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2019.12.23
かっての紡績工場をホテルとして蘇らせ、保存再生建築のさきがけとなった、あの倉敷アイビースクエアーで、「建築家 浦辺鎮太郎の仕事」-倉敷から世界へ、工芸からまちづくりへ-と題する展示会が2019.10.26~12.22まで開催されました。 12月21日(土)倉敷公民館(浦辺作品の一つ)での第5回目のシンポジウムから、22日(日)の展示会最終日に合わせ、急ぎ足で久しぶりの倉敷探訪です。 実はかって、私が建築学科の学生だった頃、たまたまの倉敷旅行でアイビースクエアーを見て感銘を受け、オイルショック後の就職難の時代、叶うならば不遜にも浦辺設計を卒業後の進路にしたいと考え、浦辺氏宛てに入社を打診する手紙をしたためたことがありました。理由は忘れてしまったのですが、結局その手紙を投函することはなく、何とか建設会社への就職が決まったのでしたが、40年を越える時を経ても当時の記憶とほとんど変わらぬ姿のアイビースクエアーに再開することが出来ました。 展覧会はアイビースクエアー敷地の一画、アイビー会館にて開催されていました。壁面のほとんど全てが蔦で覆われた平屋建。 代表的な浦辺作品の写真、図面、及び模型、スケッチ等が天井高のある気持ちのよい空間に整然と展示されていました。 圧巻は模型の数々で、建築学科の学生達が手分けして造った力作ぞろい。浦辺作品はディテールが細やかで形も複雑なものが多いので、学生達は図面を読み込む作業を通して、たいへん勉強になっただろうと思われます。各々の模型の横には担当した学生達のコメントが添えられていました。
代表作の一つである倉敷国際ホテルの模型(正面側)
倉敷市庁舎は駐車場棟、低層棟、シンボリックな塔のある高層棟と続きます。
後期作品である神奈川近代文学館。横浜にある3つの展示作品のうちのひとつです。
来年は、倉敷に引き続き、横浜でこの展示会が開催される予定。
写真は、「黒と白の時代」と呼ばれる初期の作品である倉敷考古館増築。木造の本館に加えて鉄筋コンクリート造の階段室と展示室の新館を増築したもの。中央の階段室部分外壁は本館と同様に平瓦貼りですが、目地については本館のなまこ目地瓦張りとは異なる平目地張りとなっています。そして、それに続く展示室部分については、大胆にもモルタル仕上げのままの外壁にモダンなポツ窓が穿たれ、上部の壁面は何故かアーチ形状、その上に切り妻の置き屋根(木造・スパニッシュ瓦)が架けられています。 よくよく眺めていると地味ではありますが、実に味わい深いデザインで、階段室部分では既存本館との調和を図りながら、展示室部分は、一転本館とは差別化された自由でモダンな表現が模索されています。以後の浦辺建築の出発点となった作品とのことです。 上の写真は倉敷の浦辺建築を代表する作品、倉敷国際ホテルの外観。 外壁とも庇ともつかぬコンクリート打放しの「壁庇」が階毎の水平ラインを形づくっています。 他の浦辺作品にも共通して見られる特徴的な形態です。 上の2枚は丹下健三設計の旧倉敷市庁舎です(1枚目の道路右手の建物。2枚目はホール内観)。後に3市の合併により手狭になったため、浦辺設計の手で美術館に改修され現在に至っています。倉敷の街並みの中に丹下流のモダニズム建築が忽然と出現したわけですが、別の敷地での新しい市庁舎の設計にあたって、浦辺が出した答えはさて・・・。 倉敷市庁舎が完成したのは1980年。倉敷の伝統的な建築のあるエリアとは異なる新しい敷地に建っています。シンボリックな展望塔、西洋の古典建築をデフォルメして引用したかのような装飾的な意匠、アーチ形状のレンガ壁等々。上の丹下流モダニズム建築とは対極にあるといっても良い、浦辺流のポストモダンな庁舎建築です。 モダニズム的な視点で見れば、決して洗練された建築とは言えず、一見すると今風の商業施設かと見まがうような外観に、竣工当時はおそらく賛否両論(特に建築界からは)があったのではないでしょうか。休日で内部は見ることが出来ませんでしたが、1階に欧州の伝統的な建築に見られる閉鎖的な市民ホールが備えられています(現在の大阪市役所にも同様の市民ホールがあります)。 ここでの浦辺は倉敷の地域性を受け継ぐというよりは、むしろそこからは離れて、西洋の庁舎建築に規範を見出しながら、象徴的で格式のある市庁舎を目指したとのことです。 丹下の市庁舎も倉敷の地域性を参照しない丹下流モダニズムの建築でしたが、ひょっとしたら浦辺に丹下建築への対抗意識があったのかも知れません。 (浦辺は、そのクラフト的な作風に共通点を見出せる村野藤吾を尊敬していたそうです) そして市民の側から見れば、無味乾燥で画一的な公共建築とは一線を画したこの新しい庁舎、かえって親しみを持って受け入れられたのではないかと思います。 