豊洲市場盛り土問題

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2016.10.05

  築地市場から移転予定の豊洲市場。建物の下に盛り土がされていなかった問題について、連日メディアを賑わしています。   専門家会議で、土壌汚染対策として、敷地全体に盛り土をすることになっていたのにもかかわらず、建物の下には盛り土がなく、実は巨大な地下空間が広がっていました。 ところがこの事実が、移転する当時者を含めてまったくこれまで説明されておらず、小池知事になってから突然に判明。 誰がいつどのようにして、この専門家会議での方針を反故にする決定を下したのか・・の犯人探しは、超巨大組織の都庁であるが故に難航しているようです。   「建物の下に盛り土がなく、ピット空間が・・・」 この話を聞いたとき私は、実はそれほど驚いたわけでは無く、そして正直これほどの騒ぎになるとは思いませんでした。   さてその理由は・・・・   ◆建物のない敷地全体の7割は、当然盛り土がされています。   ◆土壌汚染対策としては、厚さ10センチ以上のコンクリートがあれば、盛り土の替わりになるとされていますが、この地下空間と地上階との間には30センチ~40センチのコンクリートスラブが打設されているようです。   ◆豊洲市場のような巨大なスケールの建物であれば、当然基礎もそこそこのボリュームになります。そして、建物の下部には、通常は設備配管の設置が必要で、土を埋め戻してしまうとこれら配管のメンテナンスが出来ませんから、ある程度のピット空間はどうしても必要となります。   ◆入れ替えがなされていない盛り土より下の地層についても、汚染対策処置がされているようですが、都の説明によれば、将来の地下水の変動等によって新たに有害物質が生じないかどうかを、調査する必要があり、そのためのモニタリング空間としてこの巨大な地下空間を設けたとのことです。つまり、ピット空間の床にはあえてコンクリートを打たずに、いつでも地下水の状況を調査することができるようにしておき、万が一有害物質が確認されれば、場合によっては重機を巨大な地上のマシンハッチからこの空間に搬入して、さらなる土壌汚染対策工事を施すというわけです。   ◆ピット内に生じた地下水を処理するための排水システムも用意されているようですので、このシステムが本格稼動すれば、現在大騒ぎになっているピットの床にたまった地下水もなくなるでしょう。   さて、どうでしょうか。   本来、技術的には問題解決の方法はいくつかあるはずなのに、マスコミの少々片寄った報道のせいもあって、専門家会議で提言された「盛り土をする」以外の方法は認められない!!といった風潮に現状では傾いているようです。 確かに都がこれまで説明責任を充分に果たしていなかった事は大きな問題だと思いますが、上記の点を技術的な観点から総合的に判断すれば、この地下空間を設けたこと自体、むしろ合理的で妥当な判断だったように思えます。 そういった意味で、おそらく建物の設計に実際に携わった担当者からしても、建物の下に盛り土をする代わりにモニタリング用の地下空間を設けることに、将来にわたっての土壌汚染対策上、意義があると考え、むしろ確信を持って設計を進めたのではないでしょうか。ただ敷地の一部であるにせよ「盛り土をしない」という選択は、一般の素人の目には、極めて大きな変更と映りますから、やはり「盛り土をしない」という決定をした時点で、都はしっかりと公表して関係者に説明するべきだったと思います。それがその時点できちんと為されていれば、今日のような大騒ぎにはならなかったでしょう。   いずれにせよ、この巨費を投じた豊洲市場がマスコミの過剰な報道によって、風評被害といった状況に陥ってしまうのは困ったことですから、設計にあたった都の建築責任者は、これまで説明が不足していたことを真摯に詫びた上で、設計事務所ともよく協議をして、現状の設計になった経緯と理由を、自信を持ってきちんと説明する場を設けるべきです。 もちろん、現状のピット空間で採取される地下水やピット空間自体に基準値を超えるような有害物質が含まれていないことを、充分に調査しきった上で、現実的には安全性に問題ないことを証明してからであることは言うまでもありません。 しかしながら、もし今後環境アセスメントの一からのやり直しが必要で、たとえ結論に変わりはないとしても、その作業に相応の期間が必要であるとなれば、その点においては、やはり進め方がずさんだったと言わざるを得ないでしょう。問題が発覚しなければ、果たしてどうするつもりだったのか?ということですね。   ただしかし、この問題に関してのマスコミの報道姿勢は、先にも書いたように、技術的検証を欠いたまま、「盛り土をしなかったのは悪いことだ」とばかりに決めつけて、その責任を追求する論調が目立ちます。いかに一般市民がマスコミの影響を受けやすいかを思えば、これはかなり問題だと思いますが、このような総合的で技術的な判断を伴う建築・土木の諸問題、一般市民(報道する側のマスコミも含めて)が容易に理解するのは、なかなか難しいでしょう。マスコミはどうしてもセンセーショナルな論調の方に傾きがちです。 この豊洲盛り土問題、都側の当事者の側からすれば、一度このような形で世に不信の念を抱かせてしまうと、今後は、よほど丁寧に真摯に説明しない限り、中々信頼を回復するのは難しいかも知れませんね。 そこで、我々第三者の専門家の側としては、この問題を適切な技術的観点からきちんと検証した上ではありますが、マスコミの報道が偏ったものであればそれをしっかりと正し、少なくとも豊洲のピット空間が、建物の下に盛り土をするのと同等もしくはそれ以上の効果がある事を、予断を排して、誰もが理解出来る様に丁寧にわかりやすく説明を尽くす責任があるのかも知れません。  

