北陸の旅3ー鈴木大拙館

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2016.08.22

    3つ目の建物は、この小旅行の最終日、閉館間際の夕刻に訪ねた「鈴木大拙館」。 ニューヨーク近代美術館など、多くの優れた美術館建築を設計している谷口吉生氏の作品です。   谷口吉生さんは私の大好きな建築家の一人です。 どの作品も、設計コンセプト、空間構成、素材の選択、ディテール、どれをとっても完璧に隙が無いくらい考えぬかれています。決して奇をてらったり大袈裟なことはせず、あくまでも作品の洗練度を高めることに注力する職人的なこだわりの積み重ねの結果に生まれる空間は、極限まで研ぎ澄まされていて、どこをとっても凛とした風格を漂わせています。 ですので、その作品を目にするといつもしゃきっと背筋が伸びて気が引き締まり、自分ももっと頑張らねば・・という気にさせられるのです。    

アルミルーバーで覆われた簡素な、建物へのアプローチ

   

右は「玄関の庭」。左は「展示空間」に至る内部回廊

    もちろん、この「鈴木大拙館」も例外ではありませんでした。 「鈴木大拙館」は、世界的な仏教哲学者である鈴木大拙の生涯に学び、その思想に出会う場所として、金沢市生まれの鈴木大拙の生家の近くにひっそりと建っています。館内は、鈴木大拙を知る「展示空間」、鈴木大拙の心や思想を学ぶ「学習空間」、それぞれ自らが考える「思索空間」の3つの空間で構成されています。玄関を入るとまずクスノキのある「玄関の庭」が見え、次に光がコントロールされた長い内部回廊を経て、「展示空間」に至ります。    

右側の独立した建物が「思索空間」棟

   

右側が「思索空間」に至る外部回廊。正面の石張りの壁の向こうが「展示空間」

    「展示空間」に隣接した「学習空間」は「露地の庭」が望める落ち着いた空間です。来訪者はこの「学習空間」から風除室を通り外部に出て、「水鏡の庭」に面した外部回廊を歩きながら池に浮かんでいるかのような「思索空間」にアプローチしていきます。この外部回廊は、先の内部回廊と一枚の壁で仕切られていて、対照的な往路(内部)と復路(外部)が表裏一体となっているところが、この平面計画のポイントでしょう。    

隣地の緑に映える端正な建築。水面のかすかな揺らぎが静けさを感じさせてくれる

   

「思索空間」の開口部は、絞りこまれた美しいプロポーション

    この建物の中で大きな面積を占める「水鏡の庭」は、時に移ろいゆく水面から鈴木大拙の精神である「静か」「自由」を表現したとの事です(作者注)。独立した一棟である「思索空間」はこの建物の核となる正方形平面の空間。90センチ画の束立ての畳を自由に組み合わせることで、思索、語らい、茶会などの利用が想定され、三方に穿たれた開口からは、それぞれの池越しの静かで落ち着いた空間を垣間見ることが出来ます。ここは時を忘れていつまでも座っていたくなる場所で、まさに「鈴木大拙館」の精神を象徴する空間となっています。   以下はこの作品が掲載されいる「新建築」という雑誌に作者が寄せた文章です。  

「周辺は、春には緑が萌え、秋には朱に染まる、水鏡は、夏空の太陽の下に輝き、冬空に舞う雪片にくもる。この永遠に繰り返される季節、天候、時間の移ろいが、私の目指した「無の意匠」に自然の彩りを添えてくれる」

  「無の意匠」。近代モダニズム建築の巨匠ミース・ファンデルローエ」の「Less is More」という言葉が思い起こされます。    

アプローチ側にある建物の銘板

   

「建築交流ネットワーク協定の締結」を記した銘板

    上の最後の写真は、谷口吉生氏が設計した美術館や博物館が連携して「建築交流ネットワーク協定」締結したことを記した銘板で、氏の「質の高い意匠」を共通の特色として認識し、相互に連携して振興を図ることに同意したとされています。 これまで氏が設計した建物のクライアント(管理運営者)全てが氏の設計した建物に敬意を表し、これからも大切に使っていきましょうね!と誓っている・・ まさに建築家冥利につきるこの銘板に、羨望と感動を覚えました。  