「黒と白の時代」の倉敷考古館とは、明らかに異なる、倉敷アイビースクエアーに端を発したといわれる「白と赤の時代」の代表作品です。 不易流行とは松尾芭蕉の言葉ですが、浦辺も終生この言葉を探求し続けたといいます。三省堂新明解四時熟語辞典から転記すれば、「いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。また、新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが不易の本質であること。蕉風俳諧(しょうふうはいかい)の理念の一つ」となっていますが、続けて「解釈は諸説ある」とされています。文字自体の意味からすれば、「不易」は変わらないこと、一方で「流行」は時代の変換に応じて変化することであって、芭蕉は互いの相反する言葉をくっつけた上で、「両者は同一である」と説いているので、少し混乱させられてしまいそうですが、「流行に合わせて変化し続けることこそが不易の本質である」と解釈することも出来るのでしょう。 浦辺も営繕技師の時代の工場建築やプレハブ建築に始まり、「黒と白の時代」から「白と赤の時代」を経て作風は大きく変化しています。そして「自分自身をコピーするようなことはしてはならない」と説いていたそうです。浦辺の「不易」とは「時代の要請を見極める柔軟な精神を終生変わらず持ち続けること」であったのでしょうか。その結果として生み出された作品は華麗に変化を遂げながら、時を経た現在においても変わることなく輝きを放っています。 蛇足ですが、この「不易流行」私なりに建築をつくる行為の中で考えると、「時の流れの中で、変わらないもの(変えるべきでないもの・引き継ぐべきもの)と、変わりゆくもの(変化に応じるもの・新しくすべきもの)をしっかり見定めて建築をつくること」と理解しています。 https://tk-souken.co.jp/wordpress/policy/policy_01/ ※この文章を書くにあたって、学芸出版社 「建築家 浦辺鎮太郎の仕事」-松隈洋・笠原一人・西村清是 編著 を参考にさせていただきました。カテゴリ:
2019.01.24
お正月休み利用の伊豆箱根方面のんびり旅。以前から一度訪ねてみたかったポーラ美術館(2002年竣工)です。 年明け早々、優れた建築に出会えて心が洗われる思いでした。何が優れているのか? まずは、美術館という文化的な施設をつくるためとは言え、この箱根の森の豊かな自然に対して人の手を加えるという事の重大性を全ての関係者が共有し、創る過程の様々な場面において熟慮と検討を重ね、環境への影響を最小限にとどめながら、この場所に最もふさわしい美術館を生み出そうとした姿勢と熱意がひしひしと伝わってくるのが素晴らしいと思いました。 次には空間構成の巧みさ。周囲の自然と一体化する中で、素材やプロポーションが周到に計算された開放的で変化に富んだ内部空間は、来訪者は単に美術品を鑑賞するだけではなく、展示室間を移動したり、カフェやロビーで一休みしたり、レストランで食事を楽しんだりする行為全体を通して、普段の日常とは違った唯一無二の高揚した時間を過ごすことが出来ます。様々なガラス素材の高度でディテール巧みな使い方を含め、まさに空間職人とでも言うべき設計者の手による、プロフェッショナルな建築と言えます。 三つめは構造形式の斬新さです。地上高わずか8メートルのこの建物はその大半が地下に位置しますが、建物の外壁は土に接していません。まずは円形のすり鉢状に地下を掘り下げてコンクリートの擁壁を作り、その中に十字形平面の鉄骨造の本体建物が擁壁とは離れて建てられています。擁壁と縁を切ることで、貴重な美術品を地下水や湿気から守り、建物周囲に排水空間が確保されています。また本体建物の基礎部分は地震の影響を受けない免震構造です。将来的に本体建物が老朽化した場合は、周囲の擁壁を残したまま次の世代の建物を建てることが出来るよう構想されたとのことです。 それでは来訪者の視線で順を追って紹介していきます。 道路からはブリッジを通って建物にアプローチします。建物の高さは低く抑えられており、この距離だと、背景の山並みを突出せず控え目にたたずんでいます。
