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2022.05.10
日曜日のお気に入りTV番組「日曜美術館」で紹介されていた京都グラフィー。今回は記念すべき第10回目とのことで、GWの好天の一日、久々の京都で会場めぐりを楽しみました。 まずは八竹庵(旧川崎家住宅)の総合案内所に向かいます。会場となっているのは、武田五一も設計に関与し大正期の数寄屋大工が手掛けたという、庭に開いた和風住宅にライト風の洋館を組み合わせた都市型住宅です。京都市指定有形文化財に登録されており、普段は公開されていないという貴重な建築とコラボする作品展示を楽しみながら、写真祭の概要をチェックです。
参加アーティストにまつわる書籍が並べられています
伸びやかに庭に開いた開放的な座敷。とりわけ今の新緑の季節は最高です
縁側を利用した作品の展示
座敷の畳の上や土壁に、さりげなく自然に、作品が展示されています
さて、次はイサベル・ムニョス×田中泯×山口源兵衛がコラボする、誉田屋源兵衛 黒蔵、奥座敷の展示へ。こちらも堂々とした京の町屋建築で、玄関を入っていくときからわくわくします。こちらも風情のある中庭です
田中泯が奄美大島の海中で舞う様をイサベル・ムニョスが撮影しています
上の写真は、2層吹き抜けの円形ギャラリー。元々は大きな緞帳等製作のための大型織機が置かれていた蔵だったそうです。天井のクロス梁を丸柱が支える構造は、ル・コルビジェ設計の上野にある国立西洋美術館のエントランスホールを連想させます。案内係の方のお話を聞きながら順番待ちの後、正面の開いた扉の向こうにある赤い螺旋階段を上って、3階の展示空間に向かいます。 螺旋階段を上がり、トップライトからの光が降り注ぐ円形の空間には、3本の帯が展示されています。この帯の一部(写真のプリントのように見える部分)は、イサベル・ムニョスが撮影した写真を和紙にプラチナプリントし、西陣の職人がその和紙の裏にプラチナ箔を張り付けた後、細かく裁断して糸にし、それをまさに一糸乱れぬコンマミリ単位の精度で織り上げて写真を再生する、という手順で創られているそうです。ムニョスの写真が、京都の伝統的手法によって帯の中で再構築されることで、その写真作品が表現する世界がより際立つ・・。山口源兵衛氏のユニークな着想による斬新なコラボレーションの試みです。 見学を終えた皆さんが居なくなった頃に「さあ今のうちですよ!」と仰る案内係の方のお言葉に甘えて、写真撮影をお願いしました。帯は丁度私の背丈ほどのサイズで、このコラボに飛び入りで参加させてもらった気分。泥をかぶった後ろ姿は山口源兵衛氏
円形のギャラリーのある蔵の外観の見上げです。蔦のからまる「黒蔵」
こちらは円形の蔵とは対照的な京町屋の土間空間。濃密な展示に熱中した後の心が、しばし癒されたところで、いざ次の展示へ!京都文化博物館 別館のエントランス
三条通りを東に進み、烏丸通を渡って、京都文化博物館 別館のギイ・ブルダンの展示へと向かいました。 上の写真は2階のギャラリーからのワンショットです。らせん状に立ち並んだ壁に、ファッション写真家であるギイ・ブルダンの写真作品が整然と展示されています。重厚な様式美と、モダンでカラフルな展示壁の対比
展示壁には随所にスリットや開口部が設けられていて、よくよく見ると、手前にある作品とスリットの向こう側の作品とが、関連づけられているのが分かります。 ギイ・ブルダンは緻密に構成された作風で知られていますが、まさにその作品とコラボするかのように、よく計算された展示空間の中、色々なシークエンスで彼の作品を楽しむことが出来ます。 様式建築としての場の力、秀逸な展示構成、ギイ・ブルダンの多様な作品が醸し出す明るい知性、等々に直に触れることが出来て、ここでも心地よい時間を過ごすことが出来ました。 これまで外れのない京都グラフィーの展示! 舞台は町屋建築から様式建築まで・・その時代や場を超えて、素敵な展示空間に仕立て上げてしまう自由な感性と懐の深さに、感心することしきりです。 前川国男設計、香山嘉夫改修設計の京都会館(ロームシアター京都)の広場に面して建つ京都市美術館 別館では、ファッション、ポートレート、静物、風景等々多岐に渡って、幅広く質の高い作風で知られる、アーヴィング・ベンの展示です。 京都会館は、現在は蔦屋書店やレストランが入って賑わっていますが、前川国男の代表作の一つにしてモダニズム建築の大傑作、オリジナルを尊重した香山嘉夫の改修設計も見事で、いつ見ても素晴らしいの一言です。上の写真のように、本展の会場である京都市美術館 別館の意匠と並ぶと、やや違和感を感じてしまうのは否めませんが、これもまた京都なのでしょう。 展示空間は、昨年竣工・本年開館した大阪市中之島美術館の設計を手掛けた遠藤克彦氏のデザインで、60度の角度を持った三角形の壁パネルの連続で構成されています。 鋭角な壁で囲まれた場所では、より被写体の持つ特徴が際立つ事、及び照明だけに頼らず自然光を取り入れて撮影するためには露光時間を長くする必要があり、両側を鋭角な壁に囲まれた場では被写体の動きも少なくてすむ、という考えにより、アーヴィング・ベンが撮影の場として好んだシチュエーションだそうで、遠藤克彦氏は展示構成にあたり、そのことに着想を得たそうです。 会場の一画にはグレーの鋭角な壁に囲まれた場が用意されていて、来訪者が自由にポートレートを撮影できるようになっていました。実は私もこの場所で撮影してもらいましたが、まさに被写体の特徴が際立った結果か・・あまり出来栄えがよろしくなかったので、ここでは割愛しています(笑)。グレー基調の鋭角な壁で構成された会場風景
建築家ル・コルビジェの肖像写真がありました。脚が長く見えて格好いいポーズです!
