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2016.06.02
「小保方さん、あなたは必ず蘇ります」 瀬戸内寂聴さんと小保方晴子さんの対談記事が、雑誌「婦人公論」に掲載されたので、当所女性スタッフに御願いをして購入しました。 小保方さんの手記「あの日」を読んだ寂聴さんが、小保方さんに声をかけて実現したそうです。若い頃、自らの著作に対して、世間から激しいバッシングを受けたこともある寂聴さんが、「あの日」に共感し、小保方さんを暖かく励ます内容となっています。 小保方さんは、純白のワンピースを身にまとい、髪をアップにした姿で2年ぶりの登場。やや痩せてはいるものの、「あの日」の記述から想像されるほどの憔悴したイメージは無く、やはりこの人は芯が強く、ある意味自己顕示欲の強い人なのだなぁと感じます。 あの不可解な「STAP騒動」は、誰もが納得できるような真相は闇の中のまま、一人の女性を激しく貶めることで収束しました。もちろん「あの日」の小保方さんの主張が全て正しいとは限りませんが、「あの日」の中で批判された人達からの反論などはほとんどありません。反論したくてもできないのか、あるいは反論にも値しないと考えているのかは、当事者にしかわかりませんが・・・。 寂聴さんは、邪念を捨て「あの日」を虚心坦懐に読み込んだ結果、「STAP騒動」は小保方さんが企てたものでは無いのに、はからずも彼女一人のせいにされて、「小保方さんは公のいじめを受けた」のだと、激しい憤りを語ります。実は私もその主張に思わず共感してしまいます。小保方さんがそこまで(たとえばES細胞を盗んだり混入したり)する動機がどうしても理解出来ないからです。いくら功をあせったにしても、いずれバレてしまうことが分かりきっているような破廉恥な行為を小保方さんが自ら行うとは思えない。しかしその事は、小保方さんが名指しで批判する若山教授にしても同様ですから、真相はますます分からなくなってしまうわけですね。 対談のなかで、寂聴さんは小保方さんの文才を認め、小説を書きなさいと進めていますが、これは寂聴さんなりの激励の仕方でしょう。私が「あの日」を読んだ感想は、確かに短期間であれだけの内容を一気に書き上げたとすれば、相当な集中力の持主だと思うし、自分の考えをアピールするのも上手ですが、文学的な素養とはまた別ではないかと感じます。 やはり彼女は自分の専門分野で、自らが一度は出会って愛したけれど、結果的に失恋してしまった、と対談の中で語る「STAP細胞」に再び出会うために、もう一度チャレンジしてほしい。海外の研究機関からのオファーも届いているとのことです。「あの日」の印税もこのチャレンジのために有効に使って、改めて誰も文句を言えないだけの研究成果をあげれば、世間も納得するでしょう。 成果を手に颯爽と再びメディアに登場し、ドヤ顔で(笑)「やっぱりSTAP細胞はありました!」と宣言し、辛いバッシングを受けた世間にリベンジを果たす小保方さんを、近い将来ぜひ見てみたいものです。
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2016.05.19
保存改修工事が完了したロームシアター京都(旧京都会館・1960年完成)の見学会とシンポジウムが、平成28年5月10日(火)日本建築学会 近畿支部 の主催で開催されたので、出かけてきました。 この度、その建築作品の数々が世界遺産に登録されることになった建築家ル・コルビジェの弟子である前川國男設計のこの建物は、言うまでもなく日本近代建築の代表作です。 2010年に「オペラハウスに建替える予定」と新聞紙上で発表されると、各界から強い疑問と反対の声があがった事は、我々建築に係わる者にとっては記憶に新しいところです。 以後、多くの議論を経て、残すべきものは残し、改修すべき部分は丁寧に改修する、既存を尊重しながら必要なものを付加する、そしてどうしても現在求められる機能が果たせない部分についてはやむなく建替える、という方針のもと、今私達が目にすることが出来るロームシアター京都が完成しました。今後、モダニズム建築の保存改修を考えるにあたって、優れた試金石となる素晴らしい事例だと思います。
岡崎公園につながる広場からの眺め
二条通東側の景観。1階にはブック&カフェ(TSUTAYA)2階にはレストランが入っていて、街路に賑わいが生まれて随分親しみやすい印象となりました。
多目的ホールとして生まれ変わったサウスホール