アプローチから建物の中に入ると、大きな木製の自動扉が。この建物で唯一の「閉鎖的」といえるエレメントです。 練り上げられたディテールに、完璧に手入れの行き届いた美しいガラスの壁、天井で囲まれたエントランスです。ガラス越しの山並みのシルエットと真っ青の空、冬の優しい日差しに包まれています。 出入り口のある階は2階。エスカレーターでチケットカウンターのある1階に向かいます。さてこれからどんな空間が待ち受けているのか、期待感が高まります。 エスカレーターで下階へ降りていくと次第に館内の様子が明らかになってきます。1階レベルは左手に美術館のチケットカウンター、右手にはレストランへの出入り口があります。エントランスから続くガラスのトップライトが空間の奥まで伸びて、視線の先にある変化にとんだ内部空間と、ガラス越しの周囲の自然とのコラボレーションが爽快です。 1階のロビーからは吹き抜け越しに、展示室のある地下1階、地下2階までの空間が見渡せます。来訪者は、ダイナミックで特別な空間構成に心を高揚させながら、建物の中で自分が今居る場所をしっかり確認し、さてこれからどう行動するかを思案するのです。この突き抜けた開放感とわかりやすさ。来訪者にいかにして日常を離れた快適な時間を過ごしてもらうか・・この美術館のコンセプトが明快に表現されています。 私達は、レストランは後のお楽しみとして、エスカレーターで展示室のある地下1階に向かいました。展示室ではメインの企画展が開催されていました。この階のロビーに続く森に開いた大きなガラススクリーンのあるカフェは、地下とは思えない光にあふれた空間です。ミュージアムショップより展示室側の光壁をのぞむ
ガラスのトップライトや天井と共に特徴的なエレメントである光壁です。内部に照明を仕込んだこの半透明のガラス壁は地下2階から最上部のトップライトまで貫かれています。横羽目のガラスパネルに対比して内部の照明は縦のラインが強調されています。 地下2階から1階までの3層分を貫く鉄骨柱の断面形状は十字型。あたかも「エンタシスの柱」のように、ゆるやかに中央が太くなっていてエレガントです。地下2階の展示室への出入り口
地下2階から3層吹抜けの上階を見上げる
地下2階は落ちついた空間。各階ロビーの随所に彫刻が配されています
展示室内のPC版製の天井のディテールです。ここにも半端ではないこだわりが感じられます1階のレストランにようやく到着です
レストランから彫刻の庭をのぞむ
宿泊したホテルのモーニングビュッフェを満喫した後で(笑)、尚かつお昼には少し早かったので、同行していた家内といっしょに美術館特製のお洒落なスイーツをいただきました。1階から2階のエントランスへの見返し。3種類のガラスが巧みに使用されています
森と対話しているかのようにも見えるエントランスの彫刻。天気も最高なので、外を散策してみることにしました出来る限り自然のまま残された樹木の合間から、建物が垣間見えます
よく整備された散策路には、さりげなく彫刻が配されています。雪のつもった日や、新緑の頃に、また訪れてみたいと思いました。 本体からせり出した2階のエントランス部分が、アプローチのブリッジにつながっています。 コンクリート製の擁壁で固めた外周部。擁壁と縁を切って、本体の建物が建てられているのがわかります。 地下2階のロビーに置かれていた模型です。この案にたどりつくまで、おそらくたくさんの検討用模型が作成されたことでしょう。 設計担当者の安田幸一氏は、故林昌二氏設計のポーラ五反田ビルにあこがれて、日建設計に入社したそうです。ポーラ五反田ビル 1971年竣工
ポーラ五反田ビルは故林昌二の日建設計での最初の仕事で、以来ポーラ社のオーナであった故鈴木常司氏との長年の交流の中で、このポーラ美術館の基本構想までを手掛けた後、当時アシスタント役であった安田幸一氏に担当を譲られたとのことです。 多くの優れた建築作品を生み出した故林昌二氏が、自ら「格別に意義深い、建築家冥利につきる機会だった」と語る(「NIKKEN SEKKEI LIBRARY-11 ポーラ美術館」より)この美術館が日建設計での最後の仕事となったようですが、ポーラ五反田ビル同様、このポーラ美術館も次世代に伝えていくべき建築の一つであることは間違いがありません。 箱根には多くの美術館がありますが、建築にかかわる者ならば、このポーラ美術館は必見。 この建築に触れた若い世代が、次代を担う建築家に育ってくれる、いやもう育っているかも知れません。カテゴリ:
2018.08.27
小樽芸術村のもう一つの建物である「旧高橋倉庫」はステンドグラス美術館となっています。外壁は石造り、内部は木造という小樽に特徴的な建築の壁面一杯に、バックに照明を仕込んだきらびやかな色彩のステンドグラスが、展示されています。中央に吹き抜けを挟んだ空間構成で、様々な角度から作品を楽しめる様工夫が為されています。 観光客でにぎあう堺町通りは、小樽を代表するクラフト製品のお店が並んでいます。中でも硝子製品を販売する「北一硝子」は小樽を代表する老舗で、様々な種類の硝子製品を扱う複数の店舗と合わせ、美術館やカフェも開設しています。朝一番で「北一硝子3号館」にあるカフェ・レストラン「北一ホール」に立ち寄ると、早くも順番待ちの行列が出来ていました。 行列に並んだおかげで、開店前の一時、店内に167個ある!石油ランプ一つ一つに点灯する様子を見ることができました。お店の基本の灯りはこの石油ランプだけ!。100年以上も前、石油ランプ一つから北一硝子の歴史が始まったそうです。石油ランプの温かい灯りに満たされる窓の無いダイナミックな木造架構の空間。ちょっと懐かしい感じがする石油のほのかな匂いが漂う中、壁面一杯にディスプレーされたガラス製品や、正面の世界地図のオブジェを眺めながら、家内と二人、朝のスイーツを楽しみました。 さて、この日は積丹半島1周の絶景ドライブに出かける予定でしたが、生憎の雨模様。予定を変更して、余市の「ニッカウヰスキー余市蒸留所」を見学することにしました。