この日最後に訪れたのは、嶋臺ギャラリーのマイムーナ・ゲレージの展示です。夕刻になってもこれだけの来訪者の列。日中はもっと多くて一時間近い待ちだったそうです。かって造り酒屋でもあったらしい会場の玄関を入ると、大きな井戸が鎮座
イタリア系セネガル人アーティストであるマイムーナ・ゲレージの独特の世界観を言葉で語るのは私には荷が重いですが、写真表現の枠を超えて、見るものをくぎ付けにするパワーを持った作品群でした。ライティングがハートマークになっています。これも演出か?
個室では動画も上映。床に座ってゆっくりとゲレージの世界観を堪能
京都グラフィー、今年初めて訪れましたが、やはり一日で回りきるのは厳しいようです。来年は、しっかり時間を確保して、ぜひまた訪れてみたいと思わせる催しでした。 コンセプト、会場の選定、展示内容と構成、参加アーティスト等々、どれをとっても想像以上にすばらしいもので、今後も京都を起点として、さらにグローバルに発信していける可能性を大いに感じました。関係者の皆さん全員に素直に敬意を表したいと思います。素敵な催しをありがとうございました!<了>
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2021.11.22
遅ればせながらと言うべきでしょうか、秋の休日に、近江八幡にある和洋菓子のたねやグループのユニークな施設である「ラ・コリーナ」をようやく訪ねることが出来ました。 それも近江八幡に用があり、その帰途に車を走らせていたところ、偶然に「ラ・コリーナ」の看板を見つけ、急遽訪ねることにした次第です。 休日は駐車場に車を停めるのにもたいへんな混雑と聞いていましたが、この日は夕刻だったこともあり、待ち時間もなくすんなり駐車することが出来てラッキーでした。 さて竣工後まもなく7年になる草屋根の姿がどうなっているでしょうか。 言わずと知れた藤森照信さん(何故か、僕ら若輩でも思わずさん付けで呼びたくなる建築家です)の設計になるこの建築、駐車場を下りて一面クマザサが生い茂るアプローチの向こうには、シバに覆われた大屋根だけが見えるメインショップの建物が、背後の八幡山のシルエットをくずすことなく、風景の一部となってたたずんでいました。ショップは結構なボリュームですが、そのスケール感を全く感じさせません。建物の形状もとんがり屋根のてっぺんに一本の植樹(資料によれば高野槙)がされているなど、ユーモラスで親しみやすいものです。 施設全体の構成は上の案内板のような感じです。約11万㎡とされる広大な敷地に、様々なショップや、たねやの本社、農業施設、緑の回廊などがのびのびと配されています。まだまだ今後の建設予定もあるようです。 メインショップに入ってみると、アプローチの牧歌的な風景とは対照的にたいへんな賑わいでした。お目当ての焼き立てバームクーヘンを求めて長蛇の列が出来ていました。 ショップの中は屋根形状がそのまま表れていて、天窓から柔らかい光がふり注いでいます。漆喰塗の天井と天窓にまでちりまべられている黒いものは、木炭を細かく切ったものだそうで、 たねやの職員の方も工事に参加してみんなで仕上げたとの事です。洋菓子等のチョコチップのイメージでしょうか。遊び心のあるユニークなインテリアですね。吹き抜けに面した手摺のデザインなども、手作り風で、決して気取ったところがなく好感が持てます。
窓辺の内観ディテール
ショップの1階の一角には、歴史のあるたねやが、これまでたくさんのお菓子をつくってきた木型を綺麗に並べて、ディスプレーされていました。 メインショップを出て右側には、本社のある建物とその横にはカステラのショップが見えてきます。本社内部が見学できなかったのは少し残念。 見事に生い茂った草に覆われた外観!まるで日本の国の建物ではないかのようなバナキュラーな建築です。これだけの草屋根を維持管理してゆくのはさぞたいへだろうと想像しますが、まさに建築家の考え方に深く共感し、自分たちの建築として大事に使っていこうという事業主の強い意志に感動を覚えます。藤森さんは雑誌新建築2015年7月号で本作メインショップ棟の完成時に寄せた文章の中で、自身がそれまで試みた建築緑化の成否について言及し「4勝5敗で負け越している」と素直に告白されています。挑戦することの困難さ、さらにその挑戦を受け止めてくれる事業主の懐の深さに感銘を覚えるエピソードですが、今回たねやの社長さんは、4勝5敗の建築家に仕事を依頼し、建築家を心底信頼して、さらなる新たな挑戦の機会を与えたわけです。
同じ雑誌新建築2017年1月号での藤森さんによれば、たねやの社長さんは、別の設計組織ですでに実施設計や確認申請が完了していた段階にもかかわらず、全て白紙に戻して藤森さんにこの仕事を依頼したとの事。すごい話です。別の設計者から見ればたまったものではありませんね。ちょっとあの国立競技場のザハ・ハディト案の白紙撤回を思い出してしまいます。ザハ・ハディトは生前、その決定に異を唱えていましたが、さて別の設計組織の設計者は出来上がったこの建築を見てどのような思いだったのでしょうか。同業者として聞いてみたい衝動にかられます。