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小保方晴子 with 瀬戸内寂聴

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2016.06.02

「小保方さん、あなたは必ず蘇ります」 瀬戸内寂聴さんと小保方晴子さんの対談記事が、雑誌「婦人公論」に掲載されたので、当所女性スタッフに御願いをして購入しました。 小保方さんの手記「あの日」を読んだ寂聴さんが、小保方さんに声をかけて実現したそうです。若い頃、自らの著作に対して、世間から激しいバッシングを受けたこともある寂聴さんが、「あの日」に共感し、小保方さんを暖かく励ます内容となっています。 小保方さんは、純白のワンピースを身にまとい、髪をアップにした姿で2年ぶりの登場。やや痩せてはいるものの、「あの日」の記述から想像されるほどの憔悴したイメージは無く、やはりこの人は芯が強く、ある意味自己顕示欲の強い人なのだなぁと感じます。   あの不可解な「STAP騒動」は、誰もが納得できるような真相は闇の中のまま、一人の女性を激しく貶めることで収束しました。もちろん「あの日」の小保方さんの主張が全て正しいとは限りませんが、「あの日」の中で批判された人達からの反論などはほとんどありません。反論したくてもできないのか、あるいは反論にも値しないと考えているのかは、当事者にしかわかりませんが・・・。   寂聴さんは、邪念を捨て「あの日」を虚心坦懐に読み込んだ結果、「STAP騒動」は小保方さんが企てたものでは無いのに、はからずも彼女一人のせいにされて、「小保方さんは公のいじめを受けた」のだと、激しい憤りを語ります。実は私もその主張に思わず共感してしまいます。小保方さんがそこまで(たとえばES細胞を盗んだり混入したり)する動機がどうしても理解出来ないからです。いくら功をあせったにしても、いずれバレてしまうことが分かりきっているような破廉恥な行為を小保方さんが自ら行うとは思えない。しかしその事は、小保方さんが名指しで批判する若山教授にしても同様ですから、真相はますます分からなくなってしまうわけですね。   対談のなかで、寂聴さんは小保方さんの文才を認め、小説を書きなさいと進めていますが、これは寂聴さんなりの激励の仕方でしょう。私が「あの日」を読んだ感想は、確かに短期間であれだけの内容を一気に書き上げたとすれば、相当な集中力の持主だと思うし、自分の考えをアピールするのも上手ですが、文学的な素養とはまた別ではないかと感じます。 やはり彼女は自分の専門分野で、自らが一度は出会って愛したけれど、結果的に失恋してしまった、と対談の中で語る「STAP細胞」に再び出会うために、もう一度チャレンジしてほしい。海外の研究機関からのオファーも届いているとのことです。「あの日」の印税もこのチャレンジのために有効に使って、改めて誰も文句を言えないだけの研究成果をあげれば、世間も納得するでしょう。 成果を手に颯爽と再びメディアに登場し、ドヤ顔で(笑)「やっぱりSTAP細胞はありました!」と宣言し、辛いバッシングを受けた世間にリベンジを果たす小保方さんを、近い将来ぜひ見てみたいものです。  