正面に、今回新たに付加されたガラス貼りの共用空間が見えますが、水平に伸びた庇が強調された建物全体の印象はほとんど変わっていません。正面右奥にレンガ張りの大ホール舞台部分の壁面が見えます。この部分の高さは、既存より高くなっていますが、写真右手前の客席部分は勾配屋根を用いてボリュームが抑えられているので、違和感は感じられません。
4階メインホールのホワイエ。東山の山並みを望む大庇上のテラスに面しています。
いかに優れた建築であっても、時の流れと共に老朽化し、また機能面でも時代に合わないものになっていくのは否めません。よって、建築物を時の経過に抗って化石のように当時の姿のまま保存するのが決して正しいとはいえず、時代の流れの中で人々に愛され永く使われ続けることが建築物としての本懐でしょう。優れた建築を「残す」ことと、その建築が生き続けるために「必要な手を加える」ことは、同義であると言えます。 「ロームシアター京都」では、この前川國男の名作をしっかりと次世代に引き継ぐために、「時代ごとの新しい価値を、古い価値の上に重ねていく」というコンセプトで、保存改修が為されました。 現在の日本に数多く存在する優れた「モダニズム建築」を生かすためには、既存建物の設計者の意図を充分に読み込んだ上で、新しい現代の設計者が、その特質を損なわないため必要な保存改修のスキルを存分に駆使し、さらに時代や環境が求める新しい空間の価値を付加していくこと、そしてその結果として、さらなる時の流れの中で変わらず人々に愛され続けることです。 「ロームシアター京都」は、今後建築物の保存改修を考える上で多くの示唆に富んだ「モダニズム建築の再生」事例であることは間違いありません。カテゴリ:
2016.05.09
GW合間の一日、岡山県津山市に建つ近代建築の知られざる傑作「津山文化センター」を訪ねました。1965 年に完成、昨年50周年を迎えたこの建物は、早稲田大学理工学部建築学科を卒業、清水建設設計部を経て、旧逓信省営繕部設計課に勤務した後、1957年に事務所を設立した、一般的にはほぼ無名と言える建築家「川島甲士」氏の40歳の時の作品です。 最も特徴的なのは、日本の伝統的な寺社建築の屋根を支える持ち送り工法である「斗キョウ」構造を、近代建築を象徴する材料であるプレキャストコンクリートで構築していることでしょう。 逆台形状3層の精緻で力強い「斗キョウ」が伸びやかな水平線を形作りながらフラットな屋根を支える外観のシルエットは、冒頭の写真にあるように抜群に美しいプロポーションで、建物にアプローチしながらしげしげと眺めていると本当に惚れ惚れします。 ホールのある本体とは分離して建てられている展示ホールの壁面は、グラフィックデザイナー「粟津潔」氏によるウェーブ状のレリーフが施されていて、これもなかなかの迫力で見ごたえ充分。本体部分の「斗キョウ」との対比も鮮やかです。
右側が本体とは分離した展示ホール
それにしても、逆台形状の構造のためか、築50年を経過してもコンクリートの汚れや劣化が少なく、当時のままの精緻で美しい外観が維持されているのには驚きです。 1階ホワイエは、外部に面した吹抜け空間。上部には立体格子に照明を絡めた建築化照明が。梁の上を歩くランプ交換は、命綱必須の決死の作業(笑)との事でした。ホワイエ上部の梁と建築化照明
「斗キョウ」のある外周通路
「斗キョウ」はプレキャストコンクリートの部材を一つ一つ組み上げて作られています。内側には近代建築で主流であったスチールサッシュ。外周通路がクッションとなり綺麗に保たれています。 ホール内部も見せていただきました。局面を描く天井はベニヤ下地にクロスを張って作られているそうです!外観とは対照的なインテリアですね。黒い楕円形の3つの穴は巨大なスピーカー。 ホール側面はコンクリート打放し仕上げで、音響効果を考慮したというリブパターンが施されています。音響設計は、なんとあの大隈講堂を設計した佐藤武雄氏が手掛けたそうです。 天井中央の大きなシャンデリアもこの種のホールでは珍しいですね。ホワイエの一角に鎮座する模型
中2階側出入り口のあるシンメトリーな外観
かって天守閣のあった鶴山公園のふもとに経つ「津山文化センター」。軒先に向かって広がっていく外観は、台形状の鶴山城の城壁との対比が図られていると言えますが、実は、川島甲士は京都国際会館のコンペでも、この「津山文化センター」とそっくりの逆台形状の「斗キョウ」のある案を提出しています。日本独自の様式を近代的な材料と技術で再構成したこの案に、よほどの思い入れがあったのでしょう。自らが信ずる新しい時代の日本建築を何としても生み出したいという、当時の気鋭建築家の熱意がひしひしと伝わってくる作品でした。 近々に耐震改修が施される予定とのことですが、この建物に充分な敬意を払った上で、原型の魅力を損なわない方法で慎重に実施して欲しいと思います。カテゴリ:
2016.04.21
震度5を超える余震が長期間にわたって頻発するという、日本人がこれまで経験した事も無い異常な事態が続く熊本地震。普段は意識されることのない、活断層が動いた時の恐ろしさを実感させられます。 避難場所や周辺の駐車場で、余震の恐怖で眠れない夜とエコノミー症候群に悩まされながら、不自由な時間を過ごす被災者の皆さんの事を思うと、一刻も早くこの事態が収束してくれることを祈るのみです。 現地でボランティアに携わる人達の献身的な活動を目にすると、心痛めながらも何ひとつ具体的な支援が出来ていない我身が恥ずかしくなってしまいます。牛丼の吉野家、すき家、カレーのCoCo壱番屋等の外食チェーンがいち早く現地に入り、自社のメニューを被災者に提供しているようですが、企業としての迅速な行動力と、こんな時こそ企業力を最大限に発揮して被災者をあたたかい料理で元気づけよう…と言う、食を担う企業としての心意気に感銘を受けます。 まだ余震がさらに続くかもしれず、活断層が動くエリアがさらに拡大していくかも知れません。東日本大震災に続く想定外の事態、否、それ以上に明日の予測が不可能な事態と言えます。周辺の原発も本当に稼動していて大丈夫なのか心配です。 日頃から震災に備えて具体的に準備しておくことも、もちろん大事ですが、全く想定外の事態に遭遇した時でも、あわてず適切に対処できるだけの度胸と機転力を身につけておくことも、大切なのかも知れません。 これまで、この震災で亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。
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2016.04.13
恥ずかしながら、シニア世代になってから一念発起して、自動2輪免許を取得しました。 まずは2008年に中型免許を取得、1年間はホンダのCB400でバイク入門、1年後には念願の大型2輪免許を取得して今年で早7年目に入り、現在は、愛車 Harley-Davidson の Heritage Softail Classicで、時間のある時、自由気ままにツーリングを楽しんでいます。
管理事務所兼用のガレージに鎮座する愛車です。
今年の夏は、同好の士である旧友と北海道ツーリングを計画中! 日本最北端の宗谷岬はマストとして、さて他はどのルートを走破するか、ロードマップを睨みつつわくわくしながら計画を立てています。今は、予めバイクを千歳空港の近くまで陸送してくれる便利なツーリング支援会社があり、伊丹か関空から北の大地まで1時間半ほどのフライト・着いたその日から即ツーリングが楽しめるので、我々時間的余裕のない者にはとても便利です。 初めての北海道ツーリングの様子、追ってご紹介していきますので、ぜひご笑覧ください!!カテゴリ:
2016.04.01
仕切り直し前の新国立競技場のデザインを手掛けた女性建築家、ザハ・ハディドさんが急死した、とのニュースが飛び込んで来ました。気管支炎で入院治療中のところ、急な心臓発作で亡くなったとのことですが・・・病院内での出来事なのにかかわらず、病院側がどうして対応できなかったのか?率直に疑問が残ります。 新国立競技場の新たな採用案が自分たちの案を下敷きにしていると強く主張して、法的手段の可能性まで示唆し、これまでの設計報酬の支払いについてもJSCとの間で協議中であったこの時期の急死だけに、なんとも釈然としない印象は拭えません。そして、ザハ氏自身、思いもかけずに訪れたであろう自らの死の瞬間を果たしてどんな思いで迎えたのだろうか・・と想像すると、やりきれない思いにかられます。 当初の彼女のデザインが、あの新国立競技場の建つ神宮外苑のコンテクストにふさわしいものであったかどうかは別として、初期案における曲線のもつ流麗さとダイナミズムを大胆に駆使したエキセントリックな造形は、他の案に比して群をぬいて独創的でした。アンビルドの女王と呼ばれ、その斬新な造形に建築技術がついてこれない時期もあったようですが、近年の建築技術の長足の進歩と建築予算に寛容な事業主にも支えられ、世界各国で独創的な作品を生みだしてきました。 享年65歳、アラブ社会で生まれた女性建築家が、これだけの実績を積み上げてこられたのは、彼女自身と努力と天賦の才能はもちろんですが、やはり建築業界では奇跡と言っていいでしょう。