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2018.12.19
10月にあべのハルカスの展覧会を楽しんだ後、たまたま事務所で万博公園内施設の改修工事に係わることになったのを機に、久しぶりに万博公園を訪れ、事前に予約してあった太陽の塔の内部を見学することができました。
塔の周りのランドスケープは綺麗に整備されています
外観は少し汚れが目立ちますが、堂々の大迫力で訪れるものを迎えてくれます
内部のミュージアムへの見学は地下の入り口から入ります(写真中央左の黒い部分が玄関)
ミュージアムのアプローチにある案内版
ミュージアムの中は残念ながら写真撮影禁止となっていました。
入り口の銘板のロゴがちょっといい!
地下の出入り口から、地底の太陽のある展示室に入り、生命の樹を取り囲む階段(かってはエスカレーターでしたが、軽量化のため階段に替えられています)をゆっくりと登りながら、随所でコンパニオンの方の説明を聞くことが出来ました。撮影禁止なので紹介できないのが残念ですが、内部の様子は、前回Blogの「あべのハルカス美術館太陽の塔展覧会」での模型写真などを参照くださいね。 腕の部分まで登ると腕内部の鉄骨製の骨組みがあらわれます。かってはこの腕の中を通ってお祭り広場の上の展示空間にいけるようになっていました。しかしよくぞこんな、まさにべらぼうなものを太郎は考え、この国家的プロジェクトで実現することが出来たものです。 2025年の大阪での万博開催が決定しましたが、さて同じ大阪で今度はどんな万博にすればよいのか・・次の万博は、太陽の塔のような象徴としての「モノ」を中心にすえるのではなく、世界中から万博に参加する(バーチャルでも参加できる?)人々の間で、どのようなアクティビティー(「コト」)を生み出すことが出来るのかを、考えることから始まるのかも知れません。塔の裏側の黒い太陽
前の芝生ではライトアップの準備中
塔の廻りの樹木も塔と調和するように配置されているように見えます
平日にもかかわらず隣接のエキスポシティーは結構な賑わいでした
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2018.10.29
あべのハルカス美術館で開催されている太陽の塔展覧会。本物の太陽の塔はまだ見れていませんが、9月14日から始まったこの展覧会も早、終盤に。何とか時間をつくって駆け足で訪れましたが、展示内容は想像以上に力の入ったもので、たいへん刺激的な時間を過ごしました。写真撮影OKというのも嬉しい! 高校生の時に見たお祭り広場の光景はおぼろげながら記憶に残っていますが、当時太陽の塔の中に入ったことはなく、内部の展示の様子や、塔の両腕の部分がお祭り広場の屋根の展示空間につながっていた事などは全く分かっていませんでした。 会場に展示されていた精巧な模型を眺めていると、丹下健三設計のシステマティックな屋根を突き破って屹立する「ベラボーな」塔の奇怪な造形に込められた、岡本太郎の熱い情念に圧倒されます。 当時の地下空間の展示を再現したジオラマはどれも精巧で実に美しいもので、思わず近寄って、しばし見入ってしまいました。 太陽の塔の内部を説明する模型。生命の進化を表す「生命の樹」のディテ-ル、そのまわりを上昇してゆく階段(当時はエスカレーター)などが照明効果と共に分かりやすく表現されています。 下の写真は、この展覧会の目玉とも言うべき、初代「黄金の顔」の実物展示。仮設の足場の上から真近に眺めることが出来ます。修復後はステンレス板にスコッチフィルムを貼って作り直されていますが、展示されていたのは当時の鉄板製のもの。荒々しい手作りの造形の生々しさ、そのスケールの巨大さに驚かされます。施工中の現場写真も合わせて展示されていました。 当時、建設に際してデザインや技術的な検討を行う為に製作されたマケット(模型)の一つです。私の岡本太郎のイメージは「体育会系アーテイスト」。ランニング姿でエネルギッシュに太陽の塔の石膏原型を製作する岡本太郎のヴィネットが背後に見えます。結構リアルです! 両手を前に出して近寄るなと言っているかのような「ノン」(フランス語でノー)と名づけられた岡本太郎の作品。地下展示ゾーンに置かれていたそうです。世界から集められた仮面や神像が並ぶ展示空間に溶け込んでいたことでしょう。西欧のモダニズム(近代主義)やその裏返しとしての「日本調」の伝統主義にノーを突きつけ、万博を契機として、独自の新しいモノ(太陽の塔がその際たるモノですが)を想像しようとする岡本太郎の強靭な意志が伝わってきます。 岡本太郎最後の作品「雷神」。1960年代の作品が並ぶコーナーの一角に展示されていました。署名が無いので未完とされています。まるで絵心のあるやんちゃな子供が思うがままに描いたような若々しくエネルギッシュな作品です。 万博閉幕後行方不明となったままの「地底の太陽」ですが、塔の内部の修復と再生を機に復元され、ここではその原形が展示されていますが、ちょっと綺麗にまとまり過ぎた感も。