ただいずれにせよ、この建築の完成と草屋根の成功という大金星によって、藤森さんの戦績が5勝5敗の五分になったことは間違いがありません。 工事の着工後に急遽決まったという本社の隣のカステラショップのインテリア。栗の柱が林立しています。 田んぼ越しに見える水平線の緑は、回廊の草屋根で、敷地と背後の山並みの間にあってすんなり景観に溶け込んでいます。少し残念なのは写真左側に見えるフードガレージの建物のR屋根が、敷地全体と周囲の景観の中ではやや唐突に見えることです。調査不足で不明ですが、この建物に限っては藤森さんの設計ではないように思えます。 間違っていたらごめんなさい。ただこのフードガレージ、時間が無くてゆっくり見れなかったのですが・・R屋根の大空間の下、ロンドンバスやシトロエンのトラックでマカロンなどを販売していて、ショップとしてはなかなか面白そうな場所でした。周囲のロケーションとはあまり脈路がないとはいえ、事業主の自由な発想で造られているようです。 よく見ると下部に車輪がついている移動式のショップ。外装は、藤森さんの指導のもと、職員の皆さんが手作りで仕上げられたとの事です。自分たちでも出来ることは、設計者や工事業者と一緒になって汗を流し、楽しみながら自分たちの施設をつくりあげていく事業主の姿勢は素晴らしいですね。 田んぼの廻りをめぐる散策路になっている草屋根の回廊はこんな感じ。シンプルで簡素。天井の垂木とその間の白い漆喰が縞模様に見えます。 マスクをつけたバウムクーヘンの穴の向こうで、自分もマスク姿で記念撮影に応じているのは私の家内の陽子さん。ブログ初登場です! 植樹で森をつくり、田畑を耕し、自社農園での共同研究など、「お菓子の素材は自然の恵み(たねやHPより)」と捉え、自然を通して人と人とが繋がる場をつくりたいとの思いでこの広大な施設はつくられているようです。SDGsを含め、とりわけ自然というものを大切に考える中で、単なるお菓子屋さんの枠にとどまらないグローバルな事業主の発想が、藤森建築と共鳴したのでしょう。近江八幡という地から世界へ発信したいという心意気が感じられる素敵な場所でした。既に琵琶湖の観光名所となっていますが、これから、さらに新たな施設が付け加えられることで、今後この場所がどう成長し、どのような情報発信をしてくれるのか・・とても楽しみです。<了>
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2021.08.16
建築後30年となる本福寺(水御堂)。建築に関わる人なら、楕円形の蓮の池の中央を切り裂くように階段が降りていくこの写真が、記憶にある方も多いのではないかと思います。 安藤建築の小品である真言宗のこのユニークな寺院は、淡路島の小高い丘の上にありました。
寺院の正面から右に折れてアプローチしていくと直線的なコンクリートの壁が立ちはだかります。
壁に穿たれた開口部より中に入ると、今度は曲面のコンクリート壁が。砂利が敷き詰められた2つの壁の間の空間は、俗から聖へと移動する際の中間領域のような静寂な空間でした。曲面の壁に沿ってぐるりと回りこむと、コンクリート製の蓮の池が眼前に現れます。
吸い込まれるように地下へと続く階段を下りて、いよいよ御堂へと向かいます。 階段を下りると案内係の方が迎えてくれて、ここで拝観料を納めて内部へ。内部の御堂は一転朱塗りの空間で、木の柱のグリッドと格子のスクリーンで外陣と内陣が設えられています。 ここへ来て初めて、ああここはお寺なんだ!と改めて認識させられます。 西側の光庭によって、内陣の後方から午後の光が差し込み、この朱色の空間がさらに荘厳に感じられるよう企図されています。残念ながら御堂内部は撮影禁止でした。西側の光庭から差し込む光
写真では分かりにくいのですが、グリット状の本堂を包む壁は円形、さらにその外側はコンクリート製の正方形の壁が囲んでいて、その上部に楕円形の蓮池が乗っています。単純明快な幾何形態の組み合わせで空間構成する安藤流の手法がここでも見られます。 案内の方の特別のはからいで隣接する和室の集会所も見せていただいたので、感謝の気持ちを込めて記念撮影。天井一杯の巨大な障子を開けると、敷地の緑と、何故かコンクリートの十字架?が目に飛び込んできます。 「30年を経ても綺麗に保たれていますね」と案内の方に声をかけると、「最近安藤さんから頼まれてコンクリートの改修工事をしたんです。費用はぜんぶこっちもちですけどねぇ」 「こっちもち・・そりゃそうでしょ!」と言いたくなるのをグッと呑み込んで(笑)建物への愛情とメンテナンスの大切さを思いながらこの御堂をあとにしました。見学を終えて両側の壁に囲われた階段を上ると視界に入ってくるのは青空のみ