一人の建築家の傑出した才能が世界中の国家的プロジェクトを動かしていくことが出来るんだ!・・という建築設計を志す者たちが抱く夢を、まさにダイナミックに実現した偉大で稀有な建築家の一人といえます。 晩年の新国立競技場計画での日本との関わりが、ザハさんの中でおそらく良い思い出では終わらなかったであろうことについては、日本人建築家の端くれとして申し分けない気持ちになります。もう、新国立競技場問題でザハさんを否定的に捉えるのはやめにしましょう! ザハ・ハディドさんを筆頭とする設計チームが遺した遺産は、新しい設計者がいくら否定しようとも、おそらくベーシックなスタジアム部分で継承されていると私は思います。もちろんこのような状況になったのは、コンペの進め方自体に問題があった事は否めませんが、今となってはJSCも新しい設計者も、前案を継承した部分は素直に認めた上で、ザハ事務所との著作権(道義上の)問題にも、適切に対処してもらいたいものです。 謹んでザハさんのご冥福をお祈りいたします。 最後に建築家の磯崎新氏が、親しい建築関係者に送付したとされるザハ氏を追悼する痛切な手記を紹介しておきます。 出典はコチラ。http://www.buzzfeed.com/daichi/isozaki-note-for-zaha#.by8NELBMjM そのイメージの片鱗が、あと数年で極東の島国に実現する予定であった。ところがあらたに戦争を準備しているこの国の政府は、ザハ・ハディドのイメージを五輪誘致の切り札に利用しながら、プロジェクトの制御に失敗し、巧妙に操作された世論の排外主義を頼んで廃案にしてしまった。その迷走劇に巻き込まれたザハ本人はプロフェッショナルな建築家として、一貫した姿勢を崩さなかった。だがその心労の程ははかりはかり知れない。 〈建築〉が暗殺されたのだ。 あらためて、私は憤っている。 彼女の内部にひそむ可能性として体現されていた〈建築〉の姿が消えたのだ。はかり知れない損失である。
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2016.02.29
小保方晴子さんの手記「あの日」が出版されたので、あのSTAP細胞問題とは一体何だったのかが知りたい一心で読んでみました。 小保方さん側から見たSTAP細胞問題を、赤裸々に綴ったセンセーショナルな内容で、要旨を一言で言うならば、「私に反省する点が多々あるとは言え、基本的に私は、理研関係者の一部やマスコミによって、魔女狩りのごとく捏造犯に仕立て上げられた哀れな被害者である」という主張のようです。記述には、感傷的表現(悲劇のヒロイン的な)も多く見受けられるので、これを読んで小保方さんに感情移入して涙する人もいるでしょう。また一方で「いまさら、とても信用する気にはならない」という批判も多くあると思います。 正直言うと、これまでの経緯を見ても、未だ小保方さんにシンパシーを感じていた私ではありますが、やはりここは本人の一方的な主張だけを聞いていてもいかん!と思い、「あの日」の中で小保方さんが、その取材姿勢等について痛烈に批判している毎日新聞記者、須田桃子さんの「捏造の科学者」という著書も合わせて読了しました。 こちらは、関係者への綿密な取材をもとに、STAP問題の全貌を解明しようとした中々の労作でした。奇しくも小保方さんも須田記者も、私と同じ大学、同じ学部出身なので、大変興味深かったのですが、さて両著書を読んでみた結論は・・・ますます私の頭は混濁し、より一層分からなくなってしまいました。 ・「STAP細胞」とはES細胞の混入した結果というが果たして本当に事実なのか? ・小保方さんの言う「酸で刺激すると初期化する未知の細胞」は、まったくのでっち上げだったのか? ・そして仮にでっち上げが事実だとしても・・・ ・いったい、誰が、何時、何故、そこまでして「STAP細胞」をでっち上げなければならなかったのか(いずれはバレルのが明白なのに!) ・何故、居並ぶ共同執筆者の著名な先生方の誰もが、そのような分かりきったでっち上げに、論文発表まで気づかなかったのか? 私としては、須田記者だけではなく、「あの日」の中で、小保方さんから捏造の張本人であるかのように名指しされている共同研究者の若山教授、そして本問題の主体である理研の反論をぜひ聞いてみたいというのが正直なところですが、果たしてそれが為されるのかどうか・・・ それらの真相を知りたくとも(当事者によって意図的に?)真相は、闇に閉ざされてしまい、いつのまにか「うやむや」で終わってしまうのではないか・・・と危惧してしまうこのモヤモヤ感は、つい最近「新国立競技場」の事業者選定結果で感じたものと同質な気がしています。 