カテゴリ:
2016.01.29
2016年1月31日で一般公開を終了するモダニズム建築の名作、神奈川県立近代美術館をこの目に焼きつけようと、鎌倉まで出向きました。 ますは新幹線車中からの富士山の雄姿をご紹介。運よく好天にめぐまれ、先の寒波で、山頂にたっぷりと雪をいただいた見事な姿を撮影できました。 昼過ぎに鎌倉駅を降りると、平日にもかかわらず結構な賑わいぶりにびっくり。鎌倉観光スポットでお馴染み小町通り商店街を、お洒落な店主さんたちの呼び込みの声を聞きながら徒歩10分あまり歩いて美術館に到着。チケット売り場にはすでに行列が出来ていて、みんな思い思いにこのシンボリックで端正な正面外観を眺めながら、記念撮影などに興じています。 1951年、ル・コルビジェに師事した坂倉準三の設計で、鶴岡八幡宮の敷地内に日本で最初の公立の近代美術館として開館したこの建物は、65年に亘ってこの地で人々に愛され続けてきましたが、まもなく美術館としての役割を終えようとしています。モダニズム建築としての歴史的な評価も高く、閉館後は鶴岡八幡宮の施設として引き続き利用されることが決まっているとの事です。 コルビジェの建築思想に基いて、1階はピロティー形式として建物を持ち上げ、隣接する「平家池」にせり出す2階部分を繊細な鉄骨の列柱が支えるその姿には、近代建築と、桂離宮に代表される日本建築の伝統的な空間の趣きとを融合しようという意図が、強く感じられます。私は不覚にもこの建物を実際に見たのは初めてだったのですが、池や中庭などの外部空間が建築の中に巧みに取り込まれ、周辺環境と建築の各部分が連続し一体化したこの空間の心地良さは、やはり実際に体験してみないとわかりません。外部空間の要所に配された彫刻たちも生き生きとしていて、まさに「この場に最もふさわしい美術館」のあり方が提示されているのです。人々は単に美術品自体を鑑賞するだけではなく、この気持ちのよい空間全体を全身で体感しながら、伸び伸びと思い思いの時を過ごすことが出来ます。この環境に身を置くことの何とも言えない心地良さが、この美術館が建築の専門家だけではなく、一般の人々に長く愛されてきた所以なのだと思えました。 2階にある小さな喫茶室で「平家池」を眺めながら一服していると、ここで順番待ちをしている間に知り合ったと思しき熟年カップルが、仲良く入って来て一つの卓を囲んでいました。羨ましいな(笑)などと思いながら、聞くともなく聞いていると、女性の方は学生時代にこの建物を訪れた時の思い出などを懐かしそうに語っておられ、この建物が育んできた時間が、同じような感慨を持つ人たちの思いをつなぐ役割を果たしていることに感銘を受けました。「やっぱり建築も捨てたもんじゃない」建築を志した頃の情熱を少し思い出させてくれる時間でした。 隣接する新館は1966年に同じく坂倉準三の設計で増築されましたが、耐震性に問題があるとのことで、今は内部は公開されておらず、外観だけの見学となっていますが、こちらはコルテン鋼(錆びた鉄)を柱・梁に使用した日本建築の「真壁造り」をイメージさせる構造で、展示室はガラスのカーテンウォールで池と一体化する空間です。坂倉事務所在籍時にこの建物を担当した室伏氏のインタビュー映像がロビーで流されていたのですが、施主との打合せ前には、室伏氏が提案したガラスの多い展示空間に難色を示していた坂倉準三が、打合せの場で当時の副館長・土方定一氏も開放的な展示室が良いと思っていることが分かると「私もそう思っておりました!」とすかさず答えたという、思わず笑いをさそうエピソードが暴露(笑)されていて面白かったです。室伏氏も、もう50年経って時効だと考えたのでしょうね。 建物は「平家池」の対岸の道路に平行に配置されており、坂倉が池越しの眺めを重視していたことがわかります。今は対岸のレストランや道路沿いの植栽のせいで、その池越しの姿が充分に望めないのは残念ですが、レストラン近くの池のほとりからの外観を撮影することが出来ました。白い箱が宙に浮いたような2階建て本館と、真壁風の簡素な平屋建て新館との対比が明快です。 日帰りの駆け足探訪でしたが、優れた建築と共に存る「場の力」を、改めて実感することが出来た有意義な一日でした。