広大な敷地、豊かな自然の中にゆったりと各施設が配置されています
小さなとんがり屋根が連なる醗酵棟の建物
適切な火力を保ちながら石炭をくべるために熟練の職人技が必要になる、今では世界でも希少な「石炭直火蒸溜」が採用されている単式蒸溜器(ポットスチル)。上部の注連飾りに注目
手作りの樽の中でウイスキーを熟成させる貯蔵庫の一つはウイスキー博物館となっています。
貯蔵庫の奥行きは50M
NHKドラマの「マッサン」でお馴染みニッカウヰスキー創業者竹鶴政孝の愛妻の家「リタハウス」
余市蒸溜所の正門を敷地内から見たところ
ウヰスキーの製造工程の見学と、試飲等も出来る蒸溜所ガイドツアーが30分毎に実施されていました。何と90分のガイドツアーが無料。私たちの班は、ニッカウヰスキーの今年の新入社員で研修中という初々しい女性が案内してくれましたが、研修中とは言え、なかなかどうしてどうしてその名ガイドぶりに感心することしきり。創業者の夢と情熱を受け継ぎ、本物のモルトウヰスキーづくりの過程とその奥深い魅力を、訪れる人々にきちんと伝えようとする熱意に感じ入りながら、たいへん興味深い時間を過ごしました。運転手のため試飲が味わえなかったのが残念!!カテゴリ:
2018.08.24
明治後期から昭和初期にかけての小樽港大繁栄の時代に次々と建てられた欧風意匠の建築群。誰が名づけたのか「北のウォール街」と呼ばれるエリアです。
日銀通りと呼ばれる道沿い、明治45年(1912年)竣工の「旧日本銀行小樽支店」を筆頭に銀行建築が建ち並びます。
これぞ「旧日本銀行小樽支店」。現在は金融資料館になっています
こちらは小樽バインというワインのお店が入る「旧北海道銀行本店」
「旧三井銀行小樽支店」は「小樽芸術村」の建物のひとつとして内部が公開されています
「小樽芸術村」は北海道で生まれ育った㈱ニトリホールディング(家具のニトリ)の似鳥昭雄会長が開設。「旧北海道拓殖銀行小樽支店」、「旧三井銀行小樽支店」、「旧高橋倉庫」、「旧荒田倉庫」の4棟を利用してそれぞれの建物にその時代を彩ってきた日本や世界の美術品、工芸品が展示公開されています。。「旧北海道拓殖銀行小樽支店」は「似鳥美術館」とアールヌーボーとアールデコそれぞれの時代のグラス作品や家具が展示されている「アールヌーボー・アールデコグラスギャラリー」があり、なかなかに見応えのある施設に生まれ変わっていました。「似鳥美術館」の一角に展示されていた岡本太郎氏の作品。左側の4点は
「座ることを拒否する椅子」
「旧三井銀行小樽支店」は銀行時代の営業室がリニューアルして公開されており、一部の部屋では浮世絵展が催されていました。日本が欧風建築の意匠を取り入れて建てた建築空間で、逆に日本発で世界のアートに大きな影響を与えた浮世絵の展示というのも面白い企画ですね。 この建物は地上2階建て(地下1階)ですが営業室全体がほぼ2層吹き抜けとなっている贅沢なつくりです。2層吹き抜けの天井を利用してのプロジェクションマッピング。映像が刻々と入れ替わり幻想的な雰囲気です
地下にある金庫室の出入り口。堅牢なつくりの扉が大迫力です
(続く)
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2018.08.21
お盆休みは酷暑の大阪を脱出し、一昨年に引き続き再び北海道へ!一昨年は高校から大学まで一緒の相棒Y君と、愛車ハーレーダビッドソンに跨り、北海道一周3,000キロの駆け足ツーリングを敢行したのですが、今回は妻とゆっくりレンタカーでのんびり熟年旅行です。その中でも一番印象深かった小樽の街の様子を追々紹介していきます。 かって明治後期から昭和初期にかけて北日本有数の貿易港として栄えた小樽。海を埋立てて一部の海面を残して築造した「小樽運河」。運河に面して建ち並ぶかっての倉庫群は外観は当時のままで、内部は店舗などにコンバージョン。改めて運河の一部を埋めたてて遊歩道が整備され、夜間はガス灯の幻想的な光で水面に映えるレトロな建築群が浮かび上がります。 海運、銀行、商社等一流企業の支店が建ち並び、かっての街の興隆ぶりを今に伝える「北のウォール街」の一つ一つが個性的なモダン建築群。これらの建物も内部は、資料館や美術館、博物館、レストラン、観光案内所などとして再生されています。 そして、オルゴールやガラス製品、有名店のスイーツ等、小樽ならではのショップがお目当ての観光客で大賑わいの「堺町通」。 古き良き繁栄の時代の遺産を見事にリニューアルして再生し、小規模ながらその独特の街としての魅力で世界中から観光客を集め続ける小樽の街は、スクラップ&ビルドではない「歴史を次世代に繋げていく」まちづくりの先駆的事例であり、成熟した日本の文化を感じさせてくれます。