2枚のコンクリートの壁によって日常世界から隔てられた蓮の水盤が育む時の流れを抱合した静寂。水盤の下に密かに構築されているさらなる異空間としての朱塗りの御堂。この場を訪れることで、日頃のあわただく煩雑な日常から段階的に心がリセットされていくのを感じました。 安藤氏の目指した寺院建築とは、ただ寺院を訪れ奥に鎮座する仏様に手を合わせて終わるだけではなく、まさに建築空間そのものが生み出す「時と場の力」によって、より深く聖域(釈迦がいざなう仏の世界)というものを感じ取る中で、人のこころを開放し昇華させるものだったのでしょう。 特にこのコロナ禍の中、ぜひ一息ついて訪れてみる価値のある建築でした。 最後にかってこの建築が掲載されていた雑誌「新建築1992年7月号」より、30年経った今でも特に共感できる安藤氏の言葉を抜粋しておきます。 (安藤氏によれば、蓮は悟りを開いた釈迦の姿を象徴していると言われているそうです) この御堂も年月が経てば、やがてコンクリートは風化し、蓮池は生い茂る木々で埋もれていく。しかし、夏がやってくればそこには蓮の花が一面に開花し、この場所が聖域であることを人びとの記憶に呼び覚ます。現代建築を犯している刹那主義が一時のきらびやかさだけをひたすら競うのに対して、姿を変えながらも、記憶の中に延々と持続する建築をつくりたいと思う。 (安藤忠雄)<2021年8月15日・了>
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2021.06.01
久しぶりの兵庫県立美術館。折しもコロナ第4波を受けての緊急事態宣言期間中ではありましたが、感染対策を講じた上で2021年4月8日~6月20日まで開催されている「コシノヒロコ展―EX・VISION TO THE FUTURE 未来へ」を訪れました。 普段は、さほどファッションとは縁のないわが身ですが、予想をはるかに超えた素晴らしい展覧会に感動。ファッションだけにとどまらない多彩なアーティストとして、84歳にして尚精力的に活動されているコシノヒロコさん。おそらくはたくさんの優秀なスタッフの情熱的なフォローを得ていることでしょう。各部屋毎の構成に工夫を凝らし、ビジュアルな魅力満載の展示空間で、そのエネルギッシュな活動の成果が披露されています。力の入った展示に魅せられて、各部屋を何度か行ったり来たりするうち、思わず時の経つのを忘れてしまうほどでした。 コロナ禍の中で決して来訪者も多くなかったのは残念ですが、全館写真撮影OKでしたので、順次その魅力の一端を紹介してみたいと思います。 巨大なコシノヒロコ型風船人形がお出迎えのエントランス階段を上り、展覧会の入口へと向かう大階段では、コシノヒロコファッションの代表作を身にまとったマネキンたちがせいぞろい。無機的なコンクリート打放し空間の中、華やかで手の込んだコスチューム達が存在感を放ちます。内2体のマネキンは実はロボットで、来訪者を愛嬌たっぷりに迎えてくれます。 展示の始まりはコシノヒロコの年表。これまでの84年の人生を振り返る部屋。その多彩な活動を物語る様々なエピソードが、コシノヒロコ自身が語るビデオや写真、モノ達で楽しく表現されています。 「絵画とファッション」と題した部屋では、色彩豊かな絵画作品の数々が同じく明るいファッションとコラボ。最初にこの部屋に入った瞬間、抽象・具象・大小を問わないコシノヒロコ絵画作品の多彩さとクオリティーの高さにとにかく驚きました。個性的なファッションを生み出す彼女の創造力の源泉を見た思い。実はこの部屋で写真撮影OKと聞き、慌ててロッカーまでカメラを取りに戻ったのでした。 続く部屋は「墨絵とファッション」。コシノヒロコが本格的にアート活動に取り組むきっかけとなったのが墨絵とのことです。筆やモップまで使って自由な筆致を楽しみながら創る独自の作品世界は、屏風絵や着物の絵付けまで広がります。絵画とコラボするファッションも白と黒のモノトーンの作品が選ばれています。その中で一転、中央の黒い壁面に飾られている、おそらく絵具を流して製作したと思われる巨大な朱色の作品が鮮烈です。 ファッションの足元を彩るタイツばかりを集めた「驚きとファッション」の小部屋。壁面から突き出たいずれ劣らぬ個性派ぞろいの足先群のパワーに、思わず仰け反りました(笑)。 少し落ち着いたところでワンショット! この見覚えのあるユニフォームは体操競技日本代表のもの。これもコシノヒロコのデザインとは知らなかった! 躍動的な3体のマネキン周囲の壁面を飾るのは、紅白と黒の三色で構成された、歌舞伎の隅取りや市松模様等、日本伝統の図柄のコラージュ。 多彩な展示の中でも一際異彩を放つ、コシノヒロコが異分野のアーティストと手を組んで創造したアート作品。プロジェクションマッピングによって暗闇の中で光の演出がなされ、幻想的に折り紙のモチーフの紙ドレスが浮かび上がります。思わず見入ってしまい、ビデオに撮れていなかったのが残念。 「錯視とファッション」の部屋。ファッションのモチーフと同じ柄で床と三方の壁面が構成されています。