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2023.09.16
この日(令和5年9月16日)は高校同窓会の幹事が集う実行委員会。オフィスでの同窓会案内の発送準備作業等を無事に終え、6人で同級生が出演予定のライブBarへと向かいました。 オフィスのある清水谷町から上町筋まで出たものの、地下鉄を使うのにはちょっと中途半端、タクシーもすぐにつかまりそうにないので、少し時間もある事だし、空堀商店街を通ってぶらぶら歩いていこうか、と言うことになりました 。
商店街を抜けて谷町筋に出たところで、一番早く飲みたがっていたY君が、タクシーがちょうど2台やってくるのを見つけ、すかさず手を挙げると、うまい具合に2台続けて停まってくれました。 すっかりウォーキングモードになっていた残りの5人でしたが、まあ早くビールにありつけるのもいいか!となり、3人ずつに分乗してライブ会場に向かうことに。もちろんワンメーターで、タクシーの運転手さんのご機嫌はあまり良ろしくなさそうです(笑)。 グルメなKさんと、この辺りの美味しいお店の話などをしている内に、あっという間に現地到着です。<了>
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2023.06.08
磯崎新氏設計の京都北山にある京都コンサートホールでの音楽会
1階ホールを取り巻くスロープをゆっくりと昇って演奏会場であるアンサンブルホールムラタに向かいます。演奏会のあるアンサンブルホールムラタ前のホワイエ
さて、弦楽四重奏であるこの演奏会のプログラムには、ハイドン、ショスタコーヴィチときて、休憩後の演目には、キングクリムゾン、ピンクフロイド、エマーソン・レイク&パーマーと言った1960年後半から1970代半ば頃に流行したプログレッシブロックのアーティスト名が並びます。 弦楽四重奏でロック? 私が10年以上前から注目しているこのモルゴーア・クァルテットの4人組は、それぞれがクラシックの世界で活躍する一流の演奏家達。元々はショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲を演奏するために1992年に結成されたそうですが、メンバーの一人である荒井英治氏のプログレ愛が高じて、プログレの名曲をレパートリーに加えるようになりました。 ショスタコーヴィチとプログレ、もっと言えばクラシックとプログレは、まあ何となく親和性がありそうですが、弦楽器の4器だけでロック、それも複雑なリズムや音調・音階を持ったプログレを演ろうというのは、無謀な試みと言っても過言ではありません。しかしながらこの4人組は見事にそれをやり遂げとげています。まさに4人だけのシンプルなステージセッティング
上の画像はモルゴーア・クァルテットの3枚のCD。1枚目の「21世紀の精神正常者たち」と2枚目の「原子心母の危機」は彼らのサイン入りです。 ・キングクリムゾン ・ピンクフロイド ・イエス ・エマーソン・レイク・&パーマー ・ジェネシス などいずれもプログレの大御所達の名曲ばかり。 CDのジャケットデザインやタイトルもウィットに富んでいて、クラシック畑の人たちがこんなCDだすのか~と嬉しくなります。 ともあれ百聞は一見にしかず。 YouTube から拝借した映像で、彼らの熱演を体感してみてください! ついでに過去のBlogから、キングクリムゾンのコンサートレポートはこちら。カテゴリ:
2020.12.03
ザ・バンドの誕生から「ラストワルツ」の解散コンサートまでを、バンドの中心メンバーのギタリスト、ロビーロバートソンの視点から描いたドキュメンタリー映画「ザ・バンド かって僕らは兄弟だった―ONCE WERE BROTHERS ROBBIE ROBERTSON And THE BAND」を見に久しぶりに映画館へ。夕刻の梅田シネ・リーブルの小さな箱には、勤め帰りと思しき音楽好きが若干名。1960年代の後半から1976年の解散コンサートまでの短い間活動した、いぶし銀のようなロックバンドのドキュメンタリーとなれば、おそらく客は私と同世代ばかりかと思いきや、比較的若い世代も交じっていたのが嬉しい。 製作総指揮の一人は、映画「ラストワルツ」を監督したマーティン・スコセッシ、監督と共同編集は若手のダニエル・ロアーで、コンサート映像やメンバーやバンドと関わりのあるミュージシャンのインタビュー映像を交えながらかっては「兄弟」だった(過去形なのが悲しいけれど)メンバー同士の絆と軋轢を、大半のバンドの楽曲の作詞・作曲者でもあるロビーが思い入れを込めて語る構成になっています。 