小さな遊覧船に乗り込み40分の小樽運河ナイトクルーズです
ブリッジの下をくぐって、遊覧船はしばし小樽港方面へ向かいます
かって小樽港に着いた船から運河沿いの倉庫まで物資を運んだ「艀-はしけ」が残っていました
遊歩道の無い北側の運河は当時のままの巾で残っています。明るい灯火は現役のイカ釣り船
淡い灯りの中、当時のままの姿で浮かびあがるのは「北海製罐小樽工場倉庫」
遊覧船に乗り込む前に降りだした雨も何時しかあがり、爽やかな海風を感じながらの40分のクルーズは小樽観光の定番コース。 案内役のガイドさんの説明に耳を傾け、河岸で運河を眺める人々やすれ違う遊覧船に手を振りながら、刻々と移り変わる眼前の風景を楽しむ満員の船内は、あちこちで子供のような歓声に満ちていました!! かっての鉄道の線路がそのまま残っている「旧手宮線」沿いの遊歩道に沿ってしばらく歩くと、なにやらどこかで見たことのあるようなモダン建築が現れました。昭和27年に小樽地方貯金局として建てられた建物を活用した市立小樽文学館・市立小樽美術館です。この建築のことを少し調べて見ると、設計は当時の郵政省建築部長だった小阪秀雄氏で、その後の「日本の公共建築の基本形」となったと言われているそうです。昭和28年生まれの私ですが、この建物を人目見たとき感じたデジャブ(既視感)の理由が分かったような気がしました。外壁の一部が汚れたまま無造作に建っていますが、昭和の小樽を代表するモダニズム建築です。階段室の大きなガラス窓は、当時としては思い切りモダンに感じられたことでしょう
高く伸びたシャフトに階段が取り付く妻側ファサードは美しいプロポーションです
内部からの階段越しの眺め。スウェーデン芸術祭が開催中でした。
(続く)
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2018.03.12
お正月の休みを利用して、四国松山を旅しました。遅ればせながらのご報告です。道後温泉で有名な松山は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」で描かれた正岡子規と松山兄弟が生まれ育ち、また「坊ちゃん」の著者である夏目漱石が松山中学校の英語教師として赴任していた地でもあります。松山市では、彼らゆかりの施設や場所を整備し、それらを有効活用しながらのまちづくりが進められています。その中心となるのが、平成19年に開館した「坂の上の雲ミュージアム」です。 上に行くほどせりあがったガラスのカーテンウォールが特徴的な外観。建物の平面は三角形なのですが、外から一見しただけではそうとは分かりません。恥ずかしながら、実は私、この建物の設計者が誰であるかを知らずに訪れたのですが、ファサードを見上げた第一印象は、どこか大手の組織設計事務所の若手が少し気合を入れて設計したのかな?くらいに思っていました。
露地状のアプローチを見返す
玄関は入ってすぐのホール
少し傾いた塀とガラスの手摺に挟まれた露地状のアプローチを通ってホールに入ると、上部にスロープと空中階段を大胆に配し、傾斜したコンクリート打放しの壁面に挟まれた吹き抜け空間が現れます。 最上部のスリット状のトップライトからは引き締まった光が降り注いでいます。 これはひょっとして・・・そうです。安藤忠雄さんの設計でした。上階へ向かうスロープ。奥に見える階段は主として下階へと降りていく時に使われます
来訪者は、3角形の平面の外周に配されたスロープを歩きながら、それにつながる各展示室を巡るようになっています。3Fから4Fへ向かうスロープの壁面には、産経新聞に連載されていた「坂の上の雲」
の紙面が、びっしりと並べられています。
建物の構成を、言葉で説明するのは中々難しいので、以下にパンフレットのコピーを掲載しておきます。 2階には書籍が閲覧できるライブラリーラウンジやミュージアムカフェ、3階から4階にかけて、3つの展示室があり、それぞれのテーマで「坂の上の雲」の世界が表現されています。「坂の上の雲」で描かれた時代背景を紹介する最も開放的な3階「展示室1」
右側の壁面に沿って、緩やかに上ってゆくスロープが見えます
展示室1のカーテンウオール越しに見える洋館は、同じ敷地内にある「萬翆荘」bansuisou 。
旧松山藩士の子孫である久松伯爵の別邸として建築。国重要文化財に指定されているそうです