2次元と3次元で反復を繰り返す文様を眺めているとなんとも不思議な感覚に陥ります。 「エトリケンジ」製作のワイヤーネット製の不思議なフィギアと、それと呼応するファンタジーなファッションや絵画が独特の世界感を表現しています。とにかくそれぞれの展示空間の多彩さと創造性に感服させられます。 こちらは映像体験の空間。2020年のステイホームの期間中にコシノヒロコの手で生み出されたという不思議なキャラクター達が登場するアニメーション。じっくり見入っていると、しばし現実の世界を忘れさせてくれるシュールな時間と空間が体験できます。コシノヒロコ独特の精神世界の奥深さが際立つような展示空間です。 上の写真はコシノヒロコがデザインした実際の洋服をアクリルケースに詰め込んで、絵画のように見せた展示。まさにこの展覧会のテーマに沿った「絵画とファッションのクロスオーバー」の分かりやすい一つのかたち。 マネキンが身に纏う個性的なファッションは、コシノヒロコの絵画をテキスタイルに落とし込んでデザインされた作品とのことです。そしてその背後には同じモチーフで作成された大型のタペストリー。絵柄の斬新さと華やいだ色使いが素晴らしく、いつまでも眺めていたくなる空間でした。この展覧会を担当した多くのアーティスト達の情熱が伝わってきます! 以後は個々のファッションを紹介します。一つ一つが独創的で手の込んだ素晴らしいもの。こんなファッションを悠々と着こなす生身の女性に会ってみたくなりました。 さて展示もいよいよ最終章。コシノヒロコファッションの集大成の部屋。これまでの作品106体が一同に会します。圧巻です! マネキンのコンダクターが奏でるドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」が会場を静かに包み込んでいました。 以下、展覧会図録より抜粋。 「HIROKO KOSHINOの数十年の歴史とコシノの思想的変遷、制作に携わる作り手たちの情熱、高揚感、手仕事の美しさ、そして時代の空気感。ここは感性が凝縮した空間」
アートがすき
デザインがすき
ワクワク
にほんをしりたい
せかいをしりたい
ドキドキ
みんなのことば
わたしのことば
ワクワク
みらいのおとなに
みらいのこどもに
ドキドキ
最後は、幼稚園に通う子供たちが描いた似顔絵にコシノヒロコが手を加えたタペストリーがお見送り。次世代の子供たちに託すコシノヒロコの思い、TO THE FUTURE 未来へ。<了>
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2021.05.12
延暦寺の僧侶の隠居所であった里坊の一つ、旧竹林院。ステイホームにも飽きたコロナ禍GWの一日、庭園の新緑を楽しみに、家内と二人密かに、ぶらりと訪れました。 メディアでもよく取り上げられている主屋に置かれた座卓に映りこむ新緑のショットです。座卓は思いのほか小さいものでしたが、直近で慎重にアングルを決めてパチリ。 縁の手摺が上下の新緑の中に浮かんでいるような不思議な写真が撮れました。 主屋に面した庭園は約1,000坪の大きさ。よく手入れされた木々の新緑に映える築山と清流は、この季節らしい清涼感にあふれていました。
近くの大宮川からひいた清流
庭園内には茶室が二つ。上の写真の茶室が広間(蓬莱)。下の写真の入母屋造り茅葺の茶室が小間(天の川席)と呼ばれ、こちらは2つの出入口のある珍しい間取りとの事です。映りこみ撮影用の小さな座卓が座敷に置かれています
連続した座敷と縁のある開放的な主屋から眺める庭園。コロナ禍で来訪者も少なく、優れた日本建築と庭園とのコラボレーションをゆっくりと堪能し、しばし心癒されるひと時を過ごしました。<了>
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2020.12.11
かねてより行ってみたかった瀬戸内海歴史民俗資料館。11月始めの連休、かのGO TO トラベルもささやかに利用して、高松市郊外の高台に建つ知る人ぞ知るこの名建築を訪ねました。1973年完成のこの建物の設計者は、当時香川県建築課の課長だった山本忠司。丹下健三設計の香川県庁舎の建築に関わったこの人物は、瀬戸内海を望む五色台の小高い丘の上に、その地形になじんで地を這うように建つ平屋建築を実現しました。 高低差7メートル。自然を残した中庭を囲んで、8m×8mのユニットを基準としてその倍数のサイズを組み合わせ、各々に分節された展示室が屋外空間と一体となりながら、回廊状に繋がっていく構成は博物館建築としては斬新なものであり、また何より、この五色台という場所に根付いた「地域主義」の建築として秀逸です。 建物正面の全景。杉型枠のコンクリート放しと、石積の外壁との対比で構成された平屋建て。写真左側の方では瀬戸内海への視界が開けています。 建物入口にあるピロティ―。