瀬戸内歴史民俗資料館 探訪

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2020.12.11

  かねてより行ってみたかった瀬戸内海歴史民俗資料館。11月始めの連休、かのGO TO トラベルもささやかに利用して、高松市郊外の高台に建つ知る人ぞ知るこの名建築を訪ねました。1973年完成のこの建物の設計者は、当時香川県建築課の課長だった山本忠司。丹下健三設計の香川県庁舎の建築に関わったこの人物は、瀬戸内海を望む五色台の小高い丘の上に、その地形になじんで地を這うように建つ平屋建築を実現しました。 高低差7メートル。自然を残した中庭を囲んで、8m×8mのユニットを基準としてその倍数のサイズを組み合わせ、各々に分節された展示室が屋外空間と一体となりながら、回廊状に繋がっていく構成は博物館建築としては斬新なものであり、また何より、この五色台という場所に根付いた「地域主義」の建築として秀逸です。       建物正面の全景。杉型枠のコンクリート放しと、石積の外壁との対比で構成された平屋建て。写真左側の方では瀬戸内海への視界が開けています。       建物入口にあるピロティ―。現地の基礎工事の際にダイナマイトで破砕した地場の安山岩を、お城の石を積むかのように、少し傾斜した外壁に張り付けた展示室の壁面が見えます。       玄関ホールに展示されていた模型。中庭を取り囲むように分節した平屋の部屋が配置されている様子がよく分かります。           屋外空間と絡めながら、レベル差のある地形に沿って、何段もの階段で展示室が連結されています。今の時代であれば、人にやさしくあるべきというバリヤーフリーの観点から、絶対に実現することのない建築と言えるでしょう。現在同じ敷地でこう言った建築を構想するとすれば、レベル差を処理するのにスロープを使用したり、あるいはある程度まとまったフラットな空間にまとめたりして、全く違った建築になるのかも知れません。しかしながら、建築が決してそれ自身だけでその存在を主張することはせず、建った後も変わらずその場所と一体化して自然に在り続けている姿は、建築の一つのあり方として、これからも訪れる者に訴えかけていくことでしょう。       岩場や植栽などの自然を残した中庭に配された回遊導線。建物の内外を順次めぐりながら、各室の展示を楽しめるようになっています。       中庭から第一民俗収蔵庫(石張りの部屋)方向を望む。竪樋は設けられておらず、屋上からの雨水はコンクリート製のガーゴイルから自然に流れ落ちるのに任せる設計です。       中庭よりガラス張りの中央展示ホール(現在は閉室中でした)を望む。左手に見える大きな石張りの壁面が一番大きな第一展示室(こちらも閉室中)。       第一収蔵庫の屋上に設けられた展望台に上る階段です。コンクリートの列柱の手摺は神社の玉垣をイメージしたものだそうですが、建物の解説パンフによれば、幾分施工者泣かせであったとか。瀬戸内海の眺望への期待感が高まるアプローチです。形状や大きさ、色調の事なる外壁の石積が、一つ一つ異なる表情を持っていて、思わず見入ってしまいます。           展望台に上ると360度の絶景が広がります。地域の生活の営みの歴史を丁寧に記録し、この場にしっかりと根ざした建物の屋上から眺める瀬戸内海はより印象的でした。機会があれば海側からの遠景もぜひ見てみたいものです。         赤と白の灯台のある少し離れた場所からの風景を目に焼き付けて、この建物を後にしました。中央ホールと第1展示室~第4展示室は令和3年3月19日まで閉室の予定となっていましたが、ぜひまた全館をじっくりと見れるようになれば、再訪したいと思っています。       この日の夜は高松市内に宿泊。同じ山本氏設計の有名な郷土料理の店「まいまい亭」を訪ねました。予約なしで飛び込みだったにもかかわらず、心よく迎え入れてくれた女将さんから、かってこの店に足しげく通ったという流政之やイサムノグチが好んだ料理の説明を聞きながら、美味しく楽しい夜を過ごしました。  