変化に富んだ建築空間を体験しながら、スロープ(坂道)を主とした回遊動線をゆっくりとたどり、それぞれ趣向を凝らした展示空間で、各々のテーマごとに「坂の上の雲」の世界を楽しめるようになっています。写真でも分かるように、展示室の面積に比して、吹き抜けやスロープ、空中階段などを含む共用空間に充分なゆとりがあり、建物全体が安藤流ミュージアムといえます。 帰りぎわにインフォメーションカウンター付近に立ち寄ると、サイン入り色紙が2枚飾ってあったので、誰のものなのか係の方に訊ねると、一人は竹下景子さん、もう一人は隈研吾さんですよ、と嬉しそうに教えてくれました。2枚の内の1枚が隈さんのサイン入色紙とは少し意外でしたが、新国立競技場のコンペに勝って一挙に知名度アップされたのかも知れません。建築と関係のないプライベートな友人に、たとえば槇文彦さんや伊東豊雄さんといった私が尊敬する建築家の話をしたくて尋ねてみても、残念ながらその名を知らないことがほとんどで、寂しい思いをすることがあります。日本での建築家の社会的な認知度はまだまだ低い (それはもちろん建築家側の責任ですが)・・・そんな中で、竹下景子さんと並ぶ隈研吾さんの色紙を見て、少し嬉しく思いました。カテゴリ:
2017.11.28
2017年11月18日から12月3日まで行われている平等院のライトアップ。平成の大修理後はじめての夜間特別拝観で、境内の紅葉と国宝・鳳凰堂が鮮やかに浮かびあがります。つたない写真ではありますが、荘厳な雰囲気を少しでも感じていただければ幸いです。
18時の拝観開始を待って黒山の人だかり
池越しに望む幻想的な鳳凰堂全景
中央に鎮座する阿弥陀如来坐像が鮮やかに浮かび上がります
側面、池にかかる橋越しに望むちょっと現実離れした風景です
池に映りこむ橋の優美なシルエット
ライトアップされた紅葉の向こうは「ミュージアム鳳翔館」
少しだけ拝観者が少なくなった帰路で、ゆっくりと紅葉が楽しめました
おまけですが、すぐそばにあるスターバックス。こちらの庭園も見ごたえ充分。
庭園につながる店内からの眺めも素敵でした
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2017.11.16
孫の七五三のお祝いで名古屋に出向いたついでに、翌日岐阜まで足を伸ばし、伊藤豊雄さんの近作である「みんなの森 ぎふメディアコスモス」を訪れました。 「みんなの森 ぎふメディアコスモス」は、1階に市民活動交流センター・多文化交流プラザ等のコミュニティー施設と展示ギャラリー、2階は市立中央図書館からなる複合施設です。 以前に紹介した「仙台メディアテ-ク」と同様、設計コンペティションで伊藤豊雄さんの事務所が設計者に選ばれました。 1階の模型コーナーでは、隣接して建設される予定の岐阜市新庁舎の模型が一緒に展示されていました。調べてみると、新庁舎の方は伊藤さんの設計ではないようで、曲線を使った柔らかい印象ではありますが、模型を見る限り、比較的オーソドックスな庁舎のように見受けられました。 「みんなの森 ぎふメディアコスモス」は平面的にはシンプルな矩形の2階建ですが、2階部分の屋根には、多数の大きさのちがう「こぶ」のようなものが、まるで何かが湧き出たように、ぼこぼこと盛り上がっているのが分かります。
1階エントランスホール。写真中央左側に2階図書館へ上がるエスカレーターが見える。
天上からふりそそぐ光に導かれて2階へと登るエスカレーターとエレベーター
2階図書館の木で組まれたうねる天井。華奢なサイズの鉄骨柱が荷重を支えています
1階に展示されている2階天井木組みのモックアップ。ファブリックのような軽やかな架構です。薄い木材が層状(3層)に組まれているのがわかります。木材は岐阜県産の「東濃ヒノキ」 模型で見た屋根の盛り上がりの正体は「グローブ」と呼ばれる空間。トップライトのある頂上部から、光を通すファブリックで作られた大きな傘のようなものが、いくつもぶら下がっています。「グローブ」の下はそれぞれテーマや役割を与えられていて、利用者は「グローブ」の間を自由に移動しながら、思い思いに好きな時間を過ごすことが出来ます。よく見るとファブリックの模様は「グローブ」ごとに全て異なっているのが分かります。大きなグローブに囲まれてゆっくり読書が出来る場所。
「ゆったりグローブ」と命名されていました。