現地の基礎工事の際にダイナマイトで破砕した地場の安山岩を、お城の石を積むかのように、少し傾斜した外壁に張り付けた展示室の壁面が見えます。 玄関ホールに展示されていた模型。中庭を取り囲むように分節した平屋の部屋が配置されている様子がよく分かります。 屋外空間と絡めながら、レベル差のある地形に沿って、何段もの階段で展示室が連結されています。今の時代であれば、人にやさしくあるべきというバリヤーフリーの観点から、絶対に実現することのない建築と言えるでしょう。現在同じ敷地でこう言った建築を構想するとすれば、レベル差を処理するのにスロープを使用したり、あるいはある程度まとまったフラットな空間にまとめたりして、全く違った建築になるのかも知れません。しかしながら、建築が決してそれ自身だけでその存在を主張することはせず、建った後も変わらずその場所と一体化して自然に在り続けている姿は、建築の一つのあり方として、これからも訪れる者に訴えかけていくことでしょう。 岩場や植栽などの自然を残した中庭に配された回遊導線。建物の内外を順次めぐりながら、各室の展示を楽しめるようになっています。 中庭から第一民俗収蔵庫(石張りの部屋)方向を望む。竪樋は設けられておらず、屋上からの雨水はコンクリート製のガーゴイルから自然に流れ落ちるのに任せる設計です。 中庭よりガラス張りの中央展示ホール(現在は閉室中でした)を望む。左手に見える大きな石張りの壁面が一番大きな第一展示室(こちらも閉室中)。 第一収蔵庫の屋上に設けられた展望台に上る階段です。コンクリートの列柱の手摺は神社の玉垣をイメージしたものだそうですが、建物の解説パンフによれば、幾分施工者泣かせであったとか。瀬戸内海の眺望への期待感が高まるアプローチです。形状や大きさ、色調の事なる外壁の石積が、一つ一つ異なる表情を持っていて、思わず見入ってしまいます。 展望台に上ると360度の絶景が広がります。地域の生活の営みの歴史を丁寧に記録し、この場にしっかりと根ざした建物の屋上から眺める瀬戸内海はより印象的でした。機会があれば海側からの遠景もぜひ見てみたいものです。 赤と白の灯台のある少し離れた場所からの風景を目に焼き付けて、この建物を後にしました。中央ホールと第1展示室~第4展示室は令和3年3月19日まで閉室の予定となっていましたが、ぜひまた全館をじっくりと見れるようになれば、再訪したいと思っています。 この日の夜は高松市内に宿泊。同じ山本氏設計の有名な郷土料理の店「まいまい亭」を訪ねました。予約なしで飛び込みだったにもかかわらず、心よく迎え入れてくれた女将さんから、かってこの店に足しげく通ったという流政之やイサムノグチが好んだ料理の説明を聞きながら、美味しく楽しい夜を過ごしました。
<了>
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2020.12.03
ザ・バンドの誕生から「ラストワルツ」の解散コンサートまでを、バンドの中心メンバーのギタリスト、ロビーロバートソンの視点から描いたドキュメンタリー映画「ザ・バンド かって僕らは兄弟だった―ONCE WERE BROTHERS ROBBIE ROBERTSON And THE BAND」を見に久しぶりに映画館へ。夕刻の梅田シネ・リーブルの小さな箱には、勤め帰りと思しき音楽好きが若干名。1960年代の後半から1976年の解散コンサートまでの短い間活動した、いぶし銀のようなロックバンドのドキュメンタリーとなれば、おそらく客は私と同世代ばかりかと思いきや、比較的若い世代も交じっていたのが嬉しい。 製作総指揮の一人は、映画「ラストワルツ」を監督したマーティン・スコセッシ、監督と共同編集は若手のダニエル・ロアーで、コンサート映像やメンバーやバンドと関わりのあるミュージシャンのインタビュー映像を交えながらかっては「兄弟」だった(過去形なのが悲しいけれど)メンバー同士の絆と軋轢を、大半のバンドの楽曲の作詞・作曲者でもあるロビーが思い入れを込めて語る構成になっています。 1972 年にリリースされたライブアルバム「ロック・オブ・エイジズ」を聞いて、私がこのバンドのファンになったのは大学1年生。当時大学のフォークソング倶楽部(「海はすてきだな」というラブソングをヒットさせた、ザ・リガニーズというバンドがこの倶楽部出身でした)に在籍していた私は、この倶楽部で知り合ったメンバーとバンドを組んで活動を始めたばかりで、まだ黒人ブルースに目覚める前でしたが、ザ・バンドの(今で言うところの)アメリカのルーツミュージックを基礎にしたなんとも言えないグルーブ感と、渋くて泥臭いハーモニーに心を奪われたものでした。特に好きだったのはドラムの南部出身リヴォン・ヘルムのヴォーカル、そしてリック・ダンコの、派手さはないけれどツボを押さえたドライブ感のあるベースも結構好きでした。 当時の文化祭で同じクラブの先輩グループが、ザ・バンドの代表曲の「ザ・ウェイト」を演奏しているのを聞いて、おぬしらやるな!と感心したものです。