そして、小保方さんが着想したSTAP細胞が、IPS細胞を超えるような大発見と見るや、豊穣な研究資金を得るためか、小保方さんを広告塔のように利用して戦略的にその業績を世にアピールしたか思うと、論文データの不備が明らかになったり、ES細胞の混入を疑わせる解析データが発表される等の問題が露呈してくると、今度は手の平を返したように小保方さん個人に責任を押し付けて切り捨ててしまう…… 実は真相は私達の理解の及ばない別の処にあって、その上で理研という組織あるいは理研に属する研究者が、そのような隠蔽工作を行ったのだとすれば……これは、もう科学の世界だけの特殊な出来事だとは言えません。。
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2016.02.17
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2016.01.29
2016年1月31日で一般公開を終了するモダニズム建築の名作、神奈川県立近代美術館をこの目に焼きつけようと、鎌倉まで出向きました。 ますは新幹線車中からの富士山の雄姿をご紹介。運よく好天にめぐまれ、先の寒波で、山頂にたっぷりと雪をいただいた見事な姿を撮影できました。 昼過ぎに鎌倉駅を降りると、平日にもかかわらず結構な賑わいぶりにびっくり。鎌倉観光スポットでお馴染み小町通り商店街を、お洒落な店主さんたちの呼び込みの声を聞きながら徒歩10分あまり歩いて美術館に到着。チケット売り場にはすでに行列が出来ていて、みんな思い思いにこのシンボリックで端正な正面外観を眺めながら、記念撮影などに興じています。 1951年、ル・コルビジェに師事した坂倉準三の設計で、鶴岡八幡宮の敷地内に日本で最初の公立の近代美術館として開館したこの建物は、65年に亘ってこの地で人々に愛され続けてきましたが、まもなく美術館としての役割を終えようとしています。モダニズム建築としての歴史的な評価も高く、閉館後は鶴岡八幡宮の施設として引き続き利用されることが決まっているとの事です。 コルビジェの建築思想に基いて、1階はピロティー形式として建物を持ち上げ、隣接する「平家池」にせり出す2階部分を繊細な鉄骨の列柱が支えるその姿には、近代建築と、桂離宮に代表される日本建築の伝統的な空間の趣きとを融合しようという意図が、強く感じられます。私は不覚にもこの建物を実際に見たのは初めてだったのですが、池や中庭などの外部空間が建築の中に巧みに取り込まれ、周辺環境と建築の各部分が連続し一体化したこの空間の心地良さは、やはり実際に体験してみないとわかりません。外部空間の要所に配された彫刻たちも生き生きとしていて、まさに「この場に最もふさわしい美術館」のあり方が提示されているのです。人々は単に美術品自体を鑑賞するだけではなく、この気持ちのよい空間全体を全身で体感しながら、伸び伸びと思い思いの時を過ごすことが出来ます。この環境に身を置くことの何とも言えない心地良さが、この美術館が建築の専門家だけではなく、一般の人々に長く愛されてきた所以なのだと思えました。 2階にある小さな喫茶室で「平家池」を眺めながら一服していると、ここで順番待ちをしている間に知り合ったと思しき熟年カップルが、仲良く入って来て一つの卓を囲んでいました。羨ましいな(笑)などと思いながら、聞くともなく聞いていると、女性の方は学生時代にこの建物を訪れた時の思い出などを懐かしそうに語っておられ、この建物が育んできた時間が、同じような感慨を持つ人たちの思いをつなぐ役割を果たしていることに感銘を受けました。「やっぱり建築も捨てたもんじゃない」建築を志した頃の情熱を少し思い出させてくれる時間でした。 隣接する新館は1966年に同じく坂倉準三の設計で増築されましたが、耐震性に問題があるとのことで、今は内部は公開されておらず、外観だけの見学となっていますが、こちらはコルテン鋼(錆びた鉄)を柱・梁に使用した日本建築の「真壁造り」をイメージさせる構造で、展示室はガラスのカーテンウォールで池と一体化する空間です。坂倉事務所在籍時にこの建物を担当した室伏氏のインタビュー映像がロビーで流されていたのですが、施主との打合せ前には、室伏氏が提案したガラスの多い展示空間に難色を示していた坂倉準三が、打合せの場で当時の副館長・土方定一氏も開放的な展示室が良いと思っていることが分かると「私もそう思っておりました!」とすかさず答えたという、思わず笑いをさそうエピソードが暴露(笑)されていて面白かったです。室伏氏も、もう50年経って時効だと考えたのでしょうね。 建物は「平家池」の対岸の道路に平行に配置されており、坂倉が池越しの眺めを重視していたことがわかります。今は対岸のレストランや道路沿いの植栽のせいで、その池越しの姿が充分に望めないのは残念ですが、レストラン近くの池のほとりからの外観を撮影することが出来ました。白い箱が宙に浮いたような2階建て本館と、真壁風の簡素な平屋建て新館との対比が明快です。 日帰りの駆け足探訪でしたが、優れた建築と共に存る「場の力」を、改めて実感することが出来た有意義な一日でした。