平日でも盛況の会場の様子。老若男女が興味津々です
カラフルな岡本太郎の作品が並ぶ会場の導入部分
48年の歳月を経て蘇った太陽の塔や、今日の日本や世界の状況を見て、岡本太郎は何を思うのでしょうか
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2018.08.27
小樽芸術村のもう一つの建物である「旧高橋倉庫」はステンドグラス美術館となっています。外壁は石造り、内部は木造という小樽に特徴的な建築の壁面一杯に、バックに照明を仕込んだきらびやかな色彩のステンドグラスが、展示されています。中央に吹き抜けを挟んだ空間構成で、様々な角度から作品を楽しめる様工夫が為されています。 観光客でにぎあう堺町通りは、小樽を代表するクラフト製品のお店が並んでいます。中でも硝子製品を販売する「北一硝子」は小樽を代表する老舗で、様々な種類の硝子製品を扱う複数の店舗と合わせ、美術館やカフェも開設しています。朝一番で「北一硝子3号館」にあるカフェ・レストラン「北一ホール」に立ち寄ると、早くも順番待ちの行列が出来ていました。 行列に並んだおかげで、開店前の一時、店内に167個ある!石油ランプ一つ一つに点灯する様子を見ることができました。お店の基本の灯りはこの石油ランプだけ!。100年以上も前、石油ランプ一つから北一硝子の歴史が始まったそうです。石油ランプの温かい灯りに満たされる窓の無いダイナミックな木造架構の空間。ちょっと懐かしい感じがする石油のほのかな匂いが漂う中、壁面一杯にディスプレーされたガラス製品や、正面の世界地図のオブジェを眺めながら、家内と二人、朝のスイーツを楽しみました。 さて、この日は積丹半島1周の絶景ドライブに出かける予定でしたが、生憎の雨模様。予定を変更して、余市の「ニッカウヰスキー余市蒸留所」を見学することにしました。
広大な敷地、豊かな自然の中にゆったりと各施設が配置されています
小さなとんがり屋根が連なる醗酵棟の建物
適切な火力を保ちながら石炭をくべるために熟練の職人技が必要になる、今では世界でも希少な「石炭直火蒸溜」が採用されている単式蒸溜器(ポットスチル)。上部の注連飾りに注目
手作りの樽の中でウイスキーを熟成させる貯蔵庫の一つはウイスキー博物館となっています。
貯蔵庫の奥行きは50M
NHKドラマの「マッサン」でお馴染みニッカウヰスキー創業者竹鶴政孝の愛妻の家「リタハウス」
余市蒸溜所の正門を敷地内から見たところ
ウヰスキーの製造工程の見学と、試飲等も出来る蒸溜所ガイドツアーが30分毎に実施されていました。何と90分のガイドツアーが無料。私たちの班は、ニッカウヰスキーの今年の新入社員で研修中という初々しい女性が案内してくれましたが、研修中とは言え、なかなかどうしてどうしてその名ガイドぶりに感心することしきり。創業者の夢と情熱を受け継ぎ、本物のモルトウヰスキーづくりの過程とその奥深い魅力を、訪れる人々にきちんと伝えようとする熱意に感じ入りながら、たいへん興味深い時間を過ごしました。運転手のため試飲が味わえなかったのが残念!!カテゴリ:
2018.08.24
明治後期から昭和初期にかけての小樽港大繁栄の時代に次々と建てられた欧風意匠の建築群。誰が名づけたのか「北のウォール街」と呼ばれるエリアです。
日銀通りと呼ばれる道沿い、明治45年(1912年)竣工の「旧日本銀行小樽支店」を筆頭に銀行建築が建ち並びます。
これぞ「旧日本銀行小樽支店」。現在は金融資料館になっています
こちらは小樽バインというワインのお店が入る「旧北海道銀行本店」
「旧三井銀行小樽支店」は「小樽芸術村」の建物のひとつとして内部が公開されています
「小樽芸術村」は北海道で生まれ育った㈱ニトリホールディング(家具のニトリ)の似鳥昭雄会長が開設。「旧北海道拓殖銀行小樽支店」、「旧三井銀行小樽支店」、「旧高橋倉庫」、「旧荒田倉庫」の4棟を利用してそれぞれの建物にその時代を彩ってきた日本や世界の美術品、工芸品が展示公開されています。。「旧北海道拓殖銀行小樽支店」は「似鳥美術館」とアールヌーボーとアールデコそれぞれの時代のグラス作品や家具が展示されている「アールヌーボー・アールデコグラスギャラリー」があり、なかなかに見応えのある施設に生まれ変わっていました。「似鳥美術館」の一角に展示されていた岡本太郎氏の作品。左側の4点は
