者の専門家の側としては、この問題を適切な技術的観点からきちんと検証した上ではありますが、マスコミの報道が偏ったものであればそれをしっかりと正し、少なくとも豊洲のピット空間が、建物の下に盛り土をするのと同等もしくはそれ以上の効果がある事を、予断を排して、誰もが理解出来る様に丁寧にわかりやすく説明を尽くす責任があるのかも知れません。  

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北陸の旅3ー鈴木大拙館

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2016.08.22

    3つ目の建物は、この小旅行の最終日、閉館間際の夕刻に訪ねた「鈴木大拙館」。 ニューヨーク近代美術館など、多くの優れた美術館建築を設計している谷口吉生氏の作品です。   谷口吉生さんは私の大好きな建築家の一人です。 どの作品も、設計コンセプト、空間構成、素材の選択、ディテール、どれをとっても完璧に隙が無いくらい考えぬかれています。決して奇をてらったり大袈裟なことはせず、あくまでも作品の洗練度を高めることに注力する職人的なこだわりの積み重ねの結果に生まれる空間は、極限まで研ぎ澄まされていて、どこをとっても凛とした風格を漂わせています。 ですので、その作品を目にするといつもしゃきっと背筋が伸びて気が引き締まり、自分ももっと頑張らねば・・という気にさせられるのです。    

アルミルーバーで覆われた簡素な、建物へのアプローチ

   

右は「玄関の庭」。左は「展示空間」に至る内部回廊

    もちろん、この「鈴木大拙館」も例外ではありませんでした。 「鈴木大拙館」は、世界的な仏教哲学者である鈴木大拙の生涯に学び、その思想に出会う場所として、金沢市生まれの鈴木大拙の生家の近くにひっそりと建っています。館内は、鈴木大拙を知る「展示空間」、鈴木大拙の心や思想を学ぶ「学習空間」、それぞれ自らが考える「思索空間」の3つの空間で構成されています。玄関を入るとまずクスノキのある「玄関の庭」が見え、次に光がコントロールされた長い内部回廊を経て、「展示空間」に至ります。    

右側の独立した建物が「思索空間」棟

   

右側が「思索空間」に至る外部回廊。正面の石張りの壁の向こうが「展示空間」

    「展示空間」に隣接した「学習空間」は「露地の庭」が望める落ち着いた空間です。来訪者はこの「学習空間」から風除室を通り外部に出て、「水鏡の庭」に面した外部回廊を歩きながら池に浮かんでいるかのような「思索空間」にアプローチしていきます。この外部回廊は、先の内部回廊と一枚の壁で仕切られていて、対照的な往路(内部)と復路(外部)が表裏一体となっているところが、この平面計画のポイントでしょう。    

隣地の緑に映える端正な建築。水面のかすかな揺らぎが静けさを感じさせてくれる

   

「思索空間」の開口部は、絞りこまれた美しいプロポーション

    この建物の中で大きな面積を占める「水鏡の庭」は、時に移ろいゆく水面から鈴木大拙の精神である「静か」「自由」を表現したとの事です(作者注)。独立した一棟である「思索空間」はこの建物の核となる正方形平面の空間。90センチ画の束立ての畳を自由に組み合わせることで、思索、語らい、茶会などの利用が想定され、三方に穿たれた開口からは、それぞれの池越しの静かで落ち着いた空間を垣間見ることが出来ます。ここは時を忘れていつまでも座っていたくなる場所で、まさに「鈴木大拙館」の精神を象徴する空間となっています。   以下はこの作品が掲載されいる「新建築」という雑誌に作者が寄せた文章です。  

「周辺は、春には緑が萌え、秋には朱に染まる、水鏡は、夏空の太陽の下に輝き、冬空に舞う雪片にくもる。この永遠に繰り返される季節、天候、時間の移ろいが、私の目指した「無の意匠」に自然の彩りを添えてくれる」