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2016.01.19
新国立競技場実施案に選ばれたA案(隈研吾・梓設計・大成建設、以下A者案)が、白紙撤回された前回案に酷似しているとザハ・ハディド氏側からクレームがつきました。表層のデザインは異なっていても、スタジアムの構造や各室の配置がほぼザハ案を下敷きにしているというものです。隈研吾さんが会見で説明していたように、スタジアムという用途上、与えられた条件下で最適解を追求すれば自ずから同じような部分も出てくるとは思います。私自身、ザハ案とA案とを詳しく比較研究したわけではありませんが、ザハ氏のみならずA案に敗れたB案作成者の伊東豊雄さんまでが、結果発表後の記者会見で「A案はあまりに前回案に似ている。ザハ氏に訴えられるかもしれない」と発言されていたり、ネット上で両案を重ね合わせて類似点を指摘している記事などを見ると、やはりA案は一定程度ザハ案を下敷きにしている、と見ざるをえないのだろうと思います。 元々私は、仕切り直すとしても、完全な白紙撤回ではなく、これまで蓄積してきた設計上の成果を生かすためにも、新たな条件設定のもとで、前回と同じザハ氏を含む設計チームで進めるのが最良であろうと考えていましたので、今回の決定案が前回案を踏まえて作成されたとしても、むしろそれは、ある意味、理にかなった話だと思います。しかしながら白紙撤回後に改めて公募した公正であるべきコンペという場において、前回設計に携わった業者を含むチームが、明らかに前回案を下敷きとした提案をし、結果的に其の案が採用されたとすれば、その結果をどのように理解するのか?という問題でしょう。 ザハ氏側は前回案の知的財産権を主張しているようですが、そもそも前回案は、ザハ氏をデザイン監修者とし、その他複数の設計事務所の設計企業体の設計です。また今回「似ている」とされる部分が、一般的に著作権などの知的財産権の対象となるような芸術的であったり極めて独創的であったりするような部分ではなく、いわば実務的、機能的なレベルの話なので、ザハ氏側が、スタジアム部分の類似を根拠として法的な知的財産権を主張するのは、少し無理があるような気はします。(ザハ氏の心情はよく理解できますが) しかしながら、それまでかかった費用を支払ったとはいえ、ザハ氏を突然降ろして白紙撤回をうたいながら、結果的に別の設計者の名のもと、ザハ氏他案の一部を採用した、となればやはり、A者、そして特に事業者であるJSCの道義的な責任は免れないのではないか。伊東豊雄さんは、先の記者会見の場で「我々は極力前回案に似ないように十分注意払った」という主旨の発言をされていました。前案は敢て参考にはせず、一からこの建物を構想する困難な道を選択されたわけですが、技術者としての誇りと矜持を持った立派な態度だと思いました。一方でまた、A者、特に大成建設さんの側から見ると、それまでの経緯を考えれば、もうなりふりかまわずこの仕事を取りに行かなければならなかった事情も重々理解出来るのです。 そもそも事業者であるJSCとしては、すでに前回案の設計に膨大な費用をかけているわけですから、やむを得ない仕切り直しにあたっては、これを無駄にしないで正々堂々とそれらの成果を生かせるような進め方をするべきでした。今回の騒動を見れば、「白紙撤回で再公募」という選択は、やはり結果的に間違っていたといわざるを得ないように思います。先日ザハ氏側が、「JSCから、残りの設計費用を全て支払うので、今回の著作権問題について今後一切発言しないように求められたが拒否した」と明らかにしていることからも、JSC側が、この問題の責任を自覚し、金銭的解決を図ろうとしているのがうかがえます。ここでまた国民の血税が使われようとしているのです。JSCはこの問題に関して、ザハ氏側と胸襟を開いた話し合いを速やかに行った上で、国民が理解できるようなきっちりとした説明をすべきではないでしょうか。