(ちなみにこの年の文化祭では、僕たち一年生は、皆でビートルズの「You're Going To Lose That Girl」を輪唱したのですが、これはこれで結構クオリティー高かったと今でも思っています・笑) その「ザ・ウェイト」ですが、バンドの楽曲の中ではピカ一と言っていい私のお気に入りソングで、スマホの着メロにも採用!あの映画イージーライダーの中で、2台のハーレーダビットソンが自由奔放に荒涼たる砂漠の中を疾走する場面で、この曲が使われています。 全体的には、聖書からの引用と思しき言葉が多く出てきて、ちょっと難解で意味不明な感じの歌詞ではあります。 その中で繰り返し出てくるTake a load off Fanny, take a load for free と歌うサビの部分を直訳すると、前半部は「荷物を降ろしてしまえ」(Fannyの意味は複数あるようですが、ここでは省略)、後半部はfreeを「自由」と解釈すれば「自由になるために荷物を取れ」となり、freeを「ただ(無料)」と理解すれば、「荷物を取るのにお金はいらないぜ」というような意味になります。 いずれにせよ、荷物を降ろすのか?取るのか?どっちなの?という感じで、一見矛盾しているようにもみえます。しかしながら、私の勝手な解釈としては・・・後半部を例えばtake a load off for free と歌うとより分かりやすいのでしょうけど、それではちょっと語呂が悪いので、offを省略したのではないか?と。このoffが無くても、前半部のフレーズを受けて、後半部の take a load を「荷物を(降ろすために)取る(あるいは選ぶ)」と考えれば、矛盾しないと思います。 要は、「余計なものは持たず、(心の中の)重荷を降ろして楽になろう、気ままに自由に生きようぜ!」というメッセージが繰り返しサビで謳われているわけで、まさにイージーライダーのあの場面にピッタリですね (歌の題名のザ・ウェイトは the weight で、このloadを言い換えたものと思われます)。 ハーレー乗りのちょい悪親父の心が、くすぐられます(笑) 曲調は高揚感のあるゴスペル調。そして全体的にはまるで聖書をからかっているようにも見える歌詞。ひょっとしたら、ここでの loadは、lord にかけているのではないかと思ったりしますが、考えすぎでしょうか。 とまあ、こんな感じで聴き手が歌詞の意味を好き勝手に解釈して楽しむのを、この曲の作者であるロビーロバートソンは望んでいるのかも知れません。 (インタビューの中で歌詞に意味なんていらない、みたいな事を言っています) アレサフランクリンをはじめとして多くのミュージシャンに、思い入れを込めてカバーされているこの「ザ・ウェイト」。歌詞の意味云々より楽曲そのものの秀逸さと、今は亡きリヴォン・ヘルムの渋くソウルフルなヴォーカルの魅力で、これからも永く聴き継がれていくことでしょう。 ラストワルツコンサートの中では、ゴスペルグループのスティプルシンガースがゲスト参加、この曲をザ・バンドと一緒に熱唱していますが、これはもうめちゃくちゃ恰好いいので、ぜひ聴いてみてください! 結局、話が「ザ・ウェイト」のことばかりになってしまいましたが、ザ・バンドの魅力については、また機会があれば書いてみたいと思います!
(了)
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2020.09.23
Withコロナの時代とは言え、そろそろ他府県の車が観光地に停まっていても顰蹙を買うことはなかろうと、思い立って三方五湖レインボーラインにある山頂公園を訪ねました。 ここは昨年の8月に31歳で急逝した息子が中学一年生だった夏に一緒に来たことのある思い出の場所。この年の夏は2人の姉が大学受験の夏季講習中だった事もあり、家内を含んで3人での小旅行となり、釣りが好きだった息子と海や渓流での釣りを楽しんだ後に、ドライブがてら、この山頂公園に立ち寄ったのでした。 当時は、今のようないくつものテラスやショップは無かったように思いますが、公園の一画には今と同じように、この地出身の歌手、五木ひろしの代表曲である「ふるさと」の歌碑があり、歌碑のそばのスイッチを押すと、曲が流れる仕掛けとなっていました。 祭りも近いと汽笛は呼ぶが 洗いざらしのGパンひとつ 白い花咲く故郷が 日暮れりゃ恋しくなるばかり この曲が発表されたのは1973年。1973年と言えば、当時20歳で大学一年生の私は、大学の音楽サークルで、後に黒人ブルースバンドを組む事になる仲間たちと出会った頃で、歌謡曲には縁の無い生活でしたが、私の両親が歌謡曲好きで、私が子供の頃はテレビの歌番組からいつも演歌が流れていた環境で育ったせいか、当時三方五湖を望む絶景を前にしてこの曲を聴くと、妙に心の琴線に触れたものでした。 一方、1988年生まれでおよそ演歌とは縁が無いはずの、後にDJの道を歩むことになる息子が、この場所で初めてこの曲を聴いて、不思議なことに、何故かしみじみ「ええ唄やなあ」と。 演歌好きで村田英雄の「王将」が18番だった私の父親からの血が3代に渡って受け継がれているのかな。。等と感慨にふけりながら、しばし中学一年生の息子と二人で海を眺め、大音量で流れる「ふるさと」に聴き入ったものでした。 今回は家内と二人でしたが、海が大好きだった息子のことですから、きっと一緒に聴いていたことでしょう。「この唄ヤバイ!」とでも言いながら。。 (ヤバイ!と言うのは何かをほめる時の彼の口癖でした) あー 誰にも故郷がある 故郷がある