「座ることを拒否する椅子」
「旧三井銀行小樽支店」は銀行時代の営業室がリニューアルして公開されており、一部の部屋では浮世絵展が催されていました。日本が欧風建築の意匠を取り入れて建てた建築空間で、逆に日本発で世界のアートに大きな影響を与えた浮世絵の展示というのも面白い企画ですね。 この建物は地上2階建て(地下1階)ですが営業室全体がほぼ2層吹き抜けとなっている贅沢なつくりです。2層吹き抜けの天井を利用してのプロジェクションマッピング。映像が刻々と入れ替わり幻想的な雰囲気です
地下にある金庫室の出入り口。堅牢なつくりの扉が大迫力です
(続く)
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2018.08.21
お盆休みは酷暑の大阪を脱出し、一昨年に引き続き再び北海道へ!一昨年は高校から大学まで一緒の相棒Y君と、愛車ハーレーダビッドソンに跨り、北海道一周3,000キロの駆け足ツーリングを敢行したのですが、今回は妻とゆっくりレンタカーでのんびり熟年旅行です。その中でも一番印象深かった小樽の街の様子を追々紹介していきます。 かって明治後期から昭和初期にかけて北日本有数の貿易港として栄えた小樽。海を埋立てて一部の海面を残して築造した「小樽運河」。運河に面して建ち並ぶかっての倉庫群は外観は当時のままで、内部は店舗などにコンバージョン。改めて運河の一部を埋めたてて遊歩道が整備され、夜間はガス灯の幻想的な光で水面に映えるレトロな建築群が浮かび上がります。 海運、銀行、商社等一流企業の支店が建ち並び、かっての街の興隆ぶりを今に伝える「北のウォール街」の一つ一つが個性的なモダン建築群。これらの建物も内部は、資料館や美術館、博物館、レストラン、観光案内所などとして再生されています。 そして、オルゴールやガラス製品、有名店のスイーツ等、小樽ならではのショップがお目当ての観光客で大賑わいの「堺町通」。 古き良き繁栄の時代の遺産を見事にリニューアルして再生し、小規模ながらその独特の街としての魅力で世界中から観光客を集め続ける小樽の街は、スクラップ&ビルドではない「歴史を次世代に繋げていく」まちづくりの先駆的事例であり、成熟した日本の文化を感じさせてくれます。
小さな遊覧船に乗り込み40分の小樽運河ナイトクルーズです
ブリッジの下をくぐって、遊覧船はしばし小樽港方面へ向かいます
かって小樽港に着いた船から運河沿いの倉庫まで物資を運んだ「艀-はしけ」が残っていました
遊歩道の無い北側の運河は当時のままの巾で残っています。明るい灯火は現役のイカ釣り船
淡い灯りの中、当時のままの姿で浮かびあがるのは「北海製罐小樽工場倉庫」
遊覧船に乗り込む前に降りだした雨も何時しかあがり、爽やかな海風を感じながらの40分のクルーズは小樽観光の定番コース。 案内役のガイドさんの説明に耳を傾け、河岸で運河を眺める人々やすれ違う遊覧船に手を振りながら、刻々と移り変わる眼前の風景を楽しむ満員の船内は、あちこちで子供のような歓声に満ちていました!! かっての鉄道の線路がそのまま残っている「旧手宮線」沿いの遊歩道に沿ってしばらく歩くと、なにやらどこかで見たことのあるようなモダン建築が現れました。昭和27年に小樽地方貯金局として建てられた建物を活用した市立小樽文学館・市立小樽美術館です。この建築のことを少し調べて見ると、設計は当時の郵政省建築部長だった小阪秀雄氏で、その後の「日本の公共建築の基本形」となったと言われているそうです。昭和28年生まれの私ですが、この建物を人目見たとき感じたデジャブ(既視感)の理由が分かったような気がしました。外壁の一部が汚れたまま無造作に建っていますが、昭和の小樽を代表するモダニズム建築です。階段室の大きなガラス窓は、当時としては思い切りモダンに感じられたことでしょう
高く伸びたシャフトに階段が取り付く妻側ファサードは美しいプロポーションです
内部からの階段越しの眺め。スウェーデン芸術祭が開催中でした。
(続く)
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2018.03.12