カテゴリ:
2016.01.19
新国立競技場実施案に選ばれたA案(隈研吾・梓設計・大成建設、以下A者案)が、白紙撤回された前回案に酷似しているとザハ・ハディド氏側からクレームがつきました。表層のデザインは異なっていても、スタジアムの構造や各室の配置がほぼザハ案を下敷きにしているというものです。隈研吾さんが会見で説明していたように、スタジアムという用途上、与えられた条件下で最適解を追求すれば自ずから同じような部分も出てくるとは思います。私自身、ザハ案とA案とを詳しく比較研究したわけではありませんが、ザハ氏のみならずA案に敗れたB案作成者の伊東豊雄さんまでが、結果発表後の記者会見で「A案はあまりに前回案に似ている。ザハ氏に訴えられるかもしれない」と発言されていたり、ネット上で両案を重ね合わせて類似点を指摘している記事などを見ると、やはりA案は一定程度ザハ案を下敷きにしている、と見ざるをえないのだろうと思います。 元々私は、仕切り直すとしても、完全な白紙撤回ではなく、これまで蓄積してきた設計上の成果を生かすためにも、新たな条件設定のもとで、前回と同じザハ氏を含む設計チームで進めるのが最良であろうと考えていましたので、今回の決定案が前回案を踏まえて作成されたとしても、むしろそれは、ある意味、理にかなった話だと思います。しかしながら白紙撤回後に改めて公募した公正であるべきコンペという場において、前回設計に携わった業者を含むチームが、明らかに前回案を下敷きとした提案をし、結果的に其の案が採用されたとすれば、その結果をどのように理解するのか?という問題でしょう。 ザハ氏側は前回案の知的財産権を主張しているようですが、そもそも前回案は、ザハ氏をデザイン監修者とし、その他複数の設計事務所の設計企業体の設計です。また今回「似ている」とされる部分が、一般的に著作権などの知的財産権の対象となるような芸術的であったり極めて独創的であったりするような部分ではなく、いわば実務的、機能的なレベルの話なので、ザハ氏側が、スタジアム部分の類似を根拠として法的な知的財産権を主張するのは、少し無理があるような気はします。(ザハ氏の心情はよく理解できますが) しかしながら、それまでかかった費用を支払ったとはいえ、ザハ氏を突然降ろして白紙撤回をうたいながら、結果的に別の設計者の名のもと、ザハ氏他案の一部を採用した、となればやはり、A者、そして特に事業者であるJSCの道義的な責任は免れないのではないか。伊東豊雄さんは、先の記者会見の場で「我々は極力前回案に似ないように十分注意払った」という主旨の発言をされていました。前案は敢て参考にはせず、一からこの建物を構想する困難な道を選択されたわけですが、技術者としての誇りと矜持を持った立派な態度だと思いました。一方でまた、A者、特に大成建設さんの側から見ると、それまでの経緯を考えれば、もうなりふりかまわずこの仕事を取りに行かなければならなかった事情も重々理解出来るのです。 そもそも事業者であるJSCとしては、すでに前回案の設計に膨大な費用をかけているわけですから、やむを得ない仕切り直しにあたっては、これを無駄にしないで正々堂々とそれらの成果を生かせるような進め方をするべきでした。今回の騒動を見れば、「白紙撤回で再公募」という選択は、やはり結果的に間違っていたといわざるを得ないように思います。先日ザハ氏側が、「JSCから、残りの設計費用を全て支払うので、今回の著作権問題について今後一切発言しないように求められたが拒否した」と明らかにしていることからも、JSC側が、この問題の責任を自覚し、金銭的解決を図ろうとしているのがうかがえます。ここでまた国民の血税が使われようとしているのです。JSCはこの問題に関して、ザハ氏側と胸襟を開いた話し合いを速やかに行った上で、国民が理解できるようなきっちりとした説明をすべきではないでしょうか。