  「無の意匠」。近代モダニズム建築の巨匠ミース・ファンデルローエ」の「Less is More」という言葉が思い起こされます。    

アプローチ側にある建物の銘板

   

「建築交流ネットワーク協定の締結」を記した銘板

    上の最後の写真は、谷口吉生氏が設計した美術館や博物館が連携して「建築交流ネットワーク協定」締結したことを記した銘板で、氏の「質の高い意匠」を共通の特色として認識し、相互に連携して振興を図ることに同意したとされています。 これまで氏が設計した建物のクライアント(管理運営者)全てが氏の設計した建物に敬意を表し、これからも大切に使っていきましょうね!と誓っている・・ まさに建築家冥利につきるこの銘板に、羨望と感動を覚えました。  

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北陸の旅2ー金沢21世紀美術館

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2016.08.21

  次に金沢で訪ねたのは、「金沢21世紀美術館」。             私は開館間もない頃に訪れて以来2度目でしたが、今や旅のガイドブック等にも大きく取り上げられ、金沢の新名所となった感のあるこの建物は、たいへんな賑わい。一般的な美術館と比べて若い人が多いように思いました。   建物はシンプルな円形平面で、外は思い切り開放的なガラススクリーンで覆われています。これだけ開かれた美術館はあまり前例がありません。内部も、いくつかの展示スペースが中庭や光の入る回廊をはさんで、分散して配置されていて、迷路のようです。迷路といっても決して閉鎖的ではなく、ごく近くにあって視覚的にはつながっていても、動線的にはぐるりと回っていかないとその場所に行けない・・といったシチュエーションがいくつか用意されていて、展示だけではなく、内部を歩きまわる過程そのものを楽しめる美術館といえます。街中で、ウィンドウショッピングをしている感覚に近いような気がしました。   外部の遊具などが設置された広場に面したロビーには、誰でも気軽に入って思い思いにくつろぐ事が出来、併設されているカフェも開放的です。建物自体では決して主張せず、ただアートを鑑賞するというだけではなく、この場で生じる様々なアクティビティの可能性を広げる事に主眼が置かれているようでした。   ただ一部に汚れが目立つ庇のない大きなガラススクリーンのメンテナンスや、猛暑の午後に西日を浴びて一時的に高温になっているロビーがついつい気になってしまうのは、小心な建築家の哀しい性かも知れません(笑)。