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隠れた近代建築の名作「津山文化センター」探訪

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2016.05.09

GW合間の一日、岡山県津山市に建つ近代建築の知られざる傑作「津山文化センター」を訪ねました。1965 年に完成、昨年50周年を迎えたこの建物は、早稲田大学理工学部建築学科を卒業、清水建設設計部を経て、旧逓信省営繕部設計課に勤務した後、1957年に事務所を設立した、一般的にはほぼ無名と言える建築家「川島甲士」氏の40歳の時の作品です。     最も特徴的なのは、日本の伝統的な寺社建築の屋根を支える持ち送り工法である「斗キョウ」構造を、近代建築を象徴する材料であるプレキャストコンクリートで構築していることでしょう。 逆台形状3層の精緻で力強い「斗キョウ」が伸びやかな水平線を形作りながらフラットな屋根を支える外観のシルエットは、冒頭の写真にあるように抜群に美しいプロポーションで、建物にアプローチしながらしげしげと眺めていると本当に惚れ惚れします。     ホールのある本体とは分離して建てられている展示ホールの壁面は、グラフィックデザイナー「粟津潔」氏によるウェーブ状のレリーフが施されていて、これもなかなかの迫力で見ごたえ充分。本体部分の「斗キョウ」との対比も鮮やかです。      

右側が本体とは分離した展示ホール

      それにしても、逆台形状の構造のためか、築50年を経過してもコンクリートの汚れや劣化が少なく、当時のままの精緻で美しい外観が維持されているのには驚きです。     1階ホワイエは、外部に面した吹抜け空間。上部には立体格子に照明を絡めた建築化照明が。梁の上を歩くランプ交換は、命綱必須の決死の作業(笑)との事でした。  

ホワイエ上部の梁と建築化照明

「斗キョウ」のある外周通路

  「斗キョウ」はプレキャストコンクリートの部材を一つ一つ組み上げて作られています。内側には近代建築で主流であったスチールサッシュ。外周通路がクッションとなり綺麗に保たれています。     ホール内部も見せていただきました。局面を描く天井はベニヤ下地にクロスを張って作られているそうです!外観とは対照的なインテリアですね。黒い楕円形の3つの穴は巨大なスピーカー。     ホール側面はコンクリート打放し仕上げで、音響効果を考慮したというリブパターンが施されています。音響設計は、なんとあの大隈講堂を設計した佐藤武雄氏が手掛けたそうです。 天井中央の大きなシャンデリアもこの種のホールでは珍しいですね。  

ホワイエの一角に鎮座する模型

中2階側出入り口のあるシンメトリーな外観

      かって天守閣のあった鶴山公園のふもとに経つ「津山文化センター」。軒先に向かって広がっていく外観は、台形状の鶴山城の城壁との対比が図られていると言えますが、実は、川島甲士は京都国際会館のコンペでも、この「津山文化センター」とそっくりの逆台形状の「斗キョウ」のある案を提出しています。日本独自の様式を近代的な材料と技術で再構成したこの案に、よほどの思い入れがあったのでしょう。自らが信ずる新しい時代の日本建築を何としても生み出したいという、当時の気鋭建築家の熱意がひしひしと伝わってくる作品でした。 近々に耐震改修が施される予定とのことですが、この建物に充分な敬意を払った上で、原型の魅力を損なわない方法で慎重に実施して欲しいと思います。

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熊本地震

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2016.04.21

震度5を超える余震が長期間にわたって頻発するという、日本人がこれまで経験した事も無い異常な事態が続く熊本地震。普段は意識されることのない、活断層が動いた時の恐ろしさを実感させられます。 避難場所や周辺の駐車場で、余震の恐怖で眠れない夜とエコノミー症候群に悩まされながら、不自由な時間を過ごす被災者の皆さんの事を思うと、一刻も早くこの事態が収束してくれることを祈るのみです。 現地でボランティアに携わる人達の献身的な活動を目にすると、心痛めながらも何ひとつ具体的な支援が出来ていない我身が恥ずかしくなってしまいます。牛丼の吉野家、すき家、カレーのCoCo壱番屋等の外食チェーンがいち早く現地に入り、自社のメニューを被災者に提供しているようですが、企業としての迅速な行動力と、こんな時こそ企業力を最大限に発揮して被災者をあたたかい料理で元気づけよう…と言う、食を担う企業としての心意気に感銘を受けます。 まだ余震がさらに続くかもしれず、活断層が動くエリアがさらに拡大していくかも知れません。東日本大震災に続く想定外の事態、否、それ以上に明日の予測が不可能な事態と言えます。周辺の原発も本当に稼動していて大丈夫なのか心配です。 日頃から震災に備えて具体的に準備しておくことも、もちろん大事ですが、全く想定外の事態に遭遇した時でも、あわてず適切に対処できるだけの度胸と機転力を身につけておくことも、大切なのかも知れません。 これまで、この震災で亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。