お正月の休みを利用して、四国松山を旅しました。遅ればせながらのご報告です。道後温泉で有名な松山は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」で描かれた正岡子規と松山兄弟が生まれ育ち、また「坊ちゃん」の著者である夏目漱石が松山中学校の英語教師として赴任していた地でもあります。松山市では、彼らゆかりの施設や場所を整備し、それらを有効活用しながらのまちづくりが進められています。その中心となるのが、平成19年に開館した「坂の上の雲ミュージアム」です。 上に行くほどせりあがったガラスのカーテンウォールが特徴的な外観。建物の平面は三角形なのですが、外から一見しただけではそうとは分かりません。恥ずかしながら、実は私、この建物の設計者が誰であるかを知らずに訪れたのですが、ファサードを見上げた第一印象は、どこか大手の組織設計事務所の若手が少し気合を入れて設計したのかな?くらいに思っていました。
露地状のアプローチを見返す
玄関は入ってすぐのホール
少し傾いた塀とガラスの手摺に挟まれた露地状のアプローチを通ってホールに入ると、上部にスロープと空中階段を大胆に配し、傾斜したコンクリート打放しの壁面に挟まれた吹き抜け空間が現れます。 最上部のスリット状のトップライトからは引き締まった光が降り注いでいます。 これはひょっとして・・・そうです。安藤忠雄さんの設計でした。上階へ向かうスロープ。奥に見える階段は主として下階へと降りていく時に使われます
来訪者は、3角形の平面の外周に配されたスロープを歩きながら、それにつながる各展示室を巡るようになっています。3Fから4Fへ向かうスロープの壁面には、産経新聞に連載されていた「坂の上の雲」
の紙面が、びっしりと並べられています。
建物の構成を、言葉で説明するのは中々難しいので、以下にパンフレットのコピーを掲載しておきます。 2階には書籍が閲覧できるライブラリーラウンジやミュージアムカフェ、3階から4階にかけて、3つの展示室があり、それぞれのテーマで「坂の上の雲」の世界が表現されています。「坂の上の雲」で描かれた時代背景を紹介する最も開放的な3階「展示室1」
右側の壁面に沿って、緩やかに上ってゆくスロープが見えます
展示室1のカーテンウオール越しに見える洋館は、同じ敷地内にある「萬翆荘」bansuisou 。
旧松山藩士の子孫である久松伯爵の別邸として建築。国重要文化財に指定されているそうです
変化に富んだ建築空間を体験しながら、スロープ(坂道)を主とした回遊動線をゆっくりとたどり、それぞれ趣向を凝らした展示空間で、各々のテーマごとに「坂の上の雲」の世界を楽しめるようになっています。写真でも分かるように、展示室の面積に比して、吹き抜けやスロープ、空中階段などを含む共用空間に充分なゆとりがあり、建物全体が安藤流ミュージアムといえます。 帰りぎわにインフォメーションカウンター付近に立ち寄ると、サイン入り色紙が2枚飾ってあったので、誰のものなのか係の方に訊ねると、一人は竹下景子さん、もう一人は隈研吾さんですよ、と嬉しそうに教えてくれました。2枚の内の1枚が隈さんのサイン入色紙とは少し意外でしたが、新国立競技場のコンペに勝って一挙に知名度アップされたのかも知れません。建築と関係のないプライベートな友人に、たとえば槇文彦さんや伊東豊雄さんといった私が尊敬する建築家の話をしたくて尋ねてみても、残念ながらその名を知らないことがほとんどで、寂しい思いをすることがあります。日本での建築家の社会的な認知度はまだまだ低い (それはもちろん建築家側の責任ですが)・・・そんな中で、竹下景子さんと並ぶ隈研吾さんの色紙を見て、少し嬉しく思いました。カテゴリ:
2017.11.28
2017年11月18日から12月3日まで行われている平等院のライトアップ。平成の大修理後はじめての夜間特別拝観で、境内の紅葉と国宝・鳳凰堂が鮮やかに浮かびあがります。つたない写真ではありますが、荘厳な雰囲気を少しでも感じていただければ幸いです。
18時の拝観開始を待って黒山の人だかり
池越しに望む幻想的な鳳凰堂全景
中央に鎮座する阿弥陀如来坐像が鮮やかに浮かび上がります
側面、池にかかる橋越しに望むちょっと現実離れした風景です
池に映りこむ橋の優美なシルエット
ライトアップされた紅葉の向こうは「ミュージアム鳳翔館」
少しだけ拝観者が少なくなった帰路で、ゆっくりと紅葉が楽しめました
おまけですが、すぐそばにあるスターバックス。こちらの庭園も見ごたえ充分。
庭園につながる店内からの眺めも素敵でした
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2017.11.16