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北陸の旅1ーTOYAMAキラリ

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2016.08.20

  夏休みを利用して北陸の旅。富山から能登半島経由で金沢への今度は車でのドライブ旅行です。 どうしても職業柄、建築が気になります。 まず一つ目は富山市内で、RIA・隈研吾・三四五 設計JVの「TOYAMAキラリ」を訪れました。     外観は、ガラスとアルミに石材という地元富山の素材を組合わせて、「キラキラ」させようとしたとの事ですが、時間帯にもよるのかも知れないけど、少し饒舌な印象で、正直あまり美しいとは感じませんでした。「高級な素材をつぎはぎして作った贅沢なバラックのよう」と言ったらちょっと言い過ぎでしょうか。これだけのファサードは決して半端な費用では出来ないでしょうから、富山市民の皆さんの評価を聞いてみたいと思いました。                   内部は、銀行とガラス美術館、図書館やカフェなどが複合したもので、建物の中央を斜めの吹き抜けが貫き、それらの用途を含む内部空間全体が大きな一体的空間となっています。火災時等に吹き抜け部分を区画する防火戸やシャッターなどが一切ありません。これは全館「避難安全検証」により可能になったものとの事ですが、これほどまでの縦に重層した空間を一体的に扱った事例は珍しく、1階から最上部のトップライトまでが一気に見渡せる中、各階のエスカレーターがセットバックしながら上階へと登っていく様はなかなかの迫力です。柱や壁の随所が鏡貼り(実際はステンレス鏡面仕上げ?)になっていることも、空間の一体感と視界的な広がりを演出しています。   おしむらくは、斜めの吹き抜け空間に沿って配された冨山産杉材の木製ルーバーが、外観と同様やや煩雑な印象を与えてしまっているのが少し気になりました。このルーバーで斜めの吹き抜けを強調したとの事ですが、逆にこのルーバーがなければ、もう少しこの空間全体がすっきり見えたかも知れません。確かにこのルーバーがなければ「斜めの吹き抜け(光の筒)になっている」ということが、一瞥してわかりにくいかも知れませんが…しかしわざわざその事を感じさせる(説明する)必要があるのかどうか?この建物の空間自体のプロポーションや光の入り方を目にすることで、訪れる個々人が自然にこの空間を受け止めればそれでよいのではないか?という気もしました。   しかしまあここらは好みなのかも知れません。地元産の素材を積極的に用いて木の暖かさを表現し、トップライトから斜めにふりそそぐ光が木漏れ日のような空間を創る(作者談)という設計者のコンセプトは、素直に評価すべきなのかも知れません。                     ところで、写真撮影が禁止ではないということで、家内と写真撮影に興じていると、係りの方から2度注意を受けました。 一回目は、展示室の中で、コンパクトな伸縮式の簡易な20センチほどの三脚付きのカメラを持っていると、「三脚は展示を見る人の妨げになるので、はずしてください」と。三脚は、短くたたんでそこを掴めば持ちやすいのでカメラに付けているだけで、伸ばして立てて使うつもりはないのだ、と説明しても、どうしてもはずしてくれと言う。   2回目はロビーで吹き抜け空間にカメラを向けていると、再び係りの人に呼びとめられ、「写真撮影されるであれば折り入って伝えたいことがある。それを説明するので、その後、書面に確認の署名をしてください」と。おそらく自分にカメラを向けられたと感じると、不愉快に感じる人もいるので、充分気をつけて撮してください、という主旨だと思うのですが、署名とまで言われるとさすがに面倒くさくなり、もう撮影は終わりました!と告げて、何とかご勘弁いただいたという次第です。   どこからでも隅々まで見渡させる一体的な複合空間。写真撮影が自由とされている展示室。まだオープンしてまもないこともあり、管理運営する側でも色々と思考錯誤している段階なのかも知れませんが、必要以上の行き過ぎた管理(監視)のために、このユニークな建物が、作り手が意図した施設のあり方と違う方向に行ってしまうことの無いよう願いたいものです。始終どこかから監視されている街など、決して居心地のよいものではありませんから。

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北海道ツーリングー3

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2016.07.27

  念願の北海道ツーリングから、無事に帰還しました。 ほっかいどうはでっかいどう、とその昔より(笑)言われている通り、実に雄大でした。 1日目の千歳からのスタート時点で少し小雨が降った以外は好天に恵まれ、同じく1日目に相棒のバイクのバッテリーが突然あがってしまうアクシデントがあったものの、幸いにもパーキングエリア内のガソリンスタンドの近くだったため事無きを得て、以後の5日間、北の大地の自然を存分に満喫することが出来ました。 予想した通り、寒暖の差は半端ではなく、3シーズンのナイロンジェケットの下がぐっちょりと汗ばむ日があるかと思えば、ジャケットの下に厚てのヒートテックを含む2枚のアンダーを着込んでもまだ風が冷たく、さらにジャケットの上にレインスーツを着て走った日もありました。 バイクを降りればちょうど具合のよい気候でも、いざ走り出すと体感温度は全く違ってきます。 さて、以下行程に沿って、ツーリングの様子をご紹介!!  