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ザハ・ハディドさん死去

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2016.04.01

仕切り直し前の新国立競技場のデザインを手掛けた女性建築家、ザハ・ハディドさんが急死した、とのニュースが飛び込んで来ました。気管支炎で入院治療中のところ、急な心臓発作で亡くなったとのことですが・・・病院内での出来事なのにかかわらず、病院側がどうして対応できなかったのか?率直に疑問が残ります。   新国立競技場の新たな採用案が自分たちの案を下敷きにしていると強く主張して、法的手段の可能性まで示唆し、これまでの設計報酬の支払いについてもJSCとの間で協議中であったこの時期の急死だけに、なんとも釈然としない印象は拭えません。そして、ザハ氏自身、思いもかけずに訪れたであろう自らの死の瞬間を果たしてどんな思いで迎えたのだろうか・・と想像すると、やりきれない思いにかられます。   当初の彼女のデザインが、あの新国立競技場の建つ神宮外苑のコンテクストにふさわしいものであったかどうかは別として、初期案における曲線のもつ流麗さとダイナミズムを大胆に駆使したエキセントリックな造形は、他の案に比して群をぬいて独創的でした。アンビルドの女王と呼ばれ、その斬新な造形に建築技術がついてこれない時期もあったようですが、近年の建築技術の長足の進歩と建築予算に寛容な事業主にも支えられ、世界各国で独創的な作品を生みだしてきました。   享年65歳、アラブ社会で生まれた女性建築家が、これだけの実績を積み上げてこられたのは、彼女自身と努力と天賦の才能はもちろんですが、やはり建築業界では奇跡と言っていいでしょう。一人の建築家の傑出した才能が世界中の国家的プロジェクトを動かしていくことが出来るんだ!・・という建築設計を志す者たちが抱く夢を、まさにダイナミックに実現した偉大で稀有な建築家の一人といえます。   晩年の新国立競技場計画での日本との関わりが、ザハさんの中でおそらく良い思い出では終わらなかったであろうことについては、日本人建築家の端くれとして申し分けない気持ちになります。もう、新国立競技場問題でザハさんを否定的に捉えるのはやめにしましょう!   ザハ・ハディドさんを筆頭とする設計チームが遺した遺産は、新しい設計者がいくら否定しようとも、おそらくベーシックなスタジアム部分で継承されていると私は思います。もちろんこのような状況になったのは、コンペの進め方自体に問題があった事は否めませんが、今となってはJSCも新しい設計者も、前案を継承した部分は素直に認めた上で、ザハ事務所との著作権(道義上の)問題にも、適切に対処してもらいたいものです。   謹んでザハさんのご冥福をお祈りいたします。   最後に建築家の磯崎新氏が、親しい建築関係者に送付したとされるザハ氏を追悼する痛切な手記を紹介しておきます。 出典はコチラ。http://www.buzzfeed.com/daichi/isozaki-note-for-zaha#.by8NELBMjM   そのイメージの片鱗が、あと数年で極東の島国に実現する予定であった。ところがあらたに戦争を準備しているこの国の政府は、ザハ・ハディドのイメージを五輪誘致の切り札に利用しながら、プロジェクトの制御に失敗し、巧妙に操作された世論の排外主義を頼んで廃案にしてしまった。その迷走劇に巻き込まれたザハ本人はプロフェッショナルな建築家として、一貫した姿勢を崩さなかった。だがその心労の程ははかり知れない。   〈建築〉が暗殺されたのだ。   あらためて、私は憤っている。 彼女の内部にひそむ可能性として体現されていた〈建築〉の姿が消えたのだ。はかり知れない損失である。

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STAP細胞問題とは?(小保方晴子 vs 須田桃子)