絶景を眺めながらの足湯
カラフルな日傘がインスタ映え
ここにも在った「恋人の聖地」
三方五湖に面してカウンターやソファーのあるテラスがならぶ
山頂公園と駐車場を結ぶリフト(隣にケーブルカーも有り)。急こう配で結構スリリング
(了)
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2020.09.14
安藤建築の新作、子供のための図書館「こどもの本の森中之島」を見学する機会がありました。コロナ禍の中、来訪者を限定した予約のみの公開です。 中之島公会堂、中之島図書館、東洋陶磁美術館、大阪市役所等の名建築が川沿いに立ち並ぶ大阪を代表する風景の中に出現した、これまでの安藤流から決してぶれることのないコンクリート打放し建築です。
玄関横に配置された中之島界隈の模型。模型中央のこの図書館だけが木でつくられています
コンクリート打放しとは、コンクリ―トを打設したそのままの状態で放っておくという意味ですから、元々は仮にジャンカやピンホールがあったとしても、そのあるがままの造る過程の痕跡が残る事も良しとした荒々しい仕上げであったはずなのですが、安藤氏が牽引したとも言えるコンクリート打放し建築の普及と共に、打放しの施工技術も進み、一般の人々にとってのコンクリート打放し建築は、「お洒落で白く綺麗なもの」に変わっていったような気がします。この建物でも、竹中施工の打放しは一部の隙も無いくらい見事な精度と美しい仕上がりを見せてくれます。コンクリートの打設は、周到な準備をした上での一発勝負の集中力を要する作業ですから、ある意味体育会系の建築といえるかも知れません(笑)階段を上がったアプローチテラスからアクセス。テラスには安藤氏デザインの「青いりんご」
アプローチ反対側のファサード。エントランス廻りは低い本棚として開放的なカーテンウォール
建物は3層構成で、2階がエントランスフロアー。奥には本棚に囲まれた3層吹き抜けの空間が広がります。 2階にある大階段。子供達や親達は思い思いにこの階段に座って、好きな本を楽しむことができる仕掛けです。 1階レベル奥にはトップライトから光が差し込む円筒状の空間が。壁面にはプロジェクションマッピングで、本の内容が紹介されています。もっとこの円筒形の空間全体が使われていれば、より迫力がある内容になったと思うのですが、そこが少し残念。 大階段を登った3階の奥は中之島の風景が望める明るい空間で、子供達の付き添いでやってくる両親も楽しめるような本が用意されていました。テラスに置かれた青いリンゴを閲覧室から中之島の風景と共に望む
基本的に壁面全体が本棚。隙間にはスリット窓がランダムに設けられて、光を効果的に取り込んでいます。2階の一画は外に開いた明るいロビーで、一息つける空間となっています。 大階段を中心に各フロアーが俯瞰できる3階廊下からの写真。2階のロビーと最上階3階の閲覧室にある開口部がメリハリの効いた光を取り込みます。大階段の下を利用したスペース。小さな子供たちの居場所になりそう
テーブルの傍にある本棚の詳細
最下階1階の閲覧室。テーブルに座り、ゆっくり落ち着いて本が読めるスペース
1階へ降りる階段と、吹抜けに斜めにかけられた2階レベルのブリッジは館内の回遊性を高める舞台装置。細かいフラットバーの手摺も綺麗ですが、隙間から小さいものが落下しないか少し心配 この施設は設計者である安藤自身の寄付によって建てられたものです。子供たちの活字離れが深刻化している昨今、本を通して判断力や表現力や創造性、感性を育む場を設けたいとの安藤氏の思いが、大阪の歴史や文化、芸術を直に感じる事のできる中之島の地で実現したのは、素晴らしいことです。 安藤氏のその国内外での豊富な作品の実績は言うまでもありませんが、私個人的には、大阪出身の安藤氏が一建築家の枠を超えて、強烈な社会的発信力と行動力を持った稀有な存在であり続けていることに、何より感服させられます。 この施設を訪れる子供たちが、様々な本に親しみ、この中之島の地で有意義な時間を過ごす事で、元気に次世代を担う頼もしい人材に育ってくれることを、素直に願いたいものです。(了)
同じく安藤建築で、この建物の兄貴分とでもいうべき「司馬遼太郎記念館」の探訪記を当blogにアップしていますので、併せてご覧ください。 http://tk-souken.co.jp/blog/3720/