日本の家ー1945年以後の建築と暮らし

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2017.10.31

  竹橋にある東京国立近代美術館で、平成29年10月29日まで開催された展覧会「日本の家-1945年以後の建築と暮らし」。日本建築家56組による75件の住宅建築が、時系列ではなくテーマ(系譜)ごとの展示になっています。ローマ、ロンドンでも開催され、好評だった本展が最後に東京にやってきました。 メデイアでもそのユニークな内容が度々紹介されており、これは見逃せんな!ということで、急遽いそいそと東京まで出向きました。 東京メトロ東西線の竹橋の駅をおりると、近代建築の名作「パレスサイドビル」が目に飛び込んできます。白い円形のコア部分と黒っぽいオフィス部分との対比が鮮やかです。       美術館は皇居に近い北の丸公園にあり、道路をはさんですぐ向かいには石垣に囲まれたお堀があり、江戸城跡もすぐそばです。お堀の向こうには高層ビル群が望めて、まさにこれぞ東京!というロケーションです。       東京国立近代美術館は、谷口吉郎氏の設計ですが、2001年に坂倉建築研究所による増改築、2012年には開館60周年を向かえ、大規模なリニューアルが行われたそうです。本館の外観は、谷口氏らしい端正なモダニズム建築ですが、両妻側にすこし突き出して設けられた壁が、日本家屋の「うだつ」を連想させてくれます。正面のボックスが浮いたような横長のプロポーションと、その中にバランスよく配された開口部がスマートで格好いいですね。             展示は、1.イントロダクションから始まり、2.日本的なるもの、3.プロトタイプと大量生産、4.土のようなコンクリート、5.住宅は芸術である、6.閉鎖から開放へ、7.遊戯性、8.感覚的な空間、9.町家:まちをつくる家、10.すきまの再構築、11.さまざまな軽さ、12.脱市場経済、13.新しい土着:暮らしのエコロジー、14.家族を批評する、という13のテーマに分けて展示されています。時系列ではないので、同じテーマに新旧建築家の作品が並んでいたりします。建築の展覧会によくある作品主義、作家主義的な展示ではなく、住宅という万人に身近な建築を、様々な多角的視点から掘り下げて考察しようとする企画者の姿勢に共感できました。 注目すべきは、いくつかの住まい手のインタビュービデオが上映されていたことです。設計者の手を離れた後の、実際に住まう人の言葉を聞くことが出来るのは貴重な機会であり、人それぞれの住まいについての考え方に感銘を受けました。 ローマ、ロンドン、東京各都市で人気を博したのもうなづけます。   そして、展示の目玉はなんと言っても清家清氏設計の「斎藤助教授の家 1952年」の原寸大模型でしょう。今は取り壊されているこの住宅の竣工時の資料や解体前に撮影された写真などを参考に、建築の主要な部分がほぼそのまま、実物大で再現されています。私の生まれる1年前(65年前です!)に建てられたこの小住宅ですが、なんとモダンで伸びやかなことでしょう。 縁側、居間、食事室、和室が一体につながり、南面には巾9メートルを越える開口部が設けられています。障子を閉めると一転心地よい内部空間に。キャスターのついた可動式の畳や、一部が両面から使える居間と食事室を仕切るキャビネット(これは原物との事です!)などの仕掛けが楽しいですね。                                   当時の写真をよく見ると、建物の左の方の基礎がなく建物の一部が宙に浮いているように見えます。いわゆるキャンティレバーという構造形式ですが、既に建っていた住宅の基礎をそのまま利用してこの住宅が造られたそうなのです。コストを抑えるためか、記憶を繋げるためなのか、あるいは作者の遊び心なのかは定かではありませんが、いずれにせよ、地面からいくらも離れていない基礎部分でこの技を使うとは、なかなかユニークな発想だと思いました。       この原寸模型のおかげもあり、期間終了間際のこの展覧会は結構な盛況です。すぐ下の写真で、原寸模型の正面両側に青い色の壁が見えますが、ここに雨戸が納まっており、この雨戸の後ろの壁が、この住宅の9メートルを越える開口部を可能にするための耐震壁の役割を果たしています。          

以下は、特に印象に残った住宅を紹介します。

 

白の家1966-篠原一男

  「住宅は芸術である」の言葉で有名な篠原一男の作品。壁面一杯の写真がまるでその場に居るような気分にさせてくれました。中央の丸柱が象徴的です。 同じ作者の作品であるコンクリート住宅である「上原通りの住宅1976」に住む施主のインタビュービデオが上映されていました。「篠原先生はとても物腰のやわらかい女性的な人」「設計中の先生との会話はとても少なかった」「居間に立ちはだかる斜めの柱を邪魔だと思ったことはない」などのお話が印象的でした。    