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2016.02.29

小保方晴子さんの手記「あの日」が出版されたので、あのSTAP細胞問題とは一体何だったのかが知りたい一心で読んでみました。   小保方さん側から見たSTAP細胞問題を、赤裸々に綴ったセンセーショナルな内容で、要旨を一言で言うならば、「私に反省する点が多々あるとは言え、基本的に私は、理研関係者の一部やマスコミによって、魔女狩りのごとく捏造犯に仕立て上げられた哀れな被害者である」という主張のようです。記述には、感傷的表現(悲劇のヒロイン的な)も多く見受けられるので、これを読んで小保方さんに感情移入して涙する人もいるでしょう。また一方で「いまさら、とても信用する気にはならない」という批判も多くあると思います。   正直言うと、これまでの経緯を見ても、未だ小保方さんにシンパシーを感じていた私ではありますが、やはりここは本人の一方的な主張だけを聞いていてもいかん!と思い、「あの日」の中で小保方さんが、その取材姿勢等について痛烈に批判している毎日新聞記者、須田桃子さんの「捏造の科学者」という著書も合わせて読了しました。 こちらは、関係者への綿密な取材をもとに、STAP問題の全貌を解明しようとした中々の労作でした。奇しくも小保方さんも須田記者も、私と同じ大学、同じ学部出身なので、大変興味深かったのですが、さて両著書を読んでみた結論は・・・ますます私の頭は混濁し、より一層分からなくなってしまいました。   ・「STAP細胞」とはES細胞の混入した結果というが果たして本当に事実なのか?   ・小保方さんの言う「酸で刺激すると初期化する未知の細胞」は、まったくのでっち上げだったのか?   ・そして仮にでっち上げが事実だとしても・・・   ・いったい、誰が、何時、何故、そこまでして「STAP細胞」をでっち上げなければならなかったのか(いずれはバレルのが明白なのに!)   ・何故、居並ぶ共同執筆者の著名な先生方の誰もが、そのような分かりきったでっち上げに、論文発表まで気づかなかったのか?   私としては、須田記者だけではなく、「あの日」の中で、小保方さんから捏造の張本人であるかのように名指しされている共同研究者の若山教授、そして本問題の主体である理研の反論をぜひ聞いてみたいというのが正直なところですが、果たしてそれが為されるのかどうか・・・   それらの真相を知りたくとも(当事者によって意図的に?)真相は、闇に閉ざされてしまい、いつのまにか「うやむや」で終わってしまうのではないか・・・と危惧してしまうこのモヤモヤ感は、つい最近「新国立競技場」の事業者選定結果で感じたものと同質な気がしています。   そして、小保方さんが着想したSTAP細胞が、IPS細胞を超えるような大発見と見るや、豊穣な研究資金を得るためか、小保方さんを広告塔のように利用して戦略的にその業績を世にアピールしたか思うと、論文データの不備が明らかになったり、ES細胞の混入を疑わせる解析データが発表される等の問題が露呈してくると、今度は手の平を返したように小保方さん個人に責任を押し付けて切り捨ててしまう……   実は真相は私達の理解の及ばない別の処にあって、その上で理研という組織あるいは理研に属する研究者が、そのような隠蔽工作を行ったのだとすれば……これは、もう科学の世界だけの特殊な出来事だとは言えません。。

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シンポジウム「B案の主旨 新国立競技場コンペティションを振り返る」

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2016.02.17

「昨秋行われた新国立競技場のコンペティションの結果は既に御承知の通りですが、メディアでは表層のみが伝えられ、その真意が必ずしも正確に報道されているとは思われません。

そこで私達はB案の当事者及び審査員、批評家の方々を迎え、コンペティションにのぞんだ経緯、提案の主旨等を語っていただき、このプロジェクトの意義を問い直すことによって、今後の建築界や社会への理解を深める機会にしたいと思います。