1972 年にリリースされたライブアルバム「ロック・オブ・エイジズ」を聞いて、私がこのバンドのファンになったのは大学1年生。当時大学のフォークソング倶楽部(「海はすてきだな」というラブソングをヒットさせた、ザ・リガニーズというバンドがこの倶楽部出身でした)に在籍していた私は、この倶楽部で知り合ったメンバーとバンドを組んで活動を始めたばかりで、まだ黒人ブルースに目覚める前でしたが、ザ・バンドの(今で言うところの)アメリカのルーツミュージックを基礎にしたなんとも言えないグルーブ感と、渋くて泥臭いハーモニーに心を奪われたものでした。特に好きだったのはドラムの南部出身リヴォン・ヘルムのヴォーカル、そしてリック・ダンコの、派手さはないけれどツボを押さえたドライブ感のあるベースも結構好きでした。 当時の文化祭で同じクラブの先輩グループが、ザ・バンドの代表曲の「ザ・ウェイト」を演奏しているのを聞いて、おぬしらやるな!と感心したものです。(ちなみにこの年の文化祭では、僕たち一年生は、皆でビートルズの「You're Going To Lose That Girl」を輪唱したのですが、これはこれで結構クオリティー高かったと今でも思っています・笑) その「ザ・ウェイト」ですが、バンドの楽曲の中ではピカ一と言っていい私のお気に入りソングで、スマホの着メロにも採用!あの映画イージーライダーの中で、2台のハーレーダビットソンが自由奔放に荒涼たる砂漠の中を疾走する場面で、この曲が使われています。 全体的には、聖書からの引用と思しき言葉が多く出てきて、ちょっと難解で意味不明な感じの歌詞ではあります。 その中で繰り返し出てくるTake a load off Fanny, take a load for free と歌うサビの部分を直訳すると、前半部は「荷物を降ろしてしまえ」(Fannyの意味は複数あるようですが、ここでは省略)、後半部はfreeを「自由」と解釈すれば「自由になるために荷物を取れ」となり、freeを「ただ(無料)」と理解すれば、「荷物を取るのにお金はいらないぜ」というような意味になります。 いずれにせよ、荷物を降ろすのか?取るのか?どっちなの?という感じで、一見矛盾しているようにもみえます。しかしながら、私の勝手な解釈としては・・・後半部を例えばtake a load off for free と歌うとより分かりやすいのでしょうけど、それではちょっと語呂が悪いので、offを省略したのではないか?と。このoffが無くても、前半部のフレーズを受けて、後半部の take a load を「荷物を(降ろすために)取る(あるいは選ぶ)」と考えれば、矛盾しないと思います。 要は、「余計なものは持たず、(心の中の)重荷を降ろして楽になろう、気ままに自由に生きようぜ!」というメッセージが繰り返しサビで謳われているわけで、まさにイージーライダーのあの場面にピッタリですね (歌の題名のザ・ウェイトは the weight で、このloadを言い換えたものと思われます)。 ハーレー乗りのちょい悪親父の心が、くすぐられます(笑) 曲調は高揚感のあるゴスペル調。そして全体的にはまるで聖書をからかっているようにも見える歌詞。ひょっとしたら、ここでの loadは、lord にかけているのではないかと思ったりしますが、考えすぎでしょうか。 とまあ、こんな感じで聴き手が歌詞の意味を好き勝手に解釈して楽しむのを、この曲の作者であるロビーロバートソンは望んでいるのかも知れません。 (インタビューの中で歌詞に意味なんていらない、みたいな事を言っています) アレサフランクリンをはじめとして多くのミュージシャンに、思い入れを込めてカバーされているこの「ザ・ウェイト」。歌詞の意味云々より楽曲そのものの秀逸さと、今は亡きリヴォン・ヘルムの渋くソウルフルなヴォーカルの魅力で、これからも永く聴き継がれていくことでしょう。 ラストワルツコンサートの中では、ゴスペルグループのスティプルシンガースがゲスト参加、この曲をザ・バンドと一緒に熱唱していますが、これはもうめちゃくちゃ恰好いいので、ぜひ聴いてみてください! 結局、話が「ザ・ウェイト」のことばかりになってしまいましたが、ザ・バンドの魅力については、また機会があれば書いてみたいと思います!