富良野にあるファーム富田のラベンダー畑(一日目)

 

色とりどりのお花畑を望むデッキで。平日で人手は比較的少なめ

 

日本海側のオロロンライン。北緯45度を示すモニュメント越しに利尻島を望む(2日目)

 

電柱も照明もガードレールも無い道が、ひたすらまっすぐ北へと続く

 

利尻島がかなり近づいたところで一休み。ピースサインしか芸のないのが恥ずかしい

 

宗谷岬に次ぐ北端、ノシャップ岬よりの眺めです

 

ついに日本最北端、宗谷岬に無事到着。好天で彼方に樺太が望めました!

 

こちらはオホーツク海側のエサヌカ線、思わずテンションがあがります!(3日目)

 

オホーツク海側を網走方向にひたすら走り、PM4時頃ようやくサロマ湖が望めました

 

能取(ノトロ)岬近くのパーキングエリアで記念撮影。この日はたくさん走りました

 

国道39号線沿い石北峠からの眺めも、なかなか(4日目)

 

国道では北海道で最も標高の高い三国峠にて。松見大橋からの樹海の眺めは壮大でした

 

最終宿泊地の帯広の近く、十勝牧場の白樺並木。慣れない未舗装道路をこわごわ走行。

 

5日目は、朝ゆっくりしてから、帯広を出発。道東自動車道をひたすら走り、お昼頃に千歳に到着。千歳空港近くでバイクを預けて5日間の感動の旅路を無事に終了しました。

その後元気で時間もある相棒は、苫小牧から単身フェリーに乗って八戸へ渡り、東北地方縦断の旅を続け、私はと言えば、千歳空港で、相棒に教えてもらった松尾のジンギスカン鍋を堪能してから、上階の温浴施設で体をゆっくりと休め、巨大なショッピングセンターとなっている空港内のいくつかの売店でお土産を買い込んで、空路伊丹空港に帰還したのでした。  

大型バイクに乗り始めて7年めになりますが、何故ここまで惹かれるのでしょうか。

友人達からは、あぶないぞ、気をつけろよ、4輪とは違うぞ、といったどちらかと言えばネガティブな意見の方が多いですね。私としては事故に遭った場合は大怪我、もしくは命の危険もあるリスクはもちろん承知の上で、自己責任で乗っているわけですが、安全運転にとことん徹すれば、バイクの経験の無い人が想像するほど危険なものではないと思っています。

安全運転とは…・経路をよく調べてから走る、・無理な追い越しや「すり抜け」は決してしない、・車道の真ん中を堂々と車の流れに従って走る、・停車時や始動時には、とにかく慎重に気を引き締めて、うっかり立ちゴケ(これが結構怖いです)などしないよう細心の注意を払う(傍目にはあまり格好よくないかも知れませんが(笑))・・等々でしょうか。

 

暑さ寒さ、雨風などの、まさに直に自然を相手にする行為であることが、バイクを駆る魅力の一つでしょう。ハーレーの空冷vツインの力強い鼓動を聞き、刻々と変化する風景を楽しみながら、北海道のようなスケールの大きい大自然の中を、渋滞や信号に煩わされることもなく、どこまでも走り抜ける快感は格別です。

 

ツーリング中もたくさんの同好の士と出会いました。北海道に限ったことではありませんが、すれ違う時に互いに手を上げて会釈しあうのが、ライダーの間での暗黙のルールとなっています。中には大きく両手を上げて挨拶してくれる輩もいますが、これはさすがに危ないので真似しない方がよさそうですね(笑)。

 

近年、リターン組も含めて、私達のような熟年ライダーが増えているようです。個人的には、少年時代、自転車に乗って長い坂道を猛スピードで下り降りるのに夢中になっていたあの頃の、爽快でスリリングな感覚が蘇ってくる気がします。

 

というわけで、北海道ツーリングは今後もやみつきになりそうですが、体力の続く限り、超安全運転で楽しみたいと思っています。

度々道を間違うきまぐれな先導車  (私のことです)  に辛抱強く追随してくれた相棒と、1300キロに及ぶ全行程を軽々と走破してくれた愛車ソフテイルに感謝です。

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