小島一浩、千葉学、塚本由晴、柳澤潤、横河健(五十音順)」

  上記の趣旨で、平成28年2月9日、シンポジウムが開催されました。その模様がYou Tubeで公開されていますので、とりあえずご紹介します。   https://www.youtube.com/watch?v=qxVOA45g2oQ&feature=youtu.be   今回のコンペの経過や結果に対して、大いなる「モヤモヤ感」を抱く建築家有志が、伊東さんを始めB案チームの担当者に声をかけて、このシンポジウムが実現したとの事です。2時間以上に及ぶこのシンポジウムを通して感じたことは・・・   まず第一に、B案がいかに独創的で完成度の高い提案であり、各担当者が見事なチームワークで情熱的にこのコンペに取り組んだ素晴らしい成果である事が改めてよく理解できました。   次にやはり、このコンペの審査過程が果たして適切でフェアなものであったのか・・という疑いがより増幅されたという事でしょう。審査員の一人であった香山先生も、各審査項目の評価点を機械的に積み上げた合計点で評価する採点方法 や、審査委員が各々どのような評点をつけたのかを公表しない審査の進め方に対して、素直に疑問を呈しておられます。 私が一番疑問に感じるのは、一度審査委員で「仮採点」をしてから、一時間程度審査員の間で自由に議論をした後に改めて採点をした結果、A案の合計点がB案を上回ったのだという、コンペの結果発表時の審査委員長の説明の部分です。 この「仮採点」の結果がどうであったのか、そしてこの「仮採点」を踏まえて審査委員の間でどのような議論が為されたのか、ということが、JSCから発表されている議事録でも一切公開されていません。そして最終評価において、A者及びB者に対してどの審査委員が各々の審査項目に何点を入れたのかといった内訳が、おそらく審査員自身も分からない・・といった状況では、審査員の先生方も事務局が集計した採点結果を信じて受け入れる他ないということですね。 ここは、やはり極めて不透明であり、事務局が集計の段階で(本命のAグループを通すために)得点を操作したのではないか?といった疑惑を打ち消すためにも、JSCは各審査委員が付けた配点の詳細を、(匿名でも良いので)きちんと公開すべきです。 このシンポジウムでの「審査の過程では、B案についてネガティブな評価はほとんど出ていなかった」という香山先生のお話に納得し、ますますその意を強くした次第です。   そして何と言っても印象に残ったのは、工期とコストが配点の半分を占める設計施工一体型のコンペ、そしてコンペ前からA者が本命というアウェー状態を十分承知の上で、「今の時代建築家の役割とは何なのかを問い、この官僚支配社会に対して、個人の建築家の存在感を何としても示したかった」という伊東氏の言葉です。 司会の中沢新一氏の表現を借りれば、建築家としての「フェアーな精神」でチームをまとめ上げながら、「大阪の陣の真田幸村のごとく最後まで情熱を傾けて取り組んだ」伊東氏の姿は、我々建築設計に関わる者すべてに、熱く強いメッセージを発しています。  

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新国立競技場決定案(A案)と知的財産権について

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2016.01.19

新国立競技場実施案に選ばれたA案(隈研吾・梓設計・大成建設、以下A者案)が、白紙撤回された前回案に酷似しているとザハ・ハディド氏側からクレームがつきました。表層のデザインは異なっていても、スタジアムの構造や各室の配置がほぼザハ案を下敷きにしているというものです。隈研吾さんが会見で説明していたように、スタジアムという用途上、与えられた条件下で最適解を追求すれば自ずから同じような部分も出てくるとは思います。私自身、ザハ案とA案とを詳しく比較研究したわけではありませんが、ザハ氏のみならずA案に敗れたB案作成者の伊東豊雄さんまでが、結果発表後の記者会見で「A案はあまりに前回案に似ている。ザハ氏に訴えられるかもしれない」と発言されていたり、ネット上で両案を重ね合わせて類似点を指摘している記事などを見ると、やはりA案は一定程度ザハ案を下敷きにしている、と見ざるをえないのだろうと思います。 元々私は、仕切り直すとしても、完全な白紙撤回ではなく、これまで蓄積してきた設計上の成果を生かすためにも、新たな条件設定のもとで、前回と同じザハ氏を含む設計チームで進めるのが最良であろうと考えていましたので、今回の決定案が前回案を踏まえて作成されたとしても、むしろそれは、ある意味、理にかなった話だと思います。しかしながら白紙撤回後に改めて公募した公正であるべきコンペという場において、前回設計に携わった業者を含むチームが、明らかに前回案を下敷きとした提案をし、結果的に其の案が採用されたとすれば、その結果をどのように理解するのか?という問題でしょう。 ザハ氏側は前回案の知的財産権を主張しているようですが、そもそも前回案は、ザハ氏をデザイン監修者とし、その他複数の設計事務所の設計企業体の設計です。また今回「似ている」とされる部分が、一般的に著作権などの知的財産権の対象となるような芸術的であったり極めて独創的であったりするような部分ではなく、いわば実務的、機能的なレベルの話なので、ザハ氏側が、スタジアム部分の類似を根拠として法的な知的財産権を主張するのは、少し無理があるような気はします。(ザハ氏の心情はよく理解できますが) しかしながら、それまでかかった費用を支払ったとはいえ、ザハ氏を突然降ろして白紙撤回をうたいながら、結果的に別の設計者の名のもと、ザハ氏他案の一部を採用した、となればやはり、A者、そして特に事業者であるJSCの道義的な責任は免れないのではないか。伊東豊雄さんは、先の記者会見の場で「我々は極力前回案に似ないように十分注意払った」という主旨の発言をされていました。前案は敢て参考にはせず、一からこの建物を構想する困難な道を選択されたわけですが、技術者としての誇りと矜持を持った立派な態度だと思いました。一方でまた、A者、特に大成建設さんの側から見ると、それまでの経緯を考えれば、もうなりふりかまわずこの仕事を取りに行かなければならなかった事情も重々理解出来るのです。 そもそも事業者であるJSCとしては、すでに前回案の設計に膨大な費用をかけているわけですから、やむを得ない仕切り直しにあたっては、これを無駄にしないで正々堂々とそれらの成果を生かせるような進め方をするべきでした。今回の騒動を見れば、「白紙撤回で再公募」という選択は、やはり結果的に間違っていたといわざるを得ないように思います。先日ザハ氏側が、「JSCから、残りの設計費用を全て支払うので、今回の著作権問題について今後一切発言しないように求められたが拒否した」と明らかにしていることからも、JSC側が、この問題の責任を自覚し、金銭的解決を図ろうとしているのがうかがえます。ここでまた国民の血税が使われようとしているのです。JSCはこの問題に関して、ザハ氏側と胸襟を開いた話し合いを速やかに行った上で、国民が理解できるようなきっちりとした説明をすべきではないでしょうか。  

