本福寺(水御堂)探訪

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2021.08.16

  建築後30年となる本福寺(水御堂)。建築に関わる人なら、楕円形の蓮の池の中央を切り裂くように階段が降りていくこの写真が、記憶にある方も多いのではないかと思います。 安藤建築の小品である真言宗のこのユニークな寺院は、淡路島の小高い丘の上にありました。      

寺院の正面から右に折れてアプローチしていくと直線的なコンクリートの壁が立ちはだかります。

    壁に穿たれた開口部より中に入ると、今度は曲面のコンクリート壁が。砂利が敷き詰められた2つの壁の間の空間は、俗から聖へと移動する際の中間領域のような静寂な空間でした。            

曲面の壁に沿ってぐるりと回りこむと、コンクリート製の蓮の池が眼前に現れます。

        吸い込まれるように地下へと続く階段を下りて、いよいよ御堂へと向かいます。 階段を下りると案内係の方が迎えてくれて、ここで拝観料を納めて内部へ。内部の御堂は一転朱塗りの空間で、木の柱のグリッドと格子のスクリーンで外陣と内陣が設えられています。 ここへ来て初めて、ああここはお寺なんだ!と改めて認識させられます。 西側の光庭によって、内陣の後方から午後の光が差し込み、この朱色の空間がさらに荘厳に感じられるよう企図されています。残念ながら御堂内部は撮影禁止でした。      

西側の光庭から差し込む光

      写真では分かりにくいのですが、グリット状の本堂を包む壁は円形、さらにその外側はコンクリート製の正方形の壁が囲んでいて、その上部に楕円形の蓮池が乗っています。単純明快な幾何形態の組み合わせで空間構成する安藤流の手法がここでも見られます。           案内の方の特別のはからいで隣接する和室の集会所も見せていただいたので、感謝の気持ちを込めて記念撮影。天井一杯の巨大な障子を開けると、敷地の緑と、何故かコンクリートの十字架?が目に飛び込んできます。 「30年を経ても綺麗に保たれていますね」と案内の方に声をかけると、「最近安藤さんから頼まれてコンクリートの改修工事をしたんです。費用はぜんぶこっちもちですけどねぇ」 「こっちもち・・そりゃそうでしょ!」と言いたくなるのをグッと呑み込んで(笑)建物への愛情とメンテナンスの大切さを思いながらこの御堂をあとにしました。      

見学を終えて両側の壁に囲われた階段を上ると視界に入ってくるのは青空のみ

      2枚のコンクリートの壁によって日常世界から隔てられた蓮の水盤が育む時の流れを抱合した静寂。水盤の下に密かに構築されているさらなる異空間としての朱塗りの御堂。この場を訪れることで、日頃のあわただく煩雑な日常から段階的に心がリセットされていくのを感じました。 安藤氏の目指した寺院建築とは、ただ寺院を訪れ奥に鎮座する仏様に手を合わせて終わるだけではなく、まさに建築空間そのものが生み出す「時と場の力」によって、より深く聖域(釈迦がいざなう仏の世界)というものを感じ取る中で、人のこころを開放し昇華させるものだったのでしょう。 特にこのコロナ禍の中、ぜひ一息ついて訪れてみる価値のある建築でした。   最後にかってこの建築が掲載されていた雑誌「新建築1992年7月号」より、30年経った今でも特に共感できる安藤氏の言葉を抜粋しておきます。 (安藤氏によれば、蓮は悟りを開いた釈迦の姿を象徴していると言われているそうです)   この御堂も年月が経てば、やがてコンクリートは風化し、蓮池は生い茂る木々で埋もれていく。しかし、夏がやってくればそこには蓮の花が一面に開花し、この場所が聖域であることを人びとの記憶に呼び覚ます。現代建築を犯している刹那主義が一時のきらびやかさだけをひたすら競うのに対して、姿を変えながらも、記憶の中に延々と持続する建築をつくりたいと思う。 (安藤忠雄)  

<2021年8月15日・了>

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