(了)
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2017.05.26
母校の高津高校が2018年に創立100周年を迎えるため、様々な記念行事が企画されていますが、母校体育館に2017年5月14日にジャズピアニストの大塚善章氏を招き、記念コンサートが開催されました。 1934年生まれの大塚善章さんは高津高校の卒業生で、何と高校在学中に母校の校歌を作曲したという人物で、83歳になった今でも現役のジャズピアニスト・作曲家・音楽プロデューサーとして、幅広い活躍をされています。 今回は、大塚善章さんのジャズクインテットの演奏に加え、母校在校生のアンサンブル部、及び吹奏楽部とのコラボレーションが実現しました。 クインテットの演奏の中でも、大塚善章さん作曲の壮大なピアノコンチェルト「上町台地2004」は故郷大阪への想いを謳いあげる感動的な楽曲でした。 そして、そのクインテットの円熟のステージは元より、関西ジャズ界の重鎮と夢の競演、という又と無い機会を与えられ、一生懸命練習を重ねてこの日を迎えたであろう在校生諸君の熱演にも心に響くものがありました。 今後、この経験を糧に、在校生の中から大塚さんの背中を追いかけるようなビッグなミュージシャンが育ってくれれば嬉しいものです。 素晴らしい企画を実現していただいた記念事業実行委員会の皆様に感謝、感謝です。
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2016.12.14
授賞式に出席しなかったボブ・ディランが授賞式後の晩餐会に向けたメッセージを寄せました。 米国大使が代読するという異例の事態でした。 何故自ら出席して、自らの口から語らなかったのか? 楽曲(楽曲と一体である自らの詞を含む)を作り続け、歌い続けたことに対して、ノーベル文学賞が授与されたという事実を、(戸惑っていることはよく伝わりますが)本音のところではどのように受けとめているのか? 聞く人によって色々な捉え方があると思いますので、 今回は、私の個人的な感想は封印して、以下にその全文を掲載しておきます。 皆さん、こんばんは。スウェーデン・アカデミーのメンバーとご来賓の皆さまにご挨拶申し上げます。 本日は出席できず残念に思います。しかし私の気持ちは皆さまと共にあり、この栄誉ある賞を受賞できることはとても光栄です。ノーベル文学賞が私に授与されることなど、夢にも思っていませんでした。私は幼い頃から、(ラドヤード)キップリング、(バーナード)ショー、トーマス・マン、パール・バック、アルベール・カミュ、(アーネスト)ヘミングウェイなど素晴らしい作家の作品に触れ、夢中になってのめり込みました。いつも深い感銘を与えてくれる文学の巨匠の作品は、学校の授業で取り上げられ、世界中の図書室に並び、賞賛されています。それらの偉大な人々と共に私が名を連ねることは、言葉では言い表せないほど光栄なことです。 その文学の巨匠たちが自ら「ノーベル賞を受賞したい」と思っていたかどうかはわかりませんが、本や詩や脚本を書く人は誰でも、心のどこかでは密かな夢を抱いていると思います。それは心のとても深い所にあるため、自分自身でも気づかないかもしれません。 ノーベル文学賞を貰えるチャンスは誰にでもある、といっても、それは月面に降り立つぐらいのわずかな確率でしかないのです。実際、私が生まれた前後数年間は、ノーベル文学賞の対象者がいませんでした。私はとても貴重な人たちの仲間入りをすることができたと言えます。 ノーベル賞受賞の知らせを受けた時、私はツアーに出ている最中でした。そして暫くの間、私は状況をよく飲み込めませんでした。その時私の頭に浮かんだのは、偉大なる文学の巨匠ウィリアム・シェイクスピアでした。彼は自分自身のことを劇作家だと考え、「自分は文学作品を書いている」という意識はなかったはずです。彼の言葉は舞台上で表現するためのものでした。つまり読みものではなく語られるものです。彼がハムレットを執筆中は、「ふさわしい配役は? 舞台演出は? デンマークが舞台でよいのだろうか?」などさまざまな考えが頭に浮かんだと思います。もちろん、彼にはクリエイティヴなヴィジョンと大いなる志がまず念頭にあったのは間違いないでしょうが、同時に「資金は足りているか? スポンサーのためのよい席は用意できているか? (舞台で使う)人間の頭蓋骨はどこで手配しようか?」といったもっと現実的な問題も抱えていたと思います。それでも「自分のやっていることは文学か否か」という自問はシェイクスピアの中には微塵もなかったと言えるでしょう。 ティーンエイジャーで曲を書き始めた頃や、その後名前が売れ始めた頃でさえ、「自分の曲は喫茶店かバーで流れる程度のもので、あわよくばカーネギー・ホールやロンドン・パラディアムで演奏されるようになればいいな」、という程度の希望しか持っていませんでした。もしも私がもっと大胆な野望を抱いていたなら、「アルバムを制作して、ラジオでオンエアされるようになりたい」と思っていたでしょう。