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新国立競技場の事業者が決定

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2015.12.29

仕切り直し後コンペで、2者の一騎打ちとなっていた新国立競技場の設計・施工チームが決定しました。工程計画についての信頼性が評価された結果、選ばれたのはA者こと、大成建設、隈研吾さん、梓設計グループ。設計内容自体の優劣を示す「施設計画」では、B者こと、竹中・清水・大林JB、伊東豊雄さん、日本設計のグループが上回っていたのにもかかわらず、上記の結果でした。私は、改めて両者の技術提案書を見返して見たのですが、どう読み込んでも、工程計画について、A者がB者を明らかに大きく上回っている事を示すような内容は身受けられませんでした。両者とも建物の完成は2019年11月となっており、工期自体は、A者が36ヶ月、B者の方は設計を含む準備期間を2ヶ月多く見ているため、本工事着工後は34ヶ月で完成という内訳となっています。この事はごくごく普通に客観的に見れば、工期について両者には差が無いと見るべきです。事業者決定時点での記者会見の場でも、複数の記者から、工程計画で差がついたのは具体的にどのような内容なのか、という質問が出されましたが、審査員の先生方からは、明確な説明はありませんでした。 元々このコンペは、白紙撤回前にスタジアム本体を受注していて、資材の発注や労務の手配でアドバンテージのあった大成建設グループが有利であると言われていました。大成建設側からすれば白紙撤回の結果、千数百億円のスタジアム本体工事の契約が突然にキャンセルになったわけですから、大変な事態です。そのような経緯の中では、発注者の側でも、今回コンペで改めて「大成建設にやらせたい」、あるいは「大成建設にやらせざるをえないだろう」の心理と共に、「資材や労務も手配が済んでいる大成建設ならば、工期的にも安心」との認識があった事は間違いがないでしょう。つまるところ、A者に決まったのは、技術提案書の内容ではなく、はっきり言ってしまえば、コンペをやる前から勝負はついていたのではないでしょうか。そのような状況を充分に認識しながら、あくまでも技術提案書の内容を高める事に注力し、果敢にこのコンペに挑戦したB者の勇気と、建築に関わる者としての矜持は、最大限讃えられるべきです。 建築家の側から見れば、設計内容では明らかに相手を上回る評価を得ていながら、自分には直接関わりのない事情によって選定されない…いわば「試合に勝って勝負に負ける」という事態は、本当に悔しく忸怩たる思いです。あの温厚な人格者である伊東豊雄さんが、コンペ結果を受けての記者会見の場で、厳しい表情で審査についての不信感を表明されている姿をみて、私自身も建築家の端くれとして、自分のことのように悔しく情けない思いにかられました。 あの無謀とも言える白紙撤回によって、抜き差しならない状況になってしまった結果、何よりも工程上の安全を最優先せざるをえなくなったことがこのような事態を招いた原因であるのは、間違いがありません。建築家の能力を生かすも殺すも、所詮は発注する側事業者の姿勢次第。ある意味、建築家という職能の限界が建築家の側に冷徹に突きつけられたとも言えるのですが、逆に、建築家の側からどのような働きかけをすれば、建築についての確かな見識を持ち、社会にとってより良い建築を生み出すよう事業主を啓蒙していけるのか…を改めて考えるきっかけにすべきなのかもしれません。 そういった意味で、色々なことを考えさせられたコンペでした。伊東豊雄さんはじめB者の皆さま、技術提案書の内容は素晴らしかったです。本当にご苦労様でした!!        