中野本町の家1976-伊東豊雄

  いまや日本を代表する建築家である伊東豊雄氏の初期住宅作品。円環状の空間が中庭を囲んで流動的につながっています。テーマは8.感覚的な空間の中の一品です。    

スカイハウス1958-菊竹清訓

  大学の大大先輩でもある菊竹清訓氏の30歳の時の作品。4つの壁柱で主室(夫婦二人のためのワンルーム)が空中(2階)に持ち上げられています。「ムーブネット」と名付けられたキッチンや水廻り、収納は移動可能で、家具の配置と合わせて自在に空間構成ができるようになっています。この模型は、なんと主室の下に子供部屋がぶら下げられています。あくまで主室は夫婦のための空間というコンセプト。ここでのテーマは、14.家族を批評する。    

T-House2005-藤本壮介

  右側のダイアグラムと模型とを並べてみました。扉の無い部屋が重なってつながる平屋の住宅です。家族は4人とのことですが、各部屋にはしっかりと役割が与えられ、壁の片面は白いペンキ仕上げ、その裏側は木の素地仕上げとなっています。各々の居場所からどんな景色が見えるのか体験してみたくなります。そしてどこに居ても、近くても遠くても、見えても見えなくても、家族の気配が感じられることでしょう。    

開拓者の家1986-石山修武

  コルゲートパイプで出来たこの家は、設計者から送られてくる図面を基に、施主がほぼ自力で施工したというから驚きです。インタビュービデオにも登場しているこの施主は建築が専門ではなく農業を営んでいるそうです。しかも1976年の24歳の時につくり始めて以来、今日まで40年に亘って手を入れ続けているとの事。テーマは12.脱市場経済。    

天神山のアトリエ2011-生物建築舎

  これはガラス屋根で覆われたコンクリートの箱で出来たワンルーム。居住スペースもあることはあるが、ほとんどは設計事務所のオフィスとして使われています。土間は土のままのようであり、室内に大きなユーカリの樹が植えられています。作品のそばでは、ひたすらこの場所での時の移ろいを淡たんと写したビデオが静かに上映されていて、思わず見入ってしまいました。おおらかにあるがままの自然を受容する家。     月並みな言い方をすれば。住宅は建築設計の原点です。大学の設計実習でも住宅は一番最初の課題でした。この展覧会に登場している建築家で言うと、当時建築学科の講師をされていた石山修武氏の指導を受けたことがあります。当時バンド活動に熱中していた私は、課題の作成に十分な時間をとることが出来ずに、しかたなく泥縄でおざなりな案を提出し、しどろもどろになりながらも何とかとりつくろって石山氏の前で説明したところ(一人一人が石山氏の前で自案のコンセプトを説明する授業でした)、石山氏は私の欺瞞をすぐに見抜かれたのでしょう、ほとんどコメントらしいコメントもしてもらえず、恥ずかしい思いをした記憶がよみがえります。   本展のテーマ4.土地のようなコンクリート で紹介されている東孝光氏の「搭の家」は、その頃、青山辺りで遊んだついでに何度か立ち寄って前からしげしげと眺め、あの荒々しいコンクリートの肌合いと、東京のど真ん中6坪の土地で何としても都市にすまうんだというその強靭な意志に感銘を受けたものでした。後年、大阪出身の東氏は「大阪市ハウジングデザイン賞」の審査員をされていたことがあり、私の設計した作品をいくつか見ていただく機会がありました。1997年に賞をいただいたRE-SOUL清水谷の審査の折には、当時雑誌で紹介されていた東氏の事務所のデスクレイアウトを参考にした私の事務所にも立ち寄っていただきました。その折はゆっくりとお話する時間もなく「では田中さん、またあらためて!」と言い残し、急いで次の審査に向かわれたのですが、以後お会いすることが出来なかったことが残念でなりません。   少し話がそれましたが、日本の建築家は住宅の設計からそのキャリアをスタートさせることが多いようです。私の場合も独立して最初の仕事が住宅でした。当時の私はクライアントの要望を形にすることに必死でしたが、建築家の姿勢次第では、住宅設計を通じて、家族のあり方、時代や社会、環境との関わり方、あるいは新しい素材や構法等について、ラディカルな提案を行うことも可能であり、そのためにはクライアントとの対話を繰り返して、住まいについての考え方をしっかりと共有することができるか、あるいは、とにかく始めからクライアントの全幅の信頼を得た上で設計をスタートさせるか、のどちらかが必要だと思います。大雑把に言うと、設計実績の少ないうちは前者、ある程度実績が出来てくると後者かと思いますが、そういった志の高い建築家の思いが詰まった住宅が、本展で特徴的なテーマごとに取り上げられているというわけです。   もちろん住宅への住まい手の思いは切実ですから、住宅設計を手掛けるには私達にもそれなりの覚悟が必要です。「クライアントの思いに負けず」に、「クライアント以上に考えなくてはいけない(プロの目で)」のです。だからこそ住宅設計はたいへんですしやりがいもある。住宅設計を通して、これからの「住まい」や「建築」の本質を見出した中から、先進的な考え方を提示することが出来れば、設計者冥利につきるというものです。もちろん「クライアントファースト」であることは忘れずに。

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