それが私の考えうる最も大きな栄誉でした。レコードを作ってラジオで自分の曲が流された時、それは大観衆の前に立ち、自分のやり始めたことを続けられるという夢に近づいた瞬間でした。 そうして私は自分のやり始めたことを、ここまで長きに渡って続けてきました。何枚ものレコードを作り、世界中で何千回ものコンサートを行いました。しかし何をするにしても常に中心にあるのは私の楽曲です。多種多様な文化の多くの人々の間で私の作品が生き続けていると思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。 ぜひお伝えしておきたいことがあります。ミュージシャンとして私は5万人の前でプレイしたこともありますが、50人の前でプレイする方がもっと難しいのです。5万人の観衆はひとつの人格として扱うことができますが、50人の場合はそうはいきません。個々人が独立したアイデンティティを持ち、自分自身の世界を持ち、こちらの物事に向き合う態度や才能の高さ低さを見抜かれてしまうのです。ノーベル委員会が少人数で構成されている意義を、私はよく理解できます。 私もシェイクスピアのようにクリエイティヴな試みを追求しながらも、「この曲にはどのミュージシャンが合っているか? レコーディングはこのスタジオでいいのか? この曲はこのキーでいいのか?」などという、避けて通れぬ人生のあらゆる俗的な問題と向き合っています。400年経っても変わらないものはあるのです。 「私の楽曲は文学なのか?」と何度も自問しました。 この難題に時間をかけて取り組み、最終的に素晴らしい結論を導き出してくれたスウェーデン・アカデミーに本当に感謝しています。 ありがとうございました。 ボブ・ディラン
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2016.11.19
10月13日のノーベル文学賞の受賞発表後、沈黙を守っていたボブディランが、10月25日に自らスウェーデンアカデミーの事務局長に電話をし、ノーベル文学賞に選ばれたのは栄誉なことであり、賞はもちろん受け取ります! と語ったとの事です。 かと思えば、今度は11月16日になって、スウェーデンアカデミーは、ボブディラン氏は12月10日にストックホルムで開かれる授賞式を「先約があるため」欠席する意向である、と発表しました。今度は電話ではなくお手紙だったようです。 このノーベル賞受賞をめぐっての一連のボブディランの対応には様々な意見があるようですが、私的にはどうも、彼のこの煮え切らない様子にイライラしてしまいます。(笑) ボブディランの中で、ノーベル賞の授賞式なんかより、もっと大事な用件があるんだよ!、というのなら、それはそれで大いに結構としても、10月13日の受賞発表の時点で12月10日に受賞式があるのは既に分かっていたわけですから、10月25日にわざわざ賞は受け取ります!と電話をしていながら、11月も半ばになってやっぱり「先約」があるからいけませんわ、なんていうのは、ずいぶんと人を食った話です。 スウェーデンアカデミーは、大人の対応をしているようですが、内心は忸怩たるものがあるかも知れませんね。 私が感じるこのもやもや感は、やはり彼の本当の心の内が見えないということに尽きます。 ノーベル賞受賞の条件として、受賞後6ヶ月以内に講演を行うことになっているそうですが、彼が果たしてこの講演をするのかどうか? あるいは講演をするとしてもそこでいったい何を語るのか? 当面は、そこを楽しみに見守りたいと思っておりやす。 ひょっとしたら、ギター片手にあの曲を唄っておしまい!なんてことも・・(笑) The answer, my friend, is blowin' in the wind The answer is blowin' in the wind !!
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2016.10.24
ボブディランのノーベル文学賞受賞のニュースが巷を賑わしています。 受賞の発表後、スウェーデンアカデミーからの連絡にも一切応じず、ひたすら沈黙を守りつづけるその姿に賛否両論、否、というよりは、どちらかといえば、ディランらしい!と言う肯定的な意見が多いような気がします。 そんな彼の態度に業を煮やしたノーベル賞の選考委員長が、「無礼かつ傲慢」とのコメントを出したようです。実はこの発言、「無礼、傲慢」と言うフレーズが切り取られて強調されていますが、実際はこの後に「でも、それがディランらしいんだ」というニュアンスの発言が付け加えられていて、この委員長は、半ばあきれながらも、しょうがないやつやなぁ・・と言った感じの、むしろある種ディランに親しみを込めた発言をしているとも言えます。 とはいえ、やはり、発言の根底には、「最高の権威ある賞を、居並ぶ沢山の文学者達を差し置いて、貴方にあげると言ってるのに、いつまで黙っているつもりなんだい?」