孫の七五三のお祝いで名古屋に出向いたついでに、翌日岐阜まで足を伸ばし、伊藤豊雄さんの近作である「みんなの森 ぎふメディアコスモス」を訪れました。 「みんなの森 ぎふメディアコスモス」は、1階に市民活動交流センター・多文化交流プラザ等のコミュニティー施設と展示ギャラリー、2階は市立中央図書館からなる複合施設です。 以前に紹介した「仙台メディアテ-ク」と同様、設計コンペティションで伊藤豊雄さんの事務所が設計者に選ばれました。 1階の模型コーナーでは、隣接して建設される予定の岐阜市新庁舎の模型が一緒に展示されていました。調べてみると、新庁舎の方は伊藤さんの設計ではないようで、曲線を使った柔らかい印象ではありますが、模型を見る限り、比較的オーソドックスな庁舎のように見受けられました。 「みんなの森 ぎふメディアコスモス」は平面的にはシンプルな矩形の2階建ですが、2階部分の屋根には、多数の大きさのちがう「こぶ」のようなものが、まるで何かが湧き出たように、ぼこぼこと盛り上がっているのが分かります。
1階エントランスホール。写真中央左側に2階図書館へ上がるエスカレーターが見える。
天上からふりそそぐ光に導かれて2階へと登るエスカレーターとエレベーター
2階図書館の木で組まれたうねる天井。華奢なサイズの鉄骨柱が荷重を支えています
1階に展示されている2階天井木組みのモックアップ。ファブリックのような軽やかな架構です。薄い木材が層状(3層)に組まれているのがわかります。木材は岐阜県産の「東濃ヒノキ」 模型で見た屋根の盛り上がりの正体は「グローブ」と呼ばれる空間。トップライトのある頂上部から、光を通すファブリックで作られた大きな傘のようなものが、いくつもぶら下がっています。「グローブ」の下はそれぞれテーマや役割を与えられていて、利用者は「グローブ」の間を自由に移動しながら、思い思いに好きな時間を過ごすことが出来ます。よく見るとファブリックの模様は「グローブ」ごとに全て異なっているのが分かります。大きなグローブに囲まれてゆっくり読書が出来る場所。
「ゆったりグローブ」と命名されていました。
図書館全体は一つの街のようなオープン空間ですが、その中に「グローブ」でゆるやかに分節された小さな空間が用意され各々に機能が与えられています。閲覧スペースとなっているグローブでは、それを取り囲むようにグローブの役割に関連した書架が放射状に配置されています。来訪者は、大きな空間の中で自分の好みの居場所が見つけやすく、グローブの傘の下に身を置くと、適度な囲われ感の中で、上部からの拡散した穏やかな光や緩やかな空気の流れ、かすかな天井材の木の香りなどを感じながら、実に気持ちのよい時間を過ごすことが出来るのです。 うねる天井と頂部が盛り上がったグローブの形状にはちゃんとした理由があって、館内の空気の循環をスムーズにする目的があるようです。グローブの頂部には換気口があり、夏はこの換気口を開いて熱い空気を外に排出し、冬場は閉じて暖かい空気を逃がさずに館内で循環させるようになっているとの事。この当たりは、自然エネルギーを出来るだけ効率的に利用し一次消費エネルギーを削減するために、高度なシュミレーションが繰りかえされたであろうと推察します。 「光や風などの自然そのものをデザインに取り込みたい」とは、伊藤氏の最近の著書 「「建築」で日本を変える」―集英社新書 の中での言葉です。 あるべき空間の明快なコンセプトと、それを形にするための発想の新鮮さ、そしてそれを可能にする確かな技術力が合わさって始めて可能になる空間に感銘を受けました。 最近の建築雑誌の記事によれば、上記の木組み天井と屋根との間の空気層に水分が溜まり、図書室内への水漏れが発生しているそうです。空気層の中のグラスウールの水分が結露したと考えられること、また複雑な屋根形状のため手作業で屋根鋼板を施工した箇所に漏水が認められたこと、などが原因とされています。現時点では、屋根上に送風機を設けて、空気層の部分に風を送り込むことで改善されてきているとの事です。 やはり前例の無い新しいことに挑戦すると、想定外の事態が起きることもあるのでしょう。雨漏りは決して許されることではないですが、この木組みのうねる天井が、これだけ快適でユニークな空間を生み出すことに成功しているのですから、運営に携わる皆さんも市民の皆さんも、あまり目くじらをたてずに、どうか寛大な眼で見守っていって欲しい...建物を造る側の人間として、勝手ながらそう思いました。カテゴリ:
2017.10.31