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新国立競技場コンペ応募案公開!

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2015.12.17

新国立競技場仕切り直しコンペの応募案が公開されました。これまで報じられていた通り応募は2者のみ。A案(下の画像)が隈研吾さん+大成建設、B案(上の画像)が伊東豊雄さん+竹中工務店グループの提案です。ちなみにお蔵入りとなってしまったザハ案はこんな感じでした。     計画白紙撤回の後、工期とコストを何がなんでも遵守しなければならないために、設計と工事を合わせたコンペとされ、かつ、今後極めて短期間の内に設計から工事までまとめ上げるためには、これまでこのプロジェクトに関わったアドバンテージが無ければ現実的に難しい事などの理由により、結果的に上記の2者の一騎打ちとなりました。オリンピックのメインスタジアムのコンペとしては実に寂しい限りですが、これまでの事業者の迷走の末に、ここまで追い込まれてしまった結果、予想されたことですし、もう今となってはやむを得ないことと思わざるを得ません。しかし選択肢は限られているとはいえ、予め上記のように案が一般公開され、しかも2者だけの比較ですから、ある意味、短期間でわかりやすい議論が出来るのではないでしょうか。 技術提案書も全て公開されているので中身をざっと拝見しましたが、これだけの膨大な提案書をこの短期間でまとめ上げた2者の力量と情熱には本当に脱帽です。 上の画像で見るように、前回のザハ案とは大きく印象は異なりますね。ザハ案には、一見したところの強烈な個性とインパクトがあります。では今回提案された2者の案はコストと工期を重視するあまり、ザハ案に比すれば凡庸な提案なんでしょうか。私は決してそうは思いません。      A案                  B案   2案共、工事費はほぼ上限に近い1500億円弱。この金額が果たして妥当なのかどうか、今の私には正確に判断することはできませんが、少なくとも今の厳しい労務事情の中、極めてタイトな工期と予算を踏まえた上で、各々のチームが英知を絞り、この国家的プロジェクトを成功に導くために最善を尽くした結果であることは、充分に伝わってくるのです。では、どちらの案がよりふさわしいのか。ズバリ、私の個人的な意見は…断トツでB案です。 B案は驚くほどシンプルですが、優れてモニュメンタルなシンボル性を持っていると思います。屋根を支える72本の木造の柱が、整然と並び、白磁のように美しく仕上げられたすり鉢状の観覧席の背面との間に、回廊空間が設けられています。その姿はオリンピックという祝祭空間にふさわしく力強い神殿のような佇まいで、極めて日本的です。(チームの技術提案書には、縄文時代の遺跡に範を取った旨が記載されています) この1.5メートル角の木造柱が整然と並ぶ様を、早く見てみたい気にさせられるのです。ここでは、詳しく書ききれませんが、伊東豊雄さんらしさも随所に感じられます。 一方のA案は、スタジアム内の天井に木材をふんだんに用い、外観に多重に回した庇の上げ裏には、隈研吾さんらしく木製ルーバーが設えられています。いわば、たいへんわかりやすい和風のデザインと言えるでしょう。また、庇の先端上部は緑化されて神宮の緑との一体化が図られています。しかし、私にはどこか既視感があり、正直なところ、はっとする独創性のようなものはあまり感じられませんでした。幾重にも庇の重なった外観も、B案の力強く簡潔な外観に比すると、ややもすると猥雑に見えてしまうのです。 以上は、あくまでも、私の第一印象にすぎず、もちろん今後様々な角度から、総合的に比較検証されなければいけないのは言うまでもありません。年末まで充分に議論が尽くされた結果、私の個人的な直感が叶うようなら、たいへん嬉しいのですが.......。

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