<了>

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ザ・バンドーかって僕らは兄弟だった

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2020.12.03

  ザ・バンドの誕生から「ラストワルツ」の解散コンサートまでを、バンドの中心メンバーのギタリスト、ロビーロバートソンの視点から描いたドキュメンタリー映画「ザ・バンド かって僕らは兄弟だった―ONCE WERE BROTHERS  ROBBIE ROBERTSON And THE BAND」を見に久しぶりに映画館へ。夕刻の梅田シネ・リーブルの小さな箱には、勤め帰りと思しき音楽好きが若干名。1960年代の後半から1976年の解散コンサートまでの短い間活動した、いぶし銀のようなロックバンドのドキュメンタリーとなれば、おそらく客は私と同世代ばかりかと思いきや、比較的若い世代も交じっていたのが嬉しい。 製作総指揮の一人は、映画「ラストワルツ」を監督したマーティン・スコセッシ、監督と共同編集は若手のダニエル・ロアーで、コンサート映像やメンバーやバンドと関わりのあるミュージシャンのインタビュー映像を交えながらかっては「兄弟」だった(過去形なのが悲しいけれど)メンバー同士の絆と軋轢を、大半のバンドの楽曲の作詞・作曲者でもあるロビーが思い入れを込めて語る構成になっています。       1972 年にリリースされたライブアルバム「ロック・オブ・エイジズ」を聞いて、私がこのバンドのファンになったのは大学1年生。当時大学のフォークソング倶楽部(「海はすてきだな」というラブソングをヒットさせた、ザ・リガニーズというバンドがこの倶楽部出身でした)に在籍していた私は、この倶楽部で知り合ったメンバーとバンドを組んで活動を始めたばかりで、まだ黒人ブルースに目覚める前でしたが、ザ・バンドの(今で言うところの)アメリカのルーツミュージックを基礎にしたなんとも言えないグルーブ感と、渋くて泥臭いハーモニーに心を奪われたものでした。特に好きだったのはドラムの南部出身リヴォン・ヘルムのヴォーカル、そしてリック・ダンコの、派手さはないけれどツボを押さえたドライブ感のあるベースも結構好きでした。 当時の文化祭で同じクラブの先輩グループが、ザ・バンドの代表曲の「ザ・ウェイト」を演奏しているのを聞いて、おぬしらやるな!と感心したものです。(ちなみにこの年の文化祭では、僕たち一年生は、皆でビートルズの「You're  Going To Lose That Girl」を輪唱したのですが、これはこれで結構クオリティー高かったと今でも思っています・笑)   その「ザ・ウェイト」ですが、バンドの楽曲の中ではピカ一と言っていい私のお気に入りソングで、スマホの着メロにも採用!あの映画イージーライダーの中で、2台のハーレーダビットソンが自由奔放に荒涼たる砂漠の中を疾走する場面で、この曲が使われています。 全体的には、聖書からの引用と思しき言葉が多く出てきて、ちょっと難解で意味不明な感じの歌詞ではあります。 その中で繰り返し出てくるTake a load off Fanny,  take a load for free  と歌うサビの部分を直訳すると、前半部は「荷物を降ろしてしまえ」(Fannyの意味は複数あるようですが、ここでは省略)、後半部はfreeを「自由」と解釈すれば「自由になるために荷物を取れ」となり、freeを「ただ(無料)」と理解すれば、「荷物を取るのにお金はいらないぜ」というような意味になります。 いずれにせよ、荷物を降ろすのか?取るのか?どっちなの?という感じで、一見矛盾しているようにもみえます。しかしながら、私の勝手な解釈としては・・・後半部を例えばtake a load off  for free  と歌うとより分かりやすいのでしょうけど、それではちょっと語呂が悪いので、offを省略したのではないか?と。このoffが無くても、前半部のフレーズを受けて、後半部の take a load を「荷物を(降ろすために)取る(あるいは選ぶ)」と考えれば、矛盾しないと思います。 要は、「余計なものは持たず、(心の中の)重荷を降ろして楽になろう、気ままに自由に生きようぜ!」というメッセージが繰り返しサビで謳われているわけで、まさにイージーライダーのあの場面にピッタリですね (歌の題名のザ・ウェイトは the weight で、このloadを言い換えたものと思われます)。 ハーレー乗りのちょい悪親父の心が、くすぐられます(笑)   曲調は高揚感のあるゴスペル調。そして全体的にはまるで聖書をからかっているようにも見える歌詞。ひょっとしたら、ここでの loadは、lord にかけているのではないかと思ったりしますが、考えすぎでしょうか。 とまあ、こんな感じで聴き手が歌詞の意味を好き勝手に解釈して楽しむのを、この曲の作者であるロビーロバートソンは望んでいるのかも知れません。 (インタビューの中で歌詞に意味なんていらない、みたいな事を言っています)   アレサフランクリンをはじめとして多くのミュージシャンに、思い入れを込めてカバーされているこの「ザ・ウェイト」。歌詞の意味云々より楽曲そのものの秀逸さと、今は亡きリヴォン・ヘルムの渋くソウルフルなヴォーカルの魅力で、これからも永く聴き継がれていくことでしょう。 ラストワルツコンサートの中では、ゴスペルグループのスティプルシンガースがゲスト参加、この曲をザ・バンドと一緒に熱唱していますが、これはもうめちゃくちゃ恰好いいので、ぜひ聴いてみてください!     結局、話が「ザ・ウェイト」のことばかりになってしまいましたが、ザ・バンドの魅力については、また機会があれば書いてみたいと思います!  

(了)

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