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北陸の旅2ー金沢21世紀美術館

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2016.08.21

  次に金沢で訪ねたのは、「金沢21世紀美術館」。             私は開館間もない頃に訪れて以来2度目でしたが、今や旅のガイドブック等にも大きく取り上げられ、金沢の新名所となった感のあるこの建物は、たいへんな賑わい。一般的な美術館と比べて若い人が多いように思いました。   建物はシンプルな円形平面で、外は思い切り開放的なガラススクリーンで覆われています。これだけ開かれた美術館はあまり前例がありません。内部も、いくつかの展示スペースが中庭や光の入る回廊をはさんで、分散して配置されていて、迷路のようです。迷路といっても決して閉鎖的ではなく、ごく近くにあって視覚的にはつながっていても、動線的にはぐるりと回っていかないとその場所に行けない・・といったシチュエーションがいくつか用意されていて、展示だけではなく、内部を歩きまわる過程そのものを楽しめる美術館といえます。街中で、ウィンドウショッピングをしている感覚に近いような気がしました。   外部の遊具などが設置された広場に面したロビーには、誰でも気軽に入って思い思いにくつろぐ事が出来、併設されているカフェも開放的です。建物自体では決して主張せず、ただアートを鑑賞するというだけではなく、この場で生じる様々なアクティビティの可能性を広げる事に主眼が置かれているようでした。   ただ一部に汚れが目立つ庇のない大きなガラススクリーンのメンテナンスや、猛暑の午後に西日を浴びて一時的に高温になっているロビーがついつい気になってしまうのは、小心な建築家の哀しい性かも知れません(笑)。

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北陸の旅1ーTOYAMAキラリ

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2016.08.20

  夏休みを利用して北陸の旅。富山から能登半島経由で金沢への今度は車でのドライブ旅行です。 どうしても職業柄、建築が気になります。 まず一つ目は富山市内で、RIA・隈研吾・三四五 設計JVの「TOYAMAキラリ」を訪れました。     外観は、ガラスとアルミに石材という地元富山の素材を組合わせて、「キラキラ」させようとしたとの事ですが、時間帯にもよるのかも知れないけど、少し饒舌な印象で、正直あまり美しいとは感じませんでした。「高級な素材をつぎはぎして作った贅沢なバラックのよう」と言ったらちょっと言い過ぎでしょうか。これだけのファサードは決して半端な費用では出来ないでしょうから、富山市民の皆さんの評価を聞いてみたいと思いました。                   内部は、銀行とガラス美術館、図書館やカフェなどが複合したもので、建物の中央を斜めの吹き抜けが貫き、それらの用途を含む内部空間全体が大きな一体的空間となっています。火災時等に吹き抜け部分を区画する防火戸やシャッターなどが一切ありません。これは全館「避難安全検証」により可能になったものとの事ですが、これほどまでの縦に重層した空間を一体的に扱った事例は珍しく、1階から最上部のトップライトまでが一気に見渡せる中、各階のエスカレーターがセットバックしながら上階へと登っていく様はなかなかの迫力です。柱や壁の随所が鏡貼り(実際はステンレス鏡面仕上げ?)になっていることも、空間の一体感と視界的な広がりを演出しています。   おしむらくは、斜めの吹き抜け空間に沿って配された冨山産杉材の木製ルーバーが、外観と同様やや煩雑な印象を与えてしまっているのが少し気になりました。このルーバーで斜めの吹き抜けを強調したとの事ですが、逆にこのルーバーがなければ、もう少しこの空間全体がすっきり見えたかも知れません。確かにこのルーバーがなければ「斜めの吹き抜け(光の筒)になっている」ということが、一瞥してわかりにくいかも知れませんが…しかしわざわざその事を感じさせる(説明する)必要があるのかどうか?この建物の空間自体のプロポーションや光の入り方を目にすることで、訪れる個々人が自然にこの空間を受け止めればそれでよいのではないか?という気もしました。   しかしまあここらは好みなのかも知れません。地元産の素材を積極的に用いて木の暖かさを表現し、トップライトから斜めにふりそそぐ光が木漏れ日のような空間を創る(作者談)という設計者のコンセプトは、素直に評価すべきなのかも知れません。                     ところで、写真撮影が禁止ではないということで、家内と写真撮影に興じていると、係りの方から2度注意を受けました。 一回目は、展示室の中で、コンパクトな伸縮式の簡易な20センチほどの三脚付きのカメラを持っていると、「三脚は展示を見る人の妨げになるので、はずしてください」と。三脚は、短くたたんでそこを掴めば持ちやすいのでカメラに付けているだけで、伸ばして立てて使うつもりはないのだ、と説明しても、どうしてもはずしてくれと言う。   2回目はロビーで吹き抜け空間にカメラを向けていると、再び係りの人に呼びとめられ、「写真撮影されるであれば折り入って伝えたいことがある。それを説明するので、その後、書面に確認の署名をしてください」と。おそらく自分にカメラを向けられたと感じると、不愉快に感じる人もいるので、充分気をつけて撮してください、という主旨だと思うのですが、署名とまで言われるとさすがに面倒くさくなり、もう撮影は終わりました!と告げて、何とかご勘弁いただいたという次第です。   どこからでも隅々まで見渡させる一体的な複合空間。写真撮影が自由とされている展示室。まだオープンしてまもないこともあり、管理運営する側でも色々と思考錯誤している段階なのかも知れませんが、必要以上の行き過ぎた管理(監視)のために、このユニークな建物が、作り手が意図した施設のあり方と違う方向に行ってしまうことの無いよう願いたいものです。始終どこかから監視されている街など、決して居心地のよいものではありませんから。

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