竹橋にある東京国立近代美術館で、平成29年10月29日まで開催された展覧会「日本の家-1945年以後の建築と暮らし」。日本建築家56組による75件の住宅建築が、時系列ではなくテーマ(系譜)ごとの展示になっています。ローマ、ロンドンでも開催され、好評だった本展が最後に東京にやってきました。 メデイアでもそのユニークな内容が度々紹介されており、これは見逃せんな!ということで、急遽いそいそと東京まで出向きました。 東京メトロ東西線の竹橋の駅をおりると、近代建築の名作「パレスサイドビル」が目に飛び込んできます。白い円形のコア部分と黒っぽいオフィス部分との対比が鮮やかです。 美術館は皇居に近い北の丸公園にあり、道路をはさんですぐ向かいには石垣に囲まれたお堀があり、江戸城跡もすぐそばです。お堀の向こうには高層ビル群が望めて、まさにこれぞ東京!というロケーションです。 東京国立近代美術館は、谷口吉郎氏の設計ですが、2001年に坂倉建築研究所による増改築、2012年には開館60周年を向かえ、大規模なリニューアルが行われたそうです。本館の外観は、谷口氏らしい端正なモダニズム建築ですが、両妻側にすこし突き出して設けられた壁が、日本家屋の「うだつ」を連想させてくれます。正面のボックスが浮いたような横長のプロポーションと、その中にバランスよく配された開口部がスマートで格好いいですね。 展示は、1.イントロダクションから始まり、2.日本的なるもの、3.プロトタイプと大量生産、4.土のようなコンクリート、5.住宅は芸術である、6.閉鎖から開放へ、7.遊戯性、8.感覚的な空間、9.町家:まちをつくる家、10.すきまの再構築、11.さまざまな軽さ、12.脱市場経済、13.新しい土着:暮らしのエコロジー、14.家族を批評する、という13のテーマに分けて展示されています。時系列ではないので、同じテーマに新旧建築家の作品が並んでいたりします。建築の展覧会によくある作品主義、作家主義的な展示ではなく、住宅という万人に身近な建築を、様々な多角的視点から掘り下げて考察しようとする企画者の姿勢に共感できました。 注目すべきは、いくつかの住まい手のインタビュービデオが上映されていたことです。設計者の手を離れた後の、実際に住まう人の言葉を聞くことが出来るのは貴重な機会であり、人それぞれの住まいについての考え方に感銘を受けました。 ローマ、ロンドン、東京各都市で人気を博したのもうなづけます。 そして、展示の目玉はなんと言っても清家清氏設計の「斎藤助教授の家 1952年」の原寸大模型でしょう。今は取り壊されているこの住宅の竣工時の資料や解体前に撮影された写真などを参考に、建築の主要な部分がほぼそのまま、実物大で再現されています。私の生まれる1年前(65年前です!)に建てられたこの小住宅ですが、なんとモダンで伸びやかなことでしょう。 縁側、居間、食事室、和室が一体につながり、南面には巾9メートルを越える開口部が設けられています。障子を閉めると一転心地よい内部空間に。キャスターのついた可動式の畳や、一部が両面から使える居間と食事室を仕切るキャビネット(これは原物との事です!)などの仕掛けが楽しいですね。 当時の写真をよく見ると、建物の左の方の基礎がなく建物の一部が宙に浮いているように見えます。いわゆるキャンティレバーという構造形式ですが、既に建っていた住宅の基礎をそのまま利用してこの住宅が造られたそうなのです。コストを抑えるためか、記憶を繋げるためなのか、あるいは作者の遊び心なのかは定かではありませんが、いずれにせよ、地面からいくらも離れていない基礎部分でこの技を使うとは、なかなかユニークな発想だと思いました。 この原寸模型のおかげもあり、期間終了間際のこの展覧会は結構な盛況です。すぐ下の写真で、原寸模型の正面両側に青い色の壁が見えますが、ここに雨戸が納まっており、この雨戸の後ろの壁が、この住宅の9メートルを越える開口部を可能にするための耐震壁の役割を果たしています。
以下は、特に印象に残った住宅を紹介します。
白の家1966-篠原一男
「住宅は芸術である」の言葉で有名な篠原一男の作品。壁面一杯の写真がまるでその場に居るような気分にさせてくれました。中央の丸柱が象徴的です。 同じ作者の作品であるコンクリート住宅である「上原通りの住宅1976」に住む施主のインタビュービデオが上映されていました。「篠原先生はとても物腰のやわらかい女性的な人」「設計中の先生との会話はとても少なかった」「居間に立ちはだかる斜めの柱を邪魔だと思ったことはない」などのお話が印象的でした。中野本町の家1976-伊東豊雄
いまや日本を代表する建築家である伊東豊雄氏の初期住宅作品。円環状の空間が中庭を囲んで流動的につながっています。テーマは8.感覚的な空間の中の一品です。スカイハウス1958-菊竹清訓
