ボブディランよ、心の内を語るべし!

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2016.10.24

  ボブディランのノーベル文学賞受賞のニュースが巷を賑わしています。 受賞の発表後、スウェーデンアカデミーからの連絡にも一切応じず、ひたすら沈黙を守りつづけるその姿に賛否両論、否、というよりは、どちらかといえば、ディランらしい!と言う肯定的な意見が多いような気がします。   そんな彼の態度に業を煮やしたノーベル賞の選考委員長が、「無礼かつ傲慢」とのコメントを出したようです。実はこの発言、「無礼、傲慢」と言うフレーズが切り取られて強調されていますが、実際はこの後に「でも、それがディランらしいんだ」というニュアンスの発言が付け加えられていて、この委員長は、半ばあきれながらも、しょうがないやつやなぁ・・と言った感じの、むしろある種ディランに親しみを込めた発言をしているとも言えます。 とはいえ、やはり、発言の根底には、「最高の権威ある賞を、居並ぶ沢山の文学者達を差し置いて、貴方にあげると言ってるのに、いつまで黙っているつもりなんだい?」という「上から目線」がそこにあることは明らかで、「傲慢なのはディランではなく、スウェーデンアカデミーの方だ」という意見にも大いに頷けます。   正直言うと、個人的にはこれまでのボブディランの態度は確かに「無礼かつ傲慢」と映ります。でもそれは、第三者が言うのなら良いけれど、この賞を与える側の「権威ある」人が言ってはいけないんでしょうね。 つまりは、どっちもどっち(笑)と言うべきなのかも知れませんが・・果たして、彼の沈黙の真意は何処にあるのでしょうか?   権威の側にいる人間が、何の相談もなく!勝手に決めた賞など受け取りたくないのか、自分はあくまでミュージシャンであって文学賞などには値しないと考えているのか、ひょっとしたら受賞すべきか辞退すべきか、思い悩んでいる最中なのか、あるいは、彼にとっては本当にノーベル賞などどうでもよいことなのか・・・ いずれにせよ、ひたすら沈黙を守ることで、世間の反応を楽しんでいるのかも知れません。 しかし、かって反体制の騎手の代表だったディランも、いまやもう70歳を超えた社会人なのですから、少なくとも受賞の連絡があった日には、相手に対してきちんと礼を尽くして対応すべきでしょう。その上で、自分の信条に基いて、丁重に受賞を辞退したとしても、決して失礼にはあたらないと思うし、もしそうなれば、個人的にはむしろ拍手喝采!です。 仮に自分の意に介さない事態であるからといって、シカトを決め込むのはあまりにも幼稚すぎます。一部 のディラン信奉者が、それが格好いいんだ、なんて言うのはナンセンスでしょう。 もし、軽々しく自分の意見を言いたくないのであれば、きちんとしたコメントをblog等で公開するか、あるいは12月の授賞式に堂々と出席して、自分の考えを自分の言葉でしっかりと語るべきではないでしょうか。   ディランが、賞を受け入れるにせよ(その可能性は少なそうですが)辞退するにせよ、私達は、当の本人の言葉でその答えを聞くことで、音楽と一体で存在する歌詞が文学足りうるか、といった議論をより深めることが出来るでしょうし、あるいはノーベル賞というものの意義や役割について、改めて考え直すきっかけになるように思います。  

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