という「上から目線」がそこにあることは明らかで、「傲慢なのはディランではなく、スウェーデンアカデミーの方だ」という意見にも大いに頷けます。 正直言うと、個人的にはこれまでのボブディランの態度は確かに「無礼かつ傲慢」と映ります。でもそれは、第三者が言うのなら良いけれど、この賞を与える側の「権威ある」人が言ってはいけないんでしょうね。 つまりは、どっちもどっち(笑)と言うべきなのかも知れませんが・・果たして、彼の沈黙の真意は何処にあるのでしょうか? 権威の側にいる人間が、何の相談もなく!勝手に決めた賞など受け取りたくないのか、自分はあくまでミュージシャンであって文学賞などには値しないと考えているのか、ひょっとしたら受賞すべきか辞退すべきか、思い悩んでいる最中なのか、あるいは、彼にとっては本当にノーベル賞などどうでもよいことなのか・・・ いずれにせよ、ひたすら沈黙を守ることで、世間の反応を楽しんでいるのかも知れません。 しかし、かって反体制の騎手の代表だったディランも、いまやもう70歳を超えた社会人なのですから、少なくとも受賞の連絡があった日には、相手に対してきちんと礼を尽くして対応すべきでしょう。その上で、自分の信条に基いて、丁重に受賞を辞退したとしても、決して失礼にはあたらないと思うし、もしそうなれば、個人的にはむしろ拍手喝采!です。 仮に自分の意に介さない事態であるからといって、シカトを決め込むのはあまりにも幼稚すぎます。一部 のディラン信奉者が、それが格好いいんだ、なんて言うのはナンセンスでしょう。 もし、軽々しく自分の意見を言いたくないのであれば、きちんとしたコメントをblog等で公開するか、あるいは12月の授賞式に堂々と出席して、自分の考えを自分の言葉でしっかりと語るべきではないでしょうか。 ディランが、賞を受け入れるにせよ(その可能性は少なそうですが)辞退するにせよ、私達は、当の本人の言葉でその答えを聞くことで、音楽と一体で存在する歌詞が文学足りうるか、といった議論をより深めることが出来るでしょうし、あるいはノーベル賞というものの意義や役割について、改めて考え直すきっかけになるように思います。
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2015.12.14
かのロバートフリップ率いるキングクリムゾンが久方ぶりに来日。フェスティバルホールでの大阪公演に行ってきました。チケットは全てソールドアウトで会場は超満員。シニア世代ばかりかと思いきや、以外と若い世代が多いのにもびっくり。公演の前に偏屈屋?のロバートフリップが自らマイクを握り(姿は見えずでしたが)「撮影、録音は絶対に駄目よ!」と釘を指してから、おもむろに演奏スタート。デビューアルバムを含む初期の楽曲から、新しいラインアップまで、ぶっ通しで2時間以上、緻密でありながらエネルギッシュなパフォーマンスを披露してくれました。それにしても「キングクリムゾンの宮殿」で鮮烈なデビューを飾ってからなんと46年。当時の楽曲が今でもまったく色褪せずになおみずみずしい魅力を放ち、若い世代をも引き付けているこのバンドは本当に凄いです。
日本公演パンフレットより
実は私がプログレなる音楽を改めて聞き出したのはほんの数年前。学生時代は黒人ブルースを演奏するバンドを組んでいて、プログレを始めとするブリティッシュロックなるものは、どちらかといえば食わず嫌いで終わっていました。クラシックなども含むいわゆる「構築的な」音楽より、感情をそのままストレートに表現するエモーショナルなヴォーカルミュージックであるブルースやソウルなどに心惹かれていたものです。しかし、シニア世代になって、ひょんなことから1960年代後半から1970年代後半位までの、いわゆるプログレ全盛期のアーティスト達の音楽を聞き込むようになり、遅まきながらその魅力にはまってしまったのですが、その中でもキングクリムゾンは別格と言えます。 リーダーのロバートフリップは、何度かの休止期間があったとは言え、約半世紀もの間キングクリムゾンを続ける中で、多くのメンバー交代を経ながら思考錯誤を重ね、常に新しい試みにチャレンジしてきた人です。(今回のバンド編成も3人のドラマーがステージの前方にずらりと並ぶという特異なものでした)もちろんストレートなロックミュージックとは一線を画し、ジャズやクラシックの要素に加えて、いとも間単に高度なアレンジや変拍子なども駆使するその楽曲は、決して一筋縄ではいかなさそうで、なにやら奥深く、一度聞くとまた繰り返し聞き込みたくなる不思議な魅力を持っています。激しいリズムと叙情性に満ちたメロディーとのいわば動と静の対比も圧巻で、それらが、完全主義者ロバートフリップの頭のなかで、周到、綿密に構築されているのです。 そんなわけで、次の日の大阪最終公演も続けて聞きたくなった次第ですが、残念ながらソールドアウト。会場で販売されていた、未発表音源や直近のライブパフォーマンス等を収録した2枚組みCDのボックスセットを手に、幸せな気分で帰路についたのでした。