大学の大大先輩でもある菊竹清訓氏の30歳の時の作品。4つの壁柱で主室(夫婦二人のためのワンルーム)が空中(2階)に持ち上げられています。「ムーブネット」と名付けられたキッチンや水廻り、収納は移動可能で、家具の配置と合わせて自在に空間構成ができるようになっています。この模型は、なんと主室の下に子供部屋がぶら下げられています。あくまで主室は夫婦のための空間というコンセプト。ここでのテーマは、14.家族を批評する。T-House2005-藤本壮介
右側のダイアグラムと模型とを並べてみました。扉の無い部屋が重なってつながる平屋の住宅です。家族は4人とのことですが、各部屋にはしっかりと役割が与えられ、壁の片面は白いペンキ仕上げ、その裏側は木の素地仕上げとなっています。各々の居場所からどんな景色が見えるのか体験してみたくなります。そしてどこに居ても、近くても遠くても、見えても見えなくても、家族の気配が感じられることでしょう。開拓者の家1986-石山修武
コルゲートパイプで出来たこの家は、設計者から送られてくる図面を基に、施主がほぼ自力で施工したというから驚きです。インタビュービデオにも登場しているこの施主は建築が専門ではなく農業を営んでいるそうです。しかも1976年の24歳の時につくり始めて以来、今日まで40年に亘って手を入れ続けているとの事。テーマは12.脱市場経済。天神山のアトリエ2011-生物建築舎
これはガラス屋根で覆われたコンクリートの箱で出来たワンルーム。居住スペースもあることはあるが、ほとんどは設計事務所のオフィスとして使われています。土間は土のままのようであり、室内に大きなユーカリの樹が植えられています。作品のそばでは、ひたすらこの場所での時の移ろいを淡たんと写したビデオが静かに上映されていて、思わず見入ってしまいました。おおらかにあるがままの自然を受容する家。 月並みな言い方をすれば。住宅は建築設計の原点です。大学の設計実習でも住宅は一番最初の課題でした。この展覧会に登場している建築家で言うと、当時建築学科の講師をされていた石山修武氏の指導を受けたことがあります。当時バンド活動に熱中していた私は、課題の作成に十分な時間をとることが出来ずに、しかたなく泥縄でおざなりな案を提出し、しどろもどろになりながらも何とかとりつくろって石山氏の前で説明したところ(一人一人が石山氏の前で自案のコンセプトを説明する授業でした)、石山氏は私の欺瞞をすぐに見抜かれたのでしょう、ほとんどコメントらしいコメントもしてもらえず、恥ずかしい思いをした記憶がよみがえります。 本展のテーマ4.土地のようなコンクリート で紹介されている東孝光氏の「搭の家」は、その頃、青山辺りで遊んだついでに何度か立ち寄って前からしげしげと眺め、あの荒々しいコンクリートの肌合いと、東京のど真ん中6坪の土地で何としても都市にすまうんだというその強靭な意志に感銘を受けたものでした。後年、大阪出身の東氏は「大阪市ハウジングデザイン賞」の審査員をされていたことがあり、私の設計した作品をいくつか見ていただく機会がありました。1997年に賞をいただいたRE-SOUL清水谷の審査の折には、当時雑誌で紹介されていた東氏の事務所のデスクレイアウトを参考にした私の事務所にも立ち寄っていただきました。その折はゆっくりとお話する時間もなく「では田中さん、またあらためて!」と言い残し、急いで次の審査に向かわれたのですが、以後お会いすることが出来なかったことが残念でなりません。 少し話がそれましたが、日本の建築家は住宅の設計からそのキャリアをスタートさせることが多いようです。私の場合も独立して最初の仕事が住宅でした。当時の私はクライアントの要望を形にすることに必死でしたが、建築家の姿勢次第では、住宅設計を通じて、家族のあり方、時代や社会、環境との関わり方、あるいは新しい素材や構法等について、ラディカルな提案を行うことも可能であり、そのためにはクライアントとの対話を繰り返して、住まいについての考え方をしっかりと共有することができるか、あるいは、とにかく始めからクライアントの全幅の信頼を得た上で設計をスタートさせるか、のどちらかが必要だと思います。大雑把に言うと、設計実績の少ないうちは前者、ある程度実績が出来てくると後者かと思いますが、そういった志の高い建築家の思いが詰まった住宅が、本展で特徴的なテーマごとに取り上げられているというわけです。 もちろん住宅への住まい手の思いは切実ですから、住宅設計を手掛けるには私達にもそれなりの覚悟が必要です。「クライアントの思いに負けず」に、「クライアント以上に考えなくてはいけない(プロの目で)」のです。だからこそ住宅設計はたいへんですしやりがいもある。住宅設計を通して、これからの「住まい」や「建築」の本質を見出した中から、先進的な考え方を提示することが出来れば、設計者冥利につきるというものです。もちろん「クライアントファースト」であることは忘れずに。カテゴリ:
2017.08.24
お盆休みを利用した東北旅行で、かねてから行ってみたかった伊藤豊雄氏設計の仙台メディアテークを、ようやく訪れることが出来ました。 東日本大震災で打撃を受けた内装も復旧されており、お盆休みの最中の土曜日でしたが、仙台市民の皆さんが気軽に立ち寄れる図書館やアートギャラリーなどを含む複合的公共施設として、朝から賑わっていました。
1階ロビー越に仙台市のメインスストリート定禅寺通りのけやき並木が望めます。
何と言っても特徴的なのは構造形式です。一見するところ柱も梁も見当たりません。柱の役割を果たしているのは、白い鋼管トラスでつくったチューブ状の独立シャフトです。平面的にアットランダムな位置に合計13本が配置されていて、チューブの中身はエレベーターや階段、設備シャフト等、各階を縦につなげる用途としてそれぞれが利用されています。チューブの最上部からは空からの光が降り注ぐという斬新な構造体です。 床はと言うと、梁の無い鉄骨フラットスラブ(ハニカムスラブ)というもので、鋼板のサンドイッチ構造となっているので、フラットな天井が伸びやかに広がっています。 このまるで樹木のようなチューブ状のシャフトとフラットな天井の他には、壁や仕切り等はほとんど無い空間。それは、伊藤豊雄氏の言葉を借りれば、「公園のように、自分の好きな場所を選んで自由に過ごすことが出来る空間」です。チューブの中の黒い部分は設備シャフトとなっています。
1階ロビーにあるカフェスペース。中央が盛り上がったテーブルがユニークです。
このチューブの中には階段が納められています。
2階~4階は仙台市民図書館となっており、開館前からたくさんの市民の皆さんが列をつくっていました。写真撮影に興じていると、昨年の富山のキラリに引き続き、ここでも図書館の係りの方に呼び止められ、1階の受付で写真撮影の許可を受けてくださいとの事。急いで1階の受付まで降りて、カウンター内の女性に「すみません。写真撮影の許可をいただけますか~。実はもうたくさん撮っちゃったんですけどねぇ・・」と御願いすると、女性は私をとがめることもなく、ただ「アッハッハッハ~」と高笑いしながら、注意事項を書いた紙と撮影許可のバッチを手渡してくれました。富山のキラリに比べてずいぶんと大らかな対応に、昨年同様少しだけムッとしかけていた気持ちが和らぎ(笑)、以後は心置きなく撮影に励むことが出来ました。(もちろん一般の方々に不快感を与えるような撮り方はしていませんので念のため)フラットな天井と白いチューブの空間に開架式の本棚が並ぶ様は圧巻。
天井から吊り下げられた照明器具が天井を照らし、柔らかな光に満たされます。
こちらはエレベーターのあるチューブの出入り口。
この建物で唯一の原色である、チューブを囲む家具の鮮やかな赤が眼に飛び込んできます。
外周は透明な皮膜で覆われています。
1階へと下るエスカレーター。正面ガラスの向こうには定禅寺通りが見えます。
これ以上ないくらいに明快なコンセプトと、それを可能にする確かな技術力。このユニークな構造設計を担当したのは佐々木睦朗さんという構造家。構造設計者はあまり表に出ることは少ないのですが、この建築での佐々木氏の役割はとても大きくて、建築を創り上げていく上で、意匠と構造の理想的なコラボレーションがここに実現していると言えます。 コンペで選ばれたこのメディアテークですが、当初はクライアントである仙台市に理解してもらうのはたいへんだったようです。チューブ状の柱はフロアの邪魔になる、効率が悪いなどとずいぶん非難されたとの事。ところが工事が進んで建築が形になり始めると、役所の方も施工会社も反応が変わってきて、「今まで見たことのない新しいものを自分たちはつくっているんだ」という自負心が生まれ、つくることを共有できるようになったそうです。つまり建築はコミュニケーションの場を提供するのではなく、建築をつくることそのものがコミュニケーションであり、そこにコミュニケーション空間があるのだ(PHP新書:日本語の建築-伊藤豊雄著-より)と伊藤氏は述べています。 特に東日本大震災を経験した以後の設計作業で、自主的にワークショップ等を開催するなどして、その建築に関わる地域の皆さんの意見に耳を傾け、垣根の無いコミュニケーションの中から、みんなで一緒に建築を創り上げていくことに意義を見出そうとする伊藤建築の原点が、この仙台メディアテークにあるように思いました。