図書館全体は一つの街のようなオープン空間ですが、その中に「グローブ」でゆるやかに分節された小さな空間が用意され各々に機能が与えられています。閲覧スペースとなっているグローブでは、それを取り囲むようにグローブの役割に関連した書架が放射状に配置されています。来訪者は、大きな空間の中で自分の好みの居場所が見つけやすく、グローブの傘の下に身を置くと、適度な囲われ感の中で、上部からの拡散した穏やかな光や緩やかな空気の流れ、かすかな天井材の木の香りなどを感じながら、実に気持ちのよい時間を過ごすことが出来るのです。 うねる天井と頂部が盛り上がったグローブの形状にはちゃんとした理由があって、館内の空気の循環をスムーズにする目的があるようです。グローブの頂部には換気口があり、夏はこの換気口を開いて熱い空気を外に排出し、冬場は閉じて暖かい空気を逃がさずに館内で循環させるようになっているとの事。この当たりは、自然エネルギーを出来るだけ効率的に利用し一次消費エネルギーを削減するために、高度なシュミレーションが繰りかえされたであろうと推察します。 「光や風などの自然そのものをデザインに取り込みたい」とは、伊藤氏の最近の著書 「「建築」で日本を変える」―集英社新書 の中での言葉です。 あるべき空間の明快なコンセプトと、それを形にするための発想の新鮮さ、そしてそれを可能にする確かな技術力が合わさって始めて可能になる空間に感銘を受けました。 最近の建築雑誌の記事によれば、上記の木組み天井と屋根との間の空気層に水分が溜まり、図書室内への水漏れが発生しているそうです。空気層の中のグラスウールの水分が結露したと考えられること、また複雑な屋根形状のため手作業で屋根鋼板を施工した箇所に漏水が認められたこと、などが原因とされています。現時点では、屋根上に送風機を設けて、空気層の部分に風を送り込むことで改善されてきているとの事です。 やはり前例の無い新しいことに挑戦すると、想定外の事態が起きることもあるのでしょう。雨漏りは決して許されることではないですが、この木組みのうねる天井が、これだけ快適でユニークな空間を生み出すことに成功しているのですから、運営に携わる皆さんも市民の皆さんも、あまり目くじらをたてずに、どうか寛大な眼で見守っていって欲しい...建物を造る側の人間として、勝手ながらそう思いました。カテゴリ:
2017.08.24
お盆休みを利用した東北旅行で、かねてから行ってみたかった伊藤豊雄氏設計の仙台メディアテークを、ようやく訪れることが出来ました。 東日本大震災で打撃を受けた内装も復旧されており、お盆休みの最中の土曜日でしたが、仙台市民の皆さんが気軽に立ち寄れる図書館やアートギャラリーなどを含む複合的公共施設として、朝から賑わっていました。
1階ロビー越に仙台市のメインスストリート定禅寺通りのけやき並木が望めます。
何と言っても特徴的なのは構造形式です。一見するところ柱も梁も見当たりません。柱の役割を果たしているのは、白い鋼管トラスでつくったチューブ状の独立シャフトです。平面的にアットランダムな位置に合計13本が配置されていて、チューブの中身はエレベーターや階段、設備シャフト等、各階を縦につなげる用途としてそれぞれが利用されています。チューブの最上部からは空からの光が降り注ぐという斬新な構造体です。 床はと言うと、梁の無い鉄骨フラットスラブ(ハニカムスラブ)というもので、鋼板のサンドイッチ構造となっているので、フラットな天井が伸びやかに広がっています。 このまるで樹木のようなチューブ状のシャフトとフラットな天井の他には、壁や仕切り等はほとんど無い空間。それは、伊藤豊雄氏の言葉を借りれば、「公園のように、自分の好きな場所を選んで自由に過ごすことが出来る空間」です。チューブの中の黒い部分は設備シャフトとなっています。
1階ロビーにあるカフェスペース。中央が盛り上がったテーブルがユニークです。
このチューブの中には階段が納められています。
2階~4階は仙台市民図書館となっており、開館前からたくさんの市民の皆さんが列をつくっていました。写真撮影に興じていると、昨年の富山のキラリに引き続き、ここでも図書館の係りの方に呼び止められ、1階の受付で写真撮影の許可を受けてくださいとの事。急いで1階の受付まで降りて、カウンター内の女性に「すみません。写真撮影の許可をいただけますか~。実はもうたくさん撮っちゃったんですけどねぇ・・」と御願いすると、女性は私をとがめることもなく、ただ「アッハッハッハ~」と高笑いしながら、注意事項を書いた紙と撮影許可のバッチを手渡してくれました。富山のキラリに比べてずいぶんと大らかな対応に、昨年同様少しだけムッとしかけていた気持ちが和らぎ(笑)、以後は心置きなく撮影に励むことが出来ました。(もちろん一般の方々に不快感を与えるような撮り方はしていませんので念のため)フラットな天井と白いチューブの空間に開架式の本棚が並ぶ様は圧巻。
天井から吊り下げられた照明器具が天井を照らし、柔らかな光に満たされます。
こちらはエレベーターのあるチューブの出入り口。
この建物で唯一の原色である、チューブを囲む家具の鮮やかな赤が眼に飛び込んできます。
外周は透明な皮膜で覆われています。
1階へと下るエスカレーター。正面ガラスの向こうには定禅寺通りが見えます。
これ以上ないくらいに明快なコンセプトと、それを可能にする確かな技術力。このユニークな構造設計を担当したのは佐々木睦朗さんという構造家。構造設計者はあまり表に出ることは少ないのですが、この建築での佐々木氏の役割はとても大きくて、建築を創り上げていく上で、意匠と構造の理想的なコラボレーションがここに実現していると言えます。 コンペで選ばれたこのメディアテークですが、当初はクライアントである仙台市に理解してもらうのはたいへんだったようです。チューブ状の柱はフロアの邪魔になる、効率が悪いなどとずいぶん非難されたとの事。ところが工事が進んで建築が形になり始めると、役所の方も施工会社も反応が変わってきて、「今まで見たことのない新しいものを自分たちはつくっているんだ」という自負心が生まれ、つくることを共有できるようになったそうです。つまり建築はコミュニケーションの場を提供するのではなく、建築をつくることそのものがコミュニケーションであり、そこにコミュニケーション空間があるのだ(PHP新書:日本語の建築-伊藤豊雄著-より)と伊藤氏は述べています。 特に東日本大震災を経験した以後の設計作業で、自主的にワークショップ等を開催するなどして、その建築に関わる地域の皆さんの意見に耳を傾け、垣根の無いコミュニケーションの中から、みんなで一緒に建築を創り上げていくことに意義を見出そうとする伊藤建築の原点が、この仙台メディアテークにあるように思いました。カテゴリ:
2016.08.22
3つ目の建物は、この小旅行の最終日、閉館間際の夕刻に訪ねた「鈴木大拙館」。 ニューヨーク近代美術館など、多くの優れた美術館建築を設計している谷口吉生氏の作品です。 谷口吉生さんは私の大好きな建築家の一人です。 どの作品も、設計コンセプト、空間構成、素材の選択、ディテール、どれをとっても完璧に隙が無いくらい考えぬかれています。決して奇をてらったり大袈裟なことはせず、あくまでも作品の洗練度を高めることに注力する職人的なこだわりの積み重ねの結果に生まれる空間は、極限まで研ぎ澄まされていて、どこをとっても凛とした風格を漂わせています。 ですので、その作品を目にするといつもしゃきっと背筋が伸びて気が引き締まり、自分ももっと頑張らねば・・という気にさせられるのです。
アルミルーバーで覆われた簡素な、建物へのアプローチ
右は「玄関の庭」。左は「展示空間」に至る内部回廊
もちろん、この「鈴木大拙館」も例外ではありませんでした。 「鈴木大拙館」は、世界的な仏教哲学者である鈴木大拙の生涯に学び、その思想に出会う場所として、金沢市生まれの鈴木大拙の生家の近くにひっそりと建っています。館内は、鈴木大拙を知る「展示空間」、鈴木大拙の心や思想を学ぶ「学習空間」、それぞれ自らが考える「思索空間」の3つの空間で構成されています。玄関を入るとまずクスノキのある「玄関の庭」が見え、次に光がコントロールされた長い内部回廊を経て、「展示空間」に至ります。右側の独立した建物が「思索空間」棟
右側が「思索空間」に至る外部回廊。正面の石張りの壁の向こうが「展示空間」
「展示空間」に隣接した「学習空間」は「露地の庭」が望める落ち着いた空間です。来訪者はこの「学習空間」から風除室を通り外部に出て、「水鏡の庭」に面した外部回廊を歩きながら池に浮かんでいるかのような「思索空間」にアプローチしていきます。この外部回廊は、先の内部回廊と一枚の壁で仕切られていて、対照的な往路(内部)と復路(外部)が表裏一体となっているところが、この平面計画のポイントでしょう。隣地の緑に映える端正な建築。水面のかすかな揺らぎが静けさを感じさせてくれる
「思索空間」の開口部は、絞りこまれた美しいプロポーション
この建物の中で大きな面積を占める「水鏡の庭」は、時に移ろいゆく水面から鈴木大拙の精神である「静か」「自由」を表現したとの事です(作者注)。独立した一棟である「思索空間」はこの建物の核となる正方形平面の空間。90センチ画の束立ての畳を自由に組み合わせることで、思索、語らい、茶会などの利用が想定され、三方に穿たれた開口からは、それぞれの池越しの静かで落ち着いた空間を垣間見ることが出来ます。ここは時を忘れていつまでも座っていたくなる場所で、まさに「鈴木大拙館」の精神を象徴する空間となっています。 以下はこの作品が掲載されいる「新建築」という雑誌に作者が寄せた文章です。アプローチ側にある建物の銘板
「建築交流ネットワーク協定の締結」を記した銘板
上の最後の写真は、谷口吉生氏が設計した美術館や博物館が連携して「建築交流ネットワーク協定」締結したことを記した銘板で、氏の「質の高い意匠」を共通の特色として認識し、相互に連携して振興を図ることに同意したとされています。 これまで氏が設計した建物のクライアント(管理運営者)全てが氏の設計した建物に敬意を表し、これからも大切に使っていきましょうね!と誓っている・・ まさに建築家冥利につきるこの銘